シュガーレス・マリアージュ 〜君の嘘と、甘い毒〜

第4章：完璧なライバル令嬢

咲が高千穂グループとの婚約を受け入れてから数週間が経過した。デパート内の空気は重く、咲の周囲に対する視線は、同情と、そしてかすかな好奇心に満ちている。
そんなある日の午後、東條デパートの最上階にある役員専用サロンに、まばゆいばかりのオーラを纏った女性が現れた。


高千穂 葵（たかちほ あおい）。
高千穂グループの会長を祖父に持ち、咲の婚約者となる高千穂 隼人の従妹にあたる。彼女は、海外の名門大学を卒業後、怜央が率いる「シンフォニア・ホールディングス」のIT技術を導入した新事業の提携責任者として、業界内で一躍注目を集めていた。

葵は、咲とは対照的な女性だった。背筋がピンと伸びた完璧な姿勢、一切の隙のないオートクチュールのスーツ。そして、怜央の瞳にも似た、冷たい美しさを宿した切れ長の眼差し。彼女は、咲とは比べ物にならないほど、「完璧な令嬢」という肩書を体現していた。

葵は、東條デパートへの提携挨拶という名目で、咲のいる企画室にも姿を見せた。その立ち居振る舞いは丁寧で優雅だが、咲に対する視線には、明らかな優越感と敵意が混じっていた。
「東條さん、お久しぶり。まさか、東條デパートが私たちのグループの傘下に入るなんて…世の中、何があるかわからないものね」

葵の言葉は、まるで洗練された毒のようだ。咲はぐっと唇を噛みしめる。
その夜、財界ニュースやSNSは、葵と怜央のツーショットで持ちきりになった。シンフォニアと高千穂の提携を記念した華やかなパーティーでの写真。怜央は、いつもの氷のような表情を崩さないものの、葵と顔を寄せ、親密そうに談笑している。

『IT界の寵児と、高千穂の美貌の令嬢。世紀のゴールデンカップル誕生か』
咲は、その記事を見た瞬間、胸をナイフでえぐられたような激しい痛みを覚えた。
（あの冷たい怜央が、あんなふうに…）

それは、彼があの日、咲に投げつけた冷酷な言葉とは裏腹に、彼女の心にまだ彼への募る想いが残っていた証拠だった。この痛みこそが、切ない嫉妬心だった。

数日後、咲が仕事で怜央の会社を訪れた際、偶然、ロビーで葵と鉢合わせた。
葵は、咲に近づくと、優雅に微笑み、耳元で囁いた。
「咲さん。あなたと怜央様が幼馴染なのは知っています。

でもね、怜央様は過去の思い出に浸っているほど暇な人じゃないの。彼は常に未来を見ている。そして、彼の未来に必要なのは、老舗の暖簾を守ることに必死なあなたじゃないわ」

葵は、咲の胸元のブローチにそっと触れ、視線だけで咲を射抜いた。
「彼のビジョンを理解し、ビジネスの場で対等に立てる、私よ」

そして、さらに決定的な一言を付け加えた。
「咲さん。東條グループの経営状況について、怜央様はこう仰っていたわ。『今さら手を差し伸べても無意味だ』と。あなたとの幼馴染の関係すら、ビジネスの邪魔だと」
葵は勝ち誇ったような、それでいて完璧に美しい笑みを浮かべた。その言葉は、咲の心を完全に凍りつかせた。

（切ない）――。怜央の口から、自分との関係が「無意味」だと告げられたわけではない。だが、葵の言葉は、第三章で交わした冷たい会話の「答え合わせ」のようで、咲の胸に深く突き刺さった。
咲は、強く握りしめた拳を震わせながら、その場から立ち去るしかなかった。

拗（こじ）れた愛とプライドの糸は、完璧なライバル令嬢の登場により、さらに複雑に絡み合っていく。怜央の冷たい言葉は演技か、それとも本心か。咲の疑念は深まるばかりだった。