シュガーレス・マリアージュ 〜君の嘘と、甘い毒〜

第5章:初めての共同作業

葵の冷酷な宣戦布告から数日後。咲は、高千穂グループとの婚約準備で疲弊しきった心に鞭打ち、東條デパートの緊急プロジェクト会議に出席していた。議題は、デパートの集客力回復を目的とした、シンフォニア・ホールディングスとの共同プロモーションの実施についてだった。

東條デパートの古い体質を打破するため、最新のAI技術を駆使したデジタルトランスフォーメーション(DX)を導入するという計画だ。
「このプロジェクトは、東條デパート再建の鍵となる。そして、シンフォニア側の責任者は…神崎 怜央社長、直々のご担当となります」

専務の言葉に、咲は思わず顔を上げた。あの夜、冷たい言葉で突き放され、さらに葵を介して「無意味だ」とまで言われた相手と、毎日顔を合わせなければならないという事実に、咲の胸は激しく波打った。
(仕事だ。これは仕事。私情を挟むな。プロフェッショナルとして振る舞え)

咲は、まるで自分に言い聞かせるように、深呼吸をした。
その日の午後、共同プロジェクトの第一回打ち合わせが、シンフォニア・ホールディングスの本社、最上階の会議室で行われた。

全面ガラス張りの会議室からは、都会のパノラマが一望できる。その光景にも負けない、怜央の氷のような存在感が空間を支配していた。
怜央は、咲を見るなり、何の感情も含まないビジネススマイルを浮かべた。

「お久しぶりです、東條さん。今後、提携プロジェクトでご一緒させていただきます。公私混同はしませんので、ご安心を」
咲の心臓が、ズキリと痛む。公私混同など、するつもりもない。だが、彼のわざとらしいほど形式的な態度が、「幼馴染」という関係を完全に葬り去ろうとする意思表示に感じられ、切なかった。

「こちらこそ。東條デパート、企画部の東條咲です。よろしくお願いいたします」
咲は、感情の壁を作り、完璧な敬語と姿勢で応じた。
プロフェッショナルとしての二人
会議が始まると、二人はまるで別人格になったかのように、プロフェッショナルな顔を見せた。

怜央は、咲の提出したデパートの現状分析資料を、冷徹なまでに正確に指摘していく。彼の頭の回転の速さ、ビジネスの鋭さに、咲は改めて感嘆した。

「東條さんが提案されたターゲット層のペルソナ設定は甘い。データに基づかない感情論だ。…しかし、この『顧客体験を売る』というコンセプトは、東條デパートの強みを活かしている。評価できる」

「ありがとうございます。具体的なAI導入フェーズについてですが、私はまず、外商顧客の動線分析から着手すべきと考えます」
「同意だ。ただし、リソースは限られている。東條さんの部門からは、人員を三名、シンフォニア側に常駐させてほしい」

二人きりの会議室。広大な空間に響くのは、電子機器のわずかな音と、互いの冷静な声だけ。窓の外の光が、怜央の横顔を硬質な彫刻のように照らし出す。咲は、彼が時折、無意識に唇を舐める癖があることを思い出し、幼い頃の記憶とのギャップに、胸が締め付けられる。

お互いに感情を封じ込め、完全に「仕事相手」として振る舞う二人。誰もが羨む美男美女の共演は、一見すると完璧なビジネスパートナーシップに見えるが、その下に流れる空気は、触れれば凍りつくほど張り詰めていた。

打ち合わせが終わり、咲がエレベーターホールに向かおうとした時、怜央が背後から声をかけた。
「東條さん」
咲が振り返る。
「…あなたの婚約者が、この共同プロジェクトに口出しをしてこないことを祈る」

怜央の目は、一瞬にして氷点下に達したように冷たかった。それは、咲の婚約者を牽制する言葉なのか、それとも、高千穂との提携を進める葵を牽制する言葉なのか。彼の真意はわからない。
咲は、その冷たい視線に耐えながら、感情を滲ませないように答えた。

「高千穂グループのことは、私の個人的な問題です。仕事には一切影響させません」
「結構」
怜央はそれだけ言うと、咲のエレベーターのボタンを押して、さっさと自分のオフィスへと引き返していった。
咲は、エレベーターの扉が閉まるまで、彼の冷たい背中を見つめていた。仕事はできた。しかし、心は限界だった。彼を思う気持ちと、彼に突き放される切なさが、体の中で激しく渦巻く。
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