【番外編/後日談集】亡国の聖女は氷帝に溺愛される
「陛下は基本的に何でもそつなくこなされますからねぇ」
「そつなくこなされてしまうものなのでしょうか。ヴィルジールさまにとっては慣れたことかもしれませんが、私は……」
「うーん。私の知る限りでは、片手で数えるほどしかされていないと思いますよ」
「……片手で数えるほど、ですか」
ルーチェは今度こそ肩を落とした。そして指を折りながら、一から五まで胸の内で数えていく。
(……五回も)
正確な数はどうでもいいが、ローリエはヴィルジールと何度も──そういうことがあったのだろう。
ルーチェは大きな瞳の縁に涙をいっぱい溜めながら、空を仰いだ。
雲一つない青空を眺めていると、隣にいるエヴァンが突然立ち上がった。何事かと目を向けると、ガラス張りの扉の向こうにヴィルジールの姿がある。
ルーチェは反射的に立ち上がったが、声を発することも動くことも出来ずにいた。
「──エヴァン。こんなところで何をしている」
ヴィルジールは扉を開けて中庭に足を踏み入れると、ルーチェを一瞥してからエヴァンに声を掛けた。ルーチェの隣にいるエヴァンはいつもの温和な笑みを浮かべると、ルーチェを背に庇うように立つ。
「エヴァン様……?」
エヴァンは後ろ手でルーチェに手を振ると、一歩前に進み出た。
「何って、仕事をさぼってルーチェ様とお話していたところですよ。悲しそうなお顔をされていたので、つい声を掛けてしまいました」
「ルーチェ。本当なのか」
ヴィルジールが声を和らげて尋ねてきたが、ルーチェは何も言わなかった。今声を発したら、泣いてしまいそうだったからだ。
「……ルーチェ」
ヴィルジールがルーチェへと向かって歩いてくる。だが、それを阻むようにエヴァンが手を伸ばした。
「陛下、そうやってすぐに詰め寄ろうとするのはよくありませんよ。至近距離で上から睨んで口を割らせるのは、相手が男の時だけにしてください。愛するルーチェ様にはだめです。だ、めっ!」
「………………」
「あっ、私の口から言うのはよくありませんでしたね。ルーチェ様のことを心から愛していらっしゃるの、私たちには丸分かりですけど、口下手な貴方のことですから、ルーチェ様にはまだ言えてないですよね。やだ、私ったら!」
「……エヴァン」
ひやりと、辺りの空気の温度が下がったような気がして、ルーチェは身を震わせた。ヴィルジール相手に乙女のような言葉遣いで言いたい放題していたエヴァンも、ずりっと後ろに半歩下がっている。
これはもしや──と、ルーチェが動き出そうとした、その時。居館と中庭を繋ぐガラス張りの扉が、乱暴に開け放たれた。
「──陛下ッ! アンタ、ちゃんと謝ったんでしょうねぇ!?」
扉の向こうから現れたのは、先ほど執務室の前にいたローリエ──ではなく、ローリエと声と顔がよく似ている青年だった。その後ろには疲れた顔をしているアスランの姿もある。
(……ローリエさん、のご家族?)
突然現れた青年は、ローリエと同じく緩くウェーブがかっているシルバーと紫色の髪に、赤いリップが映えるド派手な美人だ。大胆に開かれている胸元からはしなやかな筋肉が見え、すらりと伸びている手の先には目が痛くなるほどの装飾品が嵌められているが、腰にはアスランのように剣が差してある。
状況が飲み込めないルーチェは、ただ瞬きを繰り返していた。
「……ローリエ。何を謝ればいいのか分からないのだが」
「この鈍感男ッ! 仕事ばっかりしてないで、婚約者ちゃんとの時間を作ってイチャつかないから、こういうことになるのよ!!」
「あのぅ、事の発端ってもしかしなくてもローリエじゃ……」
「エヴァンはお黙りッ! 腰抜けのアスランもね!」
「俺まで巻き込まないでくれ!」
何が起きているのか分からないが、一つだけ分かったことがある。目の前にいるド派手な青年はローリエであり、ご令嬢ではなく令息──男の人だ。
ローリエはヴィルジールを叱り飛ばし、ヴィルジールは嫌そうな顔でそれを聞き入れ、二人を見守るエヴァンとアスランは苦笑を漏らしている。
(……つまり、そういうこと? え、どういうこと?)
