花の浄化執行人 血のリコリス 水晶の魔都編
25話
またしても脳裏に声が響く。
(これを壊したら、ラシャリーヤは完全に失われる)
『もう失われているのです。剣士、この地上世界には、我らの力を封じた場所が点在しています。それはあってはならないのです』
(なぜだ)
『人の発展のために』
(発展?)
『人のために。人が自らの力で生きるために』
(人のため。主上の口癖だ。主上、人間ではない存在にあなたの剣を使うが、お許しを。そしてお力をお貸しください)
フレイリスは彫刻が据えられている絢爛な台に飛び乗った。目を閉じ、大きく深呼吸をする。そしてクレイシャの両手の中の水晶に向け、剣を水平に構えて腕を引いた。
(ノーなら剣が砕けるが、主上があたしの帰還を望んでおられるなら協力してくれるだろう。そうでなければ、永遠にここに閉じ込められて死ぬだけ)
カッと目を開き、迷いなく思いきり突いた。
キーンという鼓膜を貫くような音がしたかと思えば、水晶がガタガタとまるで暴れるように前後左右に振動し、四方八方に亀裂が走る。そこから三つに割れ、四つに割れ、最後に粉々に砕けた。だが、水晶がなくなった場所から膨大な光が放出され、フレイリスの体を吹き飛ばした。
「剣士様!」
「あたしは大丈夫。それより」
「見てください。光の中、あれを!」
ラシャリーヤの街、この城が凍てつき、氷のもとに没していく。呪いをかける美しい女の姿。神の怒りにおののきながらも、人々を守らんがために祈る女王の姿。はるか古代、魔都ラシャリーヤが滅び、異空間に封じられた刻。
「あっ」
フレイリスは振動を感じた。城が揺れている。その揺れは次第に大きくなっていく。
「フレイリス、ここは危ない」
「未来に帰らないと。セラ、鍵だ。ルビーの鍵」
「行き先は神殿ですよ?」
「一か八かだろうが!」
立っていられないくらいの振動になり、アリューシャが体勢を崩した。それをフレイリスがすかさず支える。頭上から砕けた石が落ちてくる。三人は体を低めてルビーの鍵穴を探した。
「ここにはないのか!」
叫ぶフレイリスはクレイシャの石像、その額にあるサークレットを見て目を見開いた。フレイリスが壊したオパールがあった場所だろう。楕円形にへこんでいる。その中心に鍵穴があった。
「あそこだ」
セラから鍵をひったくって祭壇に上る。だが、手が届かない。登ろうとしても滑って足がかけられない。
今度は肩を使って体当たりをした。びくともしない。それを見たセラとアリューシャも祭壇に上り、三人は息を合わせて体当たりをした。するとクレイシャの石像は足元が割れて倒れた。倒れた石像の額に鍵を差し込もうとするが、振動でうまくいかない。
「くそっ」
二人がフレイリスの手首を掴んだ。
「剣士様、焦らないで」
「ああ、そうだね」
二人が握ってくれて安定する。フレイリスは今度こそ鍵を差し込んで九十度回転させ、押してさらに回した。解錠の感触が手に伝わる。同時に赤いラインが起き、三人の体を吞み込んだ。
フレイリスたちは真っ逆さまに落ちていった。
鳥のさえずりが聞こえる。温かい日差しも感じる。
フレイリスは目を開けた。
(ここは……)
身を起こして周囲を確認すると、木漏れ日が美しい森の中だった。夜が明けたばかりのようだ。空気がひんやりと冷たく、心地いい。
近くにセラとアリューシャが倒れている。
「セラ! 姫!」
叫ぶと二人も気がついたようで、体を起こした。無事のようでホッとする。
「鍵が」
そう言ったのはセラだ。懐に入れていた三本の鍵は錆びていて、少し動かすとボロボロと崩れてしまった。手に残ったのは三つの宝石だ。四本目、最後に使ったルビーの鍵はどこに行ったのかわからない。
「魔都は完全に滅んでしまった、というわけだ」
「そうですね。そして私たちもアリューシャ姫を城へ送り届けて、任務完了ということです」
フレイリスとセラがアリューシャの顔を見る。するとアリューシャが激しくかぶりを振った。
「城には戻りたくありません。わたくしは剣士様と共に旅をしたいです」
二人はアリューシャの言葉に目を丸くし、パチパチと瞬いた。
「……なに言ってんの」
そう答えたのは当人のフレイリスだ。
「わたくしは神託を受けたのです」
「神託?」
「はい。我らが崇める天神バベルの神託です。『〝血のリコリス〟と共に東へ向かえ。そこにあるべきものがある』と」
