左遷先は月運行局分局 ――追放ヒロインのスキルで、公務も恋も大逆転

第10話 『第二の大逆転:査問会での公開実験』

 測定器のモニターには、呼吸みたいな波形が映る。善裕が『ここが位相』とペン先で示すと、傍聴席から小さな『へえ』が起きた。理屈は難しくても、揺れない線はきれいだ。
 昼休み、咲那は黒パンをちぎりながらメモを書く。『安全に速い=“待ちにくさ”の削減から』。翼がパンの端をもらい、黙って親指を立てた。

 南河岸は、昼になると声が重なる。魚の名、値段、数字、冗談。白板は朝から黒々とし、可視化パネルの“現在”列は写真でいっぱいになる。今日は“入替”――屋台の搬入ルートと観客導線の左右を、時間帯で入れ替える。本部の平均は“固定”だが、現場の平均は“動く”。動かない平均は、今日の今に合わない。

 第一手順。倖菜が朱で『時間帯入替:午前=搬入右/観客左→午後=搬入左/観客右』と書く。朱は旗ではない。告知の句読点だ。麻理江が第三者ログのテンプレートを『時刻→入替→結果』の順に修正。翼は案内の札を、写真に写らない薄さで伏せて置く。伏せると、場が先に読む。読むと、動ける。

 現場の整備。善裕が“戻り矢印”の丸を入替後の角に先回りで描き足し、ことみは“拾い音なし”のウィンドウを五秒で開始。Δψは2.7°で据え置き。数字をいじらず、道具で合わせる。写真の白は崩れない。白が崩れないと、余白が増える。余白が増えると、人は自分の言葉で読める。

 公開デモ。耳→足→目→笑い。耳――ことみが風の高さを“ソ・ミ”で示し、氷室の吐息が弱いことを知らせる。足――二肩半で十歩、角で一秒アイドル、半歩戻る。目――入替の可視化カードを、可視化パネルの下段に『写真+一行メモ』で展開。笑い――玲空のチャイムを明→暗で二打。明から暗へは入替の合図だ。

 入替直後に小さな事故が起きた。直線派の荷台が、旧ルートの惰性で角に突っ込み、列がざわつく。翼が片足で踏ん張ってバランスを取り、が、ガシャーン。音だけ立派。ことみが眉をひそめる前に、星芽が○を作り「みぎ、ぎゃく」。指の高さは低。低いほど丁寧。列の肩が、すとんとそろう。

 藤見が現れ、苦笑い。「惰性って、強いですね」。強い。だからこそ、現場で動く平均が要る。咲那は白板に“平均/現在”の線を描き、その境目に細い鉛筆線を一本足した。線をまたぐと、足は半歩ゆっくり。半歩ゆっくりは、事故を減らす。平均は、動かすためにある。

 中盤、潮風が強くなり、看板の鎖が高く鳴く。ことみは鎖を指で押さえ、鳴きを半音落とす。倖菜は承認台で砂時計を回し、『入替承認・秒』をログに残す。麻理江の紙束は薄い。薄い記録は、厚い混雑をほどく。

 “静寂側の過不足”が午後の入替で顔を出した。静かすぎる通りに、合図が刺さらない。星芽は冷たい帯ではなく、温帯の匙をひとすくい。温度の文法で、音の文法を通す。玲空が明るい一打を入れて、観客の肩が落ちる。Δψは触らない。数字は式のまま、道具で合わせる。

 見学に来た本部の監理官が言う。「入替を“現場合理”だと言い張る根拠は?」――倖菜は朱で『秒・写真・一行』とだけ書いた。秒は承認、写真は今、一行は誰が・何を・どうした。三点そろえば、現場の平均は正当化できる。『平均は、過去から作られる。今は、今しかない』。監理官は肩を落とし、小さく頷く。

 夕方、仕上げのレース。午前ルート固定派 vs 入替運用派。固定派は直線へ吸い寄せられ、角で詰まる。入替派は角で一秒アイドル、半歩戻し、十歩。結果は四分差。拍手の前にチャイムが二打――明から暗へ。善裕は白板の“戻り矢印”をなぞり、翼は白胡麻の飴を三つに割って、ことみと星芽に配った。

 片付け。伏せ札を一枚ずつ拾い、テープの跡を指で温めて外す。跡を残さないのは、写真の白を守るため。白が整うと、余白が増える。余白が増えると、人は自分の言葉で読める。読む人が増えると、町は自分で進む。

 夜、分局。掲示板の“平均/現在”の境目に、星芽が点を一つ。点は小さいが、町全体がそこを跨いで歩く。『動かない平均→動く平均』は、今日の収穫だ。明日は“北波止場の段取り替え”。可視化カードを増やし、入替を癖にする。

 入替を“読ませる”仕掛けも追加した。写真のレイアウトを『うまくいった瞬間>失敗の理由』へ。人は成功を見ると、同じ歩き方を真似る。真似が増えると、速くて安全になる。可視化カードの一行メモは『誰が・何を・どうした』で統一。長文は歩行を遅らせる。

 案内札は“伏せて、薄く”。見えないが、読む。読むが、撮らない。写真に写らない薄さは、景観と記録の両立だ。観光客が『ここの写真、白がきれい』と言い、祖母の屋台が白胡麻の飴を配る。甘さは、合意を早める。

 ことみは“耳タイマー”を5→7→5で回し、静寂側の過不足を追従。風が変われば、玲空はチャイムを裏拍で打つ。裏拍は注意の意味。星芽は合図の指を低くし、善裕は白板の矢印を曲げる。数字は触らず、道具で合わせる。Δψは2.7°のまま。

 本部監理官の再質問。「平均を動かすと、記録が不連続にならないか」。倖菜は朱で『不連続=改善の証拠』と書く。連続した平均は安心だが、今に鈍い。不連続の写真と秒記録は、場が生きている証拠。監理官は最後に『現場合理、理解した』とだけ言った。短い。短いから、届く。

 夕刻、入替第三ラウンド。海風が強まり、看板の鎖が高く鳴く。ことみが押さえて半音落とし、翼が『掌』記号の位置で手をかざす。人二肩半+掌一枚――幅が整う。整った幅は、速い。速いけれど、壊さない。

 レースの結果は、入替派の勝ち。固定派との差は六分。拍手の前にチャイムが明→暗で二打。場が一つ、息を合わせる。藤見が『惰性、怖いですね』とつぶやき、咲那が『惰性は、明日の“今”を食べる』と返す。明日の“今”は、今日作る。

 片付けの手順も可視化カード化。〈伏せ札回収→テープ跡温め→白確認→ログ封→矢印再配置〉。作業の白が整うと、明日の白も整う。白は、読みやすさの貯金だ。

 夜の分局。掲示板の“平均/現在”の境目に、倖菜が細い鉛筆線を二本目として足した。線が二本だと、跨ぐときに一拍分長くなる。長くなった一拍は、事故を減らす。星芽が点を一つ。点は小さいが、町がそこをまたいで歩く。『続きへ』――北波止場の段取り替え。
 南河岸の“読み替え”は、町全体の辞書を厚くした。白板=場の辞書、可視化パネル=今の辞書、一行メモ=動詞の辞書。辞書が厚いと、間違っても戻りやすい。戻りやすいと、速さは安全になる。翼は『辞書、重いね』と荷台に積み、ことみが『軽く見えるけど重いのが、今日の全部』と返した。

 星芽は地図の縁に小さな○を描き、左右へ開いた。「みぎ、ぎゃく」。その高さは“中高”。夕暮れどきの街に合う高さだ。指の高さは合図の音程。音程は歩幅の指示。歩幅は速度の器。器が整うと、速度はこぼれない。玲空のチャイムが明から暗へ、二度だけ小さく鳴った。
 夜、分局の窓を閉める前、咲那は“平均/現在”の境目に細い鉛筆線を三本目として足した。線が三本になると、跨ぐときに二拍ぶんの余白ができる。余白は、事故の隙間を埋める。星芽は点を一つ、ことみは耳でその点の静けさを確かめ、善裕は白板の“戻り矢印”をもう一本だけ太くした。『続きへ』――北波止場の段取り替え。
 分局の掲示板には、今日増えた可視化カードが整然と並んだ。『入替=現場で動く平均』『秒・写真・一行』『二肩半+掌』『角で一秒』。どれも短い。短いから、場が読む。読むから、速い。速いけれど、壊さない。明日の段取り替えは、この四枚で始める。
 港の灯が一つ消え、もう一つ消えた。暗さが増えるごとに、写真の白の意味が増す。白は、次の一歩の余白。分局の灯も落ち、チャイムが遠くで一度だけ鳴った。
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