愛する祖国の皆様、私のことは忘れてくださって結構です~捨てられた公爵令嬢の手記から始まる、残された者たちの末路~

4.遺産

「陛下、宜しゅうございますか?」
「入れ」

 仕事はひっきりなしにやってくる。
 ベルモンドは眉間を揉みながら、文官の入室を許可した。

「申し訳ございません、王妃様のことで……レイデフォン王国との夜会で帰りが遅くなり、今朝の官僚登用会議は欠席とのことです」

 またか、という言葉をベルモンドはなんとか飲み込めた。
 王宮勤めの官僚の登用権限は王族にある。これは王家にとって重要な権限だ。

 バネッサにも王妃の役割を担って欲しいと思いながらも、彼女はこうした地味な仕事を嫌がっていた。

 彼女が好むのは外交や夜会、パレードなど。派手なパフォーマンスを要する仕事はやりたがるのだが……。

「わかった、俺が代わりに参加する。一時間後だな?」

 夜会を過ごしてきたバネッサは今頃二日酔いだろう。
 これももう、いつものことになっていた。

 朝から休む間もなく会議と執務をこなし、椅子に深く腰掛ける。
 王国に問題は山積していた。今、一番頭が痛いのは外交だ。

 元々エスカリーナ王国は小さな国である。
 諸外国の恨みを買わないよう、上手く立ち回らなければいけない。

 だがバネッサにクロエのような外交能力を期待するのは……不可能だった。
 息を吐き、書類仕事に疲れたベルモンドが立ち上がる。

「父の遺品でも片付けるか……」

 日常に追われてまだトルカーナ四世の遺品整理は終わっていなかった。
 日々の空いた時間で少しずつ進めるしかない。

 ベルモンドは父の書斎に足を踏み入れ、細々とした棚を開ける。
 小物やメモ書き。目を通しても価値のありそうなものはない。

「……ふぅ」

 しかしある程度の気晴らしにはなる。あの頃は良かった。
 父がこの書斎で仕事をしていた、この時代は。

 書斎の一角に懐かしい本を見つけて、ベルモンドは目を細めた。
 幼い頃、クロエとベルモンドはよくこの書斎でふたりきりになった。

 クロエは読書が好きで、難しい字も内容も即座に理解していた。
 だから本を読むのはクロエの役で、いつもベルモンドが聞き役だった。

 あれは七歳くらいの頃であった。
 十歳向けの歴史の本をクロエが読んでいたが、ベルモンドにはさっぱりわからなかった。

「ねぇ、全然わからない。面白くないよ」
「えっ? 本当に……? 先週、読んだ本のことを細かく言っているだけよ」

 クロエの言葉に悪意はなかった。純粋な疑問だった。
 しかしベルモンドは非常にイライラしたのを覚えている。

 その時にはもうクロエと自分は頭の出来が違うと悟っていたから。

「僕はね! クロエみたいに覚えられないの!」

 ベルモンドは初めてクロエにイライラをぶつけてしまった。

「そ、そうなの? ごめんなさい……」

 クロエが謝ったのでその日はこれで収まった。
 これ以降だろうか、クロエがよく体調を崩すようになったのは――。

(あの頃は本当に良かったな。何もかもが順調で……)

 今のように将来の不安に苛まれることもなかった。
 山の恵みたる石炭も無限にあり、貴族も王家を立てて国家を運営していた。

 やるせない思いを抱えながら、ベルモンドは本棚の下に取り付けられている棚を開ける。

「ん? これは……」

 小さな手帳が入っていた。珍しい。
 このようなものは書斎から今まで見つかったことはなかった。

 表紙には何も書かれていない。

「父の手帳か?」

 国王の執務に必要な書類は全て引き継がれている。

 この未整理の遺品の中に金目の物はあっても、重要な物はない。
 だからこそ後回しにしてきたわけだが。

 好奇心に駆られ、ベルモンドは手帳を開く。
 瞬間、ベルモンドの心臓が嫌な音を立てて跳ねた。

 流麗ながらも芯のある美しい字。

「クロエの……っ!」

 忘れるわけがない。これは元婚約者であるクロエの字だった。
 ぱらぱらと手記を開いてみるが、書いたのはクロエだけのようだ。

「だが、どうして? なぜ父の書斎に……?」

 わからない。父は一言もこの手記について言い残さなかった。
 手が震え、汗がこめかみを伝う。
「……いまさらだ。いまさら彼女の手記なんて」
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