一瞬フレイリスの肩がビクンと跳ねた。そして神妙な顔をし、アリューシャをじっと見返す。
「幼い頃、わたくしの歌が認められ始めて間もない時です。建国祭で大司祭様がそうおっしゃいました。以来、ずっと待っていたのです」
「あたしを指名したのは、それか」
「そうです。まさかこんな形でお会いするとは思いませんでしたが、まさしく天神バベルのお導きです。水鏡に映ったあなたは美しかった。わたくしは一目見てあなたに心を奪われました。そして、今も」
熱っぽいまなざしを向けられてフレイリスの顔に苦笑を呼ぶ。フレイリスは立ち上がった。
「アリューシャ姫、あたしはカイオスの〝浄化執行人〟だ。すべてはカイオスの斎主の心次第。あたしは東になど行かない。悪いね」
「いいえ、あなたはわたくしと共に東に行くのです。〝あるべきもの〟を見つけ、成すために」
「成すため、か。まったくもって夢物語だ。その大司祭とやら、早々クビにしたほうがいいよ。では、セラ、あとは頼んだ」
「いいのですか?」
「ああ。だって、あたしの主上が仕事しろって仰せだからね。絶えず役目に徹し、悪域に堕ちた心を浄化せよ、と」
フレイリスが指笛を吹くと、間もなくどこからか蹄の音が聞こえ、近づいてくる。そして現れたかと思えば、アリューシャが止める間もなくフレイリスは馬上の人になった。
「剣士様!」
「姫様お達者で。セラはまた近いうちに会おう。じゃあ!」
大きく手を挙げて振り、赤みがかった金髪を靡かせながら颯爽と駆けていった。
それを見送ると、セラはアリューシャに向き直った。
「今の話は本当ですか?」
「もちろんです。わたくし、諦めませんから。また会うのでしょう? であれば、まずはあなたから離れません」
「よろしいですよ。ですが、それは報酬をもらってからの話にしていただきたい。でないとフレイリスは私に会いに来ませんから」
金を人質にするというわけだ。不服げではあるがアリューシャは納得したみたいだ。神妙な顔をして、歩き始めたセラのあとにおとなしくついてきている。
(フレイリス、これはとんでもない相手に見初められたのかもしれませんよ。だって私も、あなたは東へ行くべきだと思っていますから。その時は私も追随したいものです)
歩き始めたセラの美麗な顔には笑みが浮かんでいた。
終
(これを壊したら、ラシャリーヤは完全に失われる)
『もう失われているのです。剣士、この地上世界には、我らの力を封じた場所が点在しています。それはあってはならないのです』
(なぜだ)
『人の発展のために』
(発展?)
『人のために。人が自らの力で生きるために』
(人のため。主上の口癖だ。主上、人間ではない存在にあなたの剣を使うが、お許しを。そしてお力をお貸しください)
フレイリスは彫刻が据えられている絢爛な台に飛び乗った。目を閉じ、大きく深呼吸をする。そしてクレイシャの両手の中の水晶に向け、剣を水平に構えて腕を引いた。
(ノーなら剣が砕けるが、主上があたしの帰還を望んでおられるなら協力してくれるだろう。そうでなければ、永遠にここに閉じ込められて死ぬだけ)
カッと目を開き、迷いなく思いきり突いた。
キーンという鼓膜を貫くような音がしたかと思えば、水晶がガタガタとまるで暴れるように前後左右に振動し、四方八方に亀裂が走る。そこから三つに割れ、四つに割れ、最後に粉々に砕けた。だが、水晶がなくなった場所から膨大な光が放出され、フレイリスの体を吹き飛ばした。
「剣士様!」
「あたしは大丈夫。それより」
「見てください。光の中、あれを!」
ラシャリーヤの街、この城が凍てつき、氷のもとに没していく。呪いをかける美しい女の姿。神の怒りにおののきながらも、人々を守らんがために祈る女王の姿。はるか古代、魔都ラシャリーヤが滅び、異空間に封じられた刻。
「あっ」
フレイリスは振動を感じた。城が揺れている。その揺れは次第に大きくなっていく。
「フレイリス、ここは危ない」
「未来に帰らないと。セラ、鍵だ。ルビーの鍵」
「行き先は神殿ですよ?」
「一か八かだろうが!」
立っていられないくらいの振動になり、アリューシャが体勢を崩した。それをフレイリスがすかさず支える。頭上から砕けた石が落ちてくる。三人は体を低めてルビーの鍵穴を探した。
「ここにはないのか!」
叫ぶフレイリスはクレイシャの石像、その額にあるサークレットを見て目を見開いた。フレイリスが壊したオパールがあった場所だろう。楕円形にへこんでいる。その中心に鍵穴があった。
