花の浄化執行人 血のリコリス 水晶の魔都編

22話

 あたり一面が氷に包まれ、完全に凍結していた。床を白い冷気が渦巻いている。
 二人の体も氷に覆われている。

『剣士
『壊すのです』
『確実に壊すのです』

(なにを壊せというんだ。なにを! この都を壊せと言うのか! 巨大な街を壊すなんて、そんな無茶なことがあたしにできるかっ)

『幻を、消すのです』
『失われた過去の亡霊を滅ぼすのです』
『フレイリス・カティリア、あなたは死に守られている。あなたならできる。』

(死に守られている? あたしが? どういう意味だ。そんなこと、あたしにわかるわけがないじゃないかっ。ダメだ、体中が冷えて)

『神殿の核を壊すのです。』

 フレイリスが目を見開く。

(核? 今、核と言ったか?)

 突然フレイリスの体に異変が起こった。懐のあたりから膨大な熱が発せられ、フレイリスの体を包み、氷を溶かしていく。厚みがなくなってくると、フレイリスは全身に力を入れて捻った。音を立てて氷が割れ、自由になった。

(いったいどうなった? これが熱くなった。でも、氷を溶かすほどではないのに)

 懐から貰ったオパールを取り出す。それを目の上の高さに掲げて覗き見るが、特に変化はなかった。

『それだ!』

 キンと頭に直接響く強烈な怒声。カーヒルが吼え、凄まじい炎を放出して一気に氷を砕いた。赤い髪が逆立ってたなびいている。激しい闘気がカーヒルの体から放出されて空気を震わせる。

「どこで手に入れた!」
「さぁ、それはわからない。拾ったのはセラだからね」
「それを渡せ!」

「渡せと言われてホイホイ渡すバカがどこの世界にいるんだよ。へー、こいつがネックなわけだ。で? こいつがあったらどうなるんだい?」

「貴様などに用はない!」

「そんなことはないだろう。あんたの望みは魔都の復活なんだろ? だったら、これはその願いをかなえる代物だってわけだ。なら、渡すわけにはいかない。でもこれがなんなのか、興味はあるけどね」

 カーヒルが奥歯を噛みしめて鋭く睨んでくるのを、フレイリスは軽く笑って眺めている。

「そぅ怒りなさんな、大魔導士さんよ。あたしは流れ者の剣士とかじゃなく、ある組織に属している雇われ者なんだ。だから魔都復活自体に興味はない。あたしの質問に答えてくれたら、この石はあんたに返すよ」

「セラと共にアリューシャを取り戻しに来たくせに」
「雇われたんだよ、護衛にさ」

「お前、よくもそんな嘘をペラペラと並べられるね! 組織に属している剣士なら、雇われるなんてないだろうが」

「人助けは積極的に、なんだよ、ウチの組織は」

 笑うフレイリスは内心でカーヒルが本当にカイオスのことを知らないのだと確信した。

「で、あんたさ、セラのことをよく知っているよね。魔物や妖魔でもなく人間なんだったら、云百年と生きてるわけがないだろう。今までどこでなにをやっていたんだよ」

「私のことを知ってどうするんだい」
「知的好奇心ってヤツ」

 ふふふっと笑うフレイリスの顔は、百戦錬磨の剣士と言うよりも、若い女相応のものだった。

「魔道を極めれば時間の狭間を移動できるようなる。平たく言えば、自他が生み出した異空間に身を置き、時を渡ることができるんだ」

「ってことは、東だの北だの、このあたりとは違う場所にいたとかじゃなく、そもそもあたしらが生きてる空間にいなかったってことか」

「そういうことになるかねぇ」

 なるほど、と納得するフレイリスは、あらぬ力の偉力の如何ほどを改めて思い知ってうんざりした。

(能力は正義も悪も関係なく身につけられる、か。悪域に傾いた心の程度を量り、行き過ぎた者は浄化する。それがあたしの役目。特にこの女のような)