ルーチェは瞬きの回数を増やした。
ヴィルジールのハジメテの相手は、女性ではなく男性だった。つまりそういう趣向があった……ということだろうか。
ついに声を失ったルーチェの元へと、ローリエがにっこり笑顔で近づいてくる。
「ごめんなさいね、婚約者ちゃん。この馬鹿陛下ったら、女性相手はほんっとに駄目で、鈍感で頓珍漢で下手くそで」
「……ええと、つまり、どういうことなのでしょう? ヴィルジールさまは女性ではなく、その……男性と夜を共にされたということでしょうか?」
「何故そうなるッ!」
聞いたこともないヴィルジールの怒鳴り声で、ルーチェはついに涙をぽろっと落とした。
ヴィルジールが慌てたようにルーチェの目の前まで来て、両手を肩に添えながら顔を覗き込んでくる。
「だ、だって……否定、されなかったではありませんかっ…」
ルーチェは子供のように泣き出した。
ヴィルジールは焦ったり怒ったり困ったりと顔を忙しくさせながら、ルーチェの頭の後ろに手を添え、そしてローリエのことをキッと睨む。
「……ローリエ。貴様のせいだ」
「アタシーッ!? やあねぇ、人のせいにしないでよ! 陛下が“ファーストダンス”の相手だって言わなかったのが悪いんじゃない!」
「それは……そうかもしれないが。だからといって、まさか変な勘違いをされるとは」
「あはっはっはっ! おっかしー、困ってる陛下の顔、超面白ーいッ!!」
いつも無表情か眉間に皺を寄せてるから、と。ローリエはお腹を抱えながら大爆笑している。それにつられたのか、エヴァンとアスランも笑い出す。
大の男三人に爆笑され、ルーチェには泣かれ、さすがのヴィルジールも耐えきれなくなったのか──ぼろぼろと泣くルーチェの手を掴むと、逃げるように居館の中へと連れて行った。
▼
「う、うっ…ううっ……」
「ルーチェ」
「うっ……ぐすっ……」
「……ルーチェ。俺が悪かった」
「ヴィル、ジールさ…の、ばかっ……」
「すまなかった。ローリエがファーストダンスの相手だと伝えず」
ヴィルジールは泣きじゃくるルーチェを近くの部屋に連れ込むと、泣き止まないルーチェを抱きすくめた。不器用な手つきでルーチェの背を摩りながら、びっくりするくらい優しい声で謝罪を繰り返している。
「ローリエはああ見えて、東の国境を守るハルメルス辺境伯の嫡男だ。女装が趣味という変わった奴だが、悪い奴ではなくて……その、他の貴族連中を黙らせるのに、ファーストダンスの相手には最適だったんだ」
ルーチェは声を詰まらせながら、頷きで返した。
ヴィルジールはルーチェの赤くなった目元に指先を添えながら、ほっとしたように目元を和らげる。
「……断じて、お前が勘違いしたような関係ではない。そういった相手は一人もいない」
「…………ほんとう、ですか?」
「ああ。疑うのなら、試してみるか?」
試すって、何をだろうか。
そう思った時にはもう、ルーチェの腰にヴィルジールの大きくて温かい手が添えられていて。
「────っ!」
「──どうする? ルーチェ」
間近に迫る美しい顔を見て、ルーチェは今度こそ息の仕方を忘れたのだった。
「そつなくこなされてしまうものなのでしょうか。ヴィルジールさまにとっては慣れたことかもしれませんが、私は……」
「うーん。私の知る限りでは、片手で数えるほどしかされていないと思いますよ」
「……片手で数えるほど、ですか」
ルーチェは今度こそ肩を落とした。そして指を折りながら、一から五まで胸の内で数えていく。
(……五回も)
正確な数はどうでもいいが、ローリエはヴィルジールと何度も──そういうことがあったのだろう。
ルーチェは大きな瞳の縁に涙をいっぱい溜めながら、空を仰いだ。
雲一つない青空を眺めていると、隣にいるエヴァンが突然立ち上がった。何事かと目を向けると、ガラス張りの扉の向こうにヴィルジールの姿がある。
ルーチェは反射的に立ち上がったが、声を発することも動くことも出来ずにいた。
「──エヴァン。こんなところで何をしている」
ヴィルジールは扉を開けて中庭に足を踏み入れると、ルーチェを一瞥してからエヴァンに声を掛けた。ルーチェの隣にいるエヴァンはいつもの温和な笑みを浮かべると、ルーチェを背に庇うように立つ。
「エヴァン様……?」
エヴァンは後ろ手でルーチェに手を振ると、一歩前に進み出た。
「何って、仕事をさぼってルーチェ様とお話していたところですよ。悲しそうなお顔をされていたので、つい声を掛けてしまいました」
「ルーチェ。本当なのか」
ヴィルジールが声を和らげて尋ねてきたが、ルーチェは何も言わなかった。今声を発したら、泣いてしまいそうだったからだ。
「……ルーチェ」
ヴィルジールがルーチェへと向かって歩いてくる。だが、それを阻むようにエヴァンが手を伸ばした。
「陛下、そうやってすぐに詰め寄ろうとするのはよくありませんよ。至近距離で上から睨んで口を割らせるのは、相手が男の時だけにしてください。愛するルーチェ様にはだめです。だ、めっ!」
「………………」
「あっ、私の口から言うのはよくありませんでしたね。ルーチェ様のことを心から愛していらっしゃるの、私たちには丸分かりですけど、口下手な貴方のことですから、ルーチェ様にはまだ言えてないですよね。やだ、私ったら!」
「……エヴァン」
ひやりと、辺りの空気の温度が下がったような気がして、ルーチェは身を震わせた。ヴィルジール相手に乙女のような言葉遣いで言いたい放題していたエヴァンも、ずりっと後ろに半歩下がっている。
これはもしや──と、ルーチェが動き出そうとした、その時。居館と中庭を繋ぐガラス張りの扉が、乱暴に開け放たれた。
「──陛下ッ! アンタ、ちゃんと謝ったんでしょうねぇ!?」
扉の向こうから現れたのは、先ほど執務室の前にいたローリエ──ではなく、ローリエと声と顔がよく似ている青年だった。その後ろには疲れた顔をしているアスランの姿もある。
(……ローリエさん、のご家族?)
突然現れた青年は、ローリエと同じく緩くウェーブがかっているシルバーと紫色の髪に、赤いリップが映えるド派手な美人だ。大胆に開かれている胸元からはしなやかな筋肉が見え、すらりと伸びている手の先には目が痛くなるほどの装飾品が嵌められているが、腰にはアスランのように剣が差してある。
状況が飲み込めないルーチェは、ただ瞬きを繰り返していた。
「……ローリエ。何を謝ればいいのか分からないのだが」
「この鈍感男ッ! 仕事ばっかりしてないで、婚約者ちゃんとの時間を作ってイチャつかないから、こういうことになるのよ!!」
「あのぅ、事の発端ってもしかしなくてもローリエじゃ……」
「エヴァンはお黙りッ! 腰抜けのアスランもね!」
「俺まで巻き込まないでくれ!」
何が起きているのか分からないが、一つだけ分かったことがある。目の前にいるド派手な青年はローリエであり、ご令嬢ではなく令息──男の人だ。
ローリエはヴィルジールを叱り飛ばし、ヴィルジールは嫌そうな顔でそれを聞き入れ、二人を見守るエヴァンとアスランは苦笑を漏らしている。
(……つまり、そういうこと? え、どういうこと?)
ルーチェは瞬きの回数を増やした。
ヴィルジールのハジメテの相手は、女性ではなく男性だった。つまりそういう趣向があった……ということだろうか。
ついに声を失ったルーチェの元へと、ローリエがにっこり笑顔で近づいてくる。
「ごめんなさいね、婚約者ちゃん。この馬鹿陛下ったら、女性相手はほんっとに駄目で、鈍感で頓珍漢で下手くそで」
「……ええと、つまり、どういうことなのでしょう? ヴィルジールさまは女性ではなく、その……男性と夜を共にされたということでしょうか?」
「何故そうなるッ!」
聞いたこともないヴィルジールの怒鳴り声で、ルーチェはついに涙をぽろっと落とした。
ヴィルジールが慌てたようにルーチェの目の前まで来て、両手を肩に添えながら顔を覗き込んでくる。
「だ、だって……否定、されなかったではありませんかっ…」
ルーチェは子供のように泣き出した。
ヴィルジールは焦ったり怒ったり困ったりと顔を忙しくさせながら、ルーチェの頭の後ろに手を添え、そしてローリエのことをキッと睨む。
「……ローリエ。貴様のせいだ」
「アタシーッ!? やあねぇ、人のせいにしないでよ! 陛下が“ファーストダンス”の相手だって言わなかったのが悪いんじゃない!」
「それは……そうかもしれないが。だからといって、まさか変な勘違いをされるとは」
「あはっはっはっ! おっかしー、困ってる陛下の顔、超面白ーいッ!!」
いつも無表情か眉間に皺を寄せてるから、と。ローリエはお腹を抱えながら大爆笑している。それにつられたのか、エヴァンとアスランも笑い出す。
大の男三人に爆笑され、ルーチェには泣かれ、さすがのヴィルジールも耐えきれなくなったのか──ぼろぼろと泣くルーチェの手を掴むと、逃げるように居館の中へと連れて行った。
▼
「う、うっ…ううっ……」
「ルーチェ」
「うっ……ぐすっ……」
「……ルーチェ。俺が悪かった」
「ヴィル、ジールさ…の、ばかっ……」
「すまなかった。ローリエがファーストダンスの相手だと伝えず」
ヴィルジールは泣きじゃくるルーチェを近くの部屋に連れ込むと、泣き止まないルーチェを抱きすくめた。不器用な手つきでルーチェの背を摩りながら、びっくりするくらい優しい声で謝罪を繰り返している。
「ローリエはああ見えて、東の国境を守るハルメルス辺境伯の嫡男だ。女装が趣味という変わった奴だが、悪い奴ではなくて……その、他の貴族連中を黙らせるのに、ファーストダンスの相手には最適だったんだ」
ルーチェは声を詰まらせながら、頷きで返した。
ヴィルジールはルーチェの赤くなった目元に指先を添えながら、ほっとしたように目元を和らげる。
「……断じて、お前が勘違いしたような関係ではない。そういった相手は一人もいない」
「…………ほんとう、ですか?」
「ああ。疑うのなら、試してみるか?」
試すって、何をだろうか。
そう思った時にはもう、ルーチェの腰にヴィルジールの大きくて温かい手が添えられていて。
「────っ!」
「──どうする? ルーチェ」
間近に迫る美しい顔を見て、ルーチェは今度こそ息の仕方を忘れたのだった。