明治恋奇譚 〜藤堂様、ミエテマスヨ!~
一将はそれを見ても何も言わず、ただゆっくりと頷いた。
その姿はまるで、父が娘の門出を見守るかのようだった。部屋の空気は静かに満ち、時が止まったような一瞬が、玲子の心をそっと包み込んでいた。
一方その頃、藤堂家本邸の書斎では、将吾が一人、静かな灯りのもとで筆を走らせていた。
硯に落とされた墨の香りが、夜の空気にしんと溶け込んでいく。障子越しに聞こえる虫の音すら、どこか遠くに感じられた。
将吾は几帳面な筆跡で、紙の上に丁寧に一文字ずつ記していく。筆先が微かに揺れながら、書き記したのは、彼女の名。
玲子。
その文字を見つめるうちに、自然と唇がかすかにほころぶ。
ほんの数ヶ月前までは、名家の跡取りとしての重責と、己の立場に対する窮屈な思いだけが胸を占めていた。けれど今、将吾の心には、はっきりとしたひとつの灯があった。
迷いも、疑念も、過去に置いてきた。
「……これからは、共に歩むんだ」
小さく呟きながら、将吾はふと視線を机の端へと移す。そこには、埃をかぶりかけたままになっていた、黒革の文書箱が置かれていた。
静かに蓋を開け、束ねられた数枚の手紙を取り出す。
それは、祖父が遺した書簡だった。