「特殊な存在を相手する」

 最後は声に出ていた。カーヒルが首を傾げる。

「今、セラがアリューシャ姫を助け出している頃だろう。この石を手に入れても、もう遅いんじゃないか?」

「そう簡単にここから出られるわけがないだろう」
「鍵があっても?」
「そうだ。鍵があってもだ。なぜなら、女王ティーネスはもう完全に存在しなくなったからだ」
「あんたがヤったの?」
「そうさね」
「そ。わかった。じゃあ、これはあんたに返すよ。でも核は壊させてもらう」
「核?」

 フレイリスは大きく振りかぶり、カーヒルの足元に叩きつけた。オパールが弾けて砕け散る。ギャア! という悲鳴を上げ、カーヒルが座り込んで割れたオパールをかき集めた。そして熾烈な怒りを顔に張り付け、フレイリスに飛びかかろうとしたその時、凄まじい重力が二人を、否、城中を襲った。

「わあああっ!」
「これは……っ」

 重力というよりは見えないなにかが降ってきたという感じだ。猛烈な圧力にフレイリスもカーヒルも立っていることができず、床に膝をつく。カーヒルは両腕をクロスさせて自ら掻き抱き、必死に耐えている。対してフレイリスは片手を床に、片手を膝にやって歯を食いしばっていた。

「から、が……く、ず、れ……」

 カーヒルはそこまで言って前のめりになり、顔を床についてしまった。

(息がっ)

 呼吸もできないほどの強い重力。もう無理かという考えが脳裏をかすめた時、突然重力が消滅した。ハッと我に返った時には、何事もなかったかのように静寂が広がっていた。

「貴様……!」

 カーヒルの怒り声が轟く。素早く立て直したカーヒルはすぐさま立ち上がり、一瞬でフレイリスとの間合いを詰めて胸元のマントを掴み上げた。

「貴様のおかげで魔都の復活が不可能になってしまった! クレイシャの神像にあるオパールは銀月の力と共鳴し、異空間を彷徨いながらも辿るべき道と通じていた。それを壊せばラシャリーヤは永遠に異空間を彷徨うことになる。すべての調和と存在の証しである石を壊しおって……許さぬ!」

「……ってことは、ここはすでに、異空間ってわけかな?」
「そうだ!」

 ドン、とカーヒルがフレイリスを突き飛ばし、両手を広げた。胸元に杖が出現して、それを掴む。一方、フレイリスもよろけた体を捻って体勢を整え、剣を抜いて構える。

『暫!』

 衝撃破が来る。フレイリスは剣でこれを阻んだ。

「バカな! 魔法を剣で防ぐなど! 貴様、何者だ!」
「何者もなにも、セラの力じゃないのかな?」

 確かに剣身に記号が浮かんでいる。驚くカーヒルを無視し、今度はフレイリスが踏み込んだ。

『電雷!』

 幾筋もの稲光が起こり、フレイリスに落下して直撃する。だが、淡い膜のような光に包まれたフレイリスには効かなかった。

「なぜ効かない!」
「なんでだろうねぇ」

 剣先がひゅんを鳴り、カーヒルの首元に走る。カーヒルは杖で辛くも遮った。

「人間の速さじゃない」
「それもわたしにはわからない」

 今度は逆からカーヒルを襲う。さらに下から斬り上げるようにして剣を踊らせると、カーヒルの顎にわずかながら触れた。細い血の筋が舞う。

「貴様! 許さん!」

 フレイリスは聞いていない。もう次の体勢に入っている。右から、左から、目にも止まらぬ速さで斬り込んでいく。カーヒルの体の至る所から血の糸が飛んだ。

 そのまま追い詰められたかと思ったが、カーヒルが杖を構えて叫んだ。

『霧氷化』

 空間すべてにに白い冷気が漂い、天井から鋭いツララが数多と落ちてきた。何本かがフレイリスの背中に直撃する。甲冑が遮るものの、衝撃は凄まじかった。

(く……ツララに魔法が込められているのか)