「あそこだ」
セラから鍵をひったくって祭壇に上る。だが、手が届かない。登ろうとしても滑って足がかけられない。
今度は肩を使って体当たりをした。びくともしない。それを見たセラとアリューシャも祭壇に上り、三人は息を合わせて体当たりをした。するとクレイシャの石像は足元が割れて倒れた。倒れた石像の額に鍵を差し込もうとするが、振動でうまくいかない。
「くそっ」
二人がフレイリスの手首を掴んだ。
「剣士様、焦らないで」
「ああ、そうだね」
二人が握ってくれて安定する。フレイリスは今度こそ鍵を差し込んで九十度回転させ、押してさらに回した。解錠の感触が手に伝わる。同時に赤いラインが起き、三人の体を吞み込んだ。
フレイリスたちは真っ逆さまに落ちていった。
鳥のさえずりが聞こえる。温かい日差しも感じる。
フレイリスは目を開けた。
(ここは……)
身を起こして周囲を確認すると、木漏れ日が美しい森の中だった。夜が明けたばかりのようだ。空気がひんやりと冷たく、心地いい。
近くにセラとアリューシャが倒れている。
「セラ! 姫!」
叫ぶと二人も気がついたようで、体を起こした。無事のようでホッとする。
「鍵が」
そう言ったのはセラだ。懐に入れていた三本の鍵は錆びていて、少し動かすとボロボロと崩れてしまった。手に残ったのは三つの宝石だ。四本目、最後に使ったルビーの鍵はどこに行ったのかわからない。
「魔都は完全に滅んでしまった、というわけだ」
「そうですね。そして私たちもアリューシャ姫を城へ送り届けて、任務完了ということです」
フレイリスとセラがアリューシャの顔を見る。するとアリューシャが激しくかぶりを振った。
「城には戻りたくありません。わたくしは剣士様と共に旅をしたいです」
二人はアリューシャの言葉に目を丸くし、パチパチと瞬いた。
「……なに言ってんの」
そう答えたのは当人のフレイリスだ。
「わたくしは神託を受けたのです」
「神託?」
「はい。我らが崇める天神バベルの神託です。『〝血のリコリス〟と共に東へ向かえ。そこにあるべきものがある』と」
一瞬フレイリスの肩がビクンと跳ねた。そして神妙な顔をし、アリューシャをじっと見返す。
「幼い頃、わたくしの歌が認められ始めて間もない時です。建国祭で大司祭様がそうおっしゃいました。以来、ずっと待っていたのです」
「あたしを指名したのは、それか」
「そうです。まさかこんな形でお会いするとは思いませんでしたが、まさしく天神バベルのお導きです。水鏡に映ったあなたは美しかった。わたくしは一目見てあなたに心を奪われました。そして、今も」
熱っぽいまなざしを向けられてフレイリスの顔に苦笑を呼ぶ。フレイリスは立ち上がった。
「アリューシャ姫、あたしはカイオスの〝浄化執行人〟だ。すべてはカイオスの斎主の心次第。あたしは東になど行かない。悪いね」
「いいえ、あなたはわたくしと共に東に行くのです。〝あるべきもの〟を見つけ、成すために」
「成すため、か。まったくもって夢物語だ。その大司祭とやら、早々クビにしたほうがいいよ。では、セラ、あとは頼んだ」
「いいのですか?」
「ああ。だって、あたしの主上が仕事しろって仰せだからね。絶えず役目に徹し、悪域に堕ちた心を浄化せよ、と」
フレイリスが指笛を吹くと、間もなくどこからか蹄の音が聞こえ、近づいてくる。そして現れたかと思えば、アリューシャが止める間もなくフレイリスは馬上の人になった。
「剣士様!」
「姫様お達者で。セラはまた近いうちに会おう。じゃあ!」
大きく手を挙げて振り、赤みがかった金髪を靡かせながら颯爽と駆けていった。
それを見送ると、セラはアリューシャに向き直った。
「今の話は本当ですか?」
「もちろんです。わたくし、諦めませんから。また会うのでしょう? であれば、まずはあなたから離れません」
「よろしいですよ。ですが、それは報酬をもらってからの話にしていただきたい。でないとフレイリスは私に会いに来ませんから」
金を人質にするというわけだ。不服げではあるがアリューシャは納得したみたいだ。神妙な顔をして、歩き始めたセラのあとにおとなしくついてきている。
(フレイリス、これはとんでもない相手に見初められたのかもしれませんよ。だって私も、あなたは東へ行くべきだと思っていますから。その時は私も追随したいものです)
歩き始めたセラの美麗な顔には笑みが浮かんでいた。
終