 視界が二重三重に滲み、歪む。めまいが起こって、フレイリスは無様に転んだ。

「息の根を止めてやる!」

 歯を食いしばって起き上がろうとした。上げた顔に新たな衝撃が起こってフレイリスを弾き飛ばし、壁に激突する。

「……ぅ」

「人間で、魔法を使えぬ者……ありえないな。だが、存在している以上からくりがあるはず。考えられることは、誰かに守られているということか」

 カツカツと床を叩きながらカーヒルが歩み寄ってくる。そしてフレイリスの顔面を蹴った。

「っ、ぐぅぅ」
「そんなことはどうでもいい。私の積年の計画をぶち壊してくれたこと、死をもって償わせてやる」
「……たかが宝石一個割っただけじゃないか」
「黙れ!」

 さらに一撃がフレイリスの喉元にさく裂した。

「黙るのはあなたのほうです、カーヒル!」

 重厚な扉の傍にセラとアリューシャが立っていた。カーヒルは二人の姿を確認するや高笑いを上げた。

「愚かな半妖! 自ら死にに来るなど。この剣士を見殺しにすればラシャリーヤから脱出できたものを」

「フレイリスが魔都復活を阻んだようですね。さっきの圧力はその結果でしょう。残念でした、カーヒル。人間たちを平伏させるというあなたの野望が露と消えて。でもそのおかげであなたも目が覚めたでしょう? 神でもないのに、世界征服なんてできないことを」

 カーヒルが鋭い目つきでセラを睨む。

「一介の剣士に阻まれたのだから」
「黙れ! 下等な半妖の減らず口などおぞましい! 戦うなら相手をしてやる。下等でひ弱な半妖、八つ裂きにしてくれる!」

 二人が同時に構えた。アリューシャが静かに数歩下がったところで、印を結んで呪文を唱える。光弾が飛び交い、衣を焼く。そんな些細なことは気にもとめず、二人はさらに魔法を放った。至る所で爆発が起きる。

 次は動いた。広い空間内を二人は走り、飛び、駆け巡った。壁といわず、天井といわず、魔法の衝撃によってバラバラと崩れて瓦礫を飛ばしている。それでも二人の戦いはおさまるどころか度を増すばかりだ。

 黄金の閃光と黒い炎が互いにぶつかりあって消滅する。あるいは壁や天井を破壊する。カーヒルはわずかな間合いを逃さず、セラの前に躍り出た。そして生み出した黒い剣を振り下ろした。

「うっ……ぐっ! カーヒル」

 黒い剣はセラの腹を貫いた。

「お前如きに私は倒せない」

(ここは……さっきの場所?)

 光のない暗闇にフレイリスは立っていた。周囲がうっすらながら見えるのは、自分が発光しているからだ。フレイリスは両手を前に出して見つめる。

(なぜ光っているんだ?)

『それがあなたの正体だからです。』

 正面、少し離れた場所に一筋の光が差した。光に中に女がいるが、光っているので顔がよく見えない。だが、フレイリスは自分がよく知る人物に似ている気がした。

(主上?)

『あなたは自らに術をかけられていることを知っているはずです。その力を、あなたの主が求めていることも』

 その言葉に、フレイリスはこの人物が斎主ではないと理解した。では、誰なのか。心当たりはまったくない。

『いつか来る時を恐れてはいけません。そしてここから出て、本物のために尽くしなさい』

「さっきからなにを言っているんだ。さっぱりわからない」

『核を壊して元の世界に戻るのです』

「核って、さっきのオパールじゃないのか? ラシャリーヤはもう復活することはないって言われたが」

『壊すのです。早く来なさい』

「来なさいって、どこへ」

『祭祀の間へ。私のもとへ!』

< 22 / 25 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop