追放令嬢のスローライフなカフェ運営 ~なぜか魔王様にプロポーズされて困ってるんですが?~

48. 完璧な変装

『でもまぁ』

 誠の声が、急に優しくなる。

『その天然ボケが、聞き込みには合ってそうだから期待してるよ。はっはっは』

「て、天然ボケって……」

 シャーロットは頬を膨らませた。

『いやいや、いい意味でだよ』

 誠は慌てて付け加える。

『明朗快活、のびのびと自分の道を行くキミには、我々にない視点があると思うんだ』

 温かい励まし。

『システムに詳しい我々は、どうしても理詰めで考えてしまう。でも、キミなら違う角度から【黒曜の幻影(ファントム)】を見つけられるかもしれない』

「そ、そうですよ!」

 シャーロットの顔が、パッと明るくなった。

「私、絶対に【黒曜の幻影(ファントム)】を見つけて……」

 グッと拳を握りしめる。

「私の世界を取り戻すんです!」

 あの三分間の記憶が、胸を熱くする。
 彼の温もり、優しい声、そして最後の約束――『ひだまりのフライパン』で、また会うのだ。

『ははは、その意気だ』

 誠も笑った。

『まずは、その先にある市場からね。朝市の時間だから、人も多いし、情報も集まりやすいはず』

「ラジャー!」

 シャーロットは敬礼のポーズを取った。

 そして、中世ヨーロッパ風の編み込みが施されたカーキ色のワンピースの裾を整える。それは田舎から来た純朴な娘――中身は神の力を操る元転生カフェ店主――完璧な変装だ。

(【黒曜の幻影(ファントム)】を見つければ、それだけでゴール!)

 ふんっと鼻息を荒くする。

(なんて簡単なお仕事! 今日中に決めてやるんだから! ゼノさん、待っててね!)

 キュッと口を結ぶと、シャーロットは意気揚々と大股で歩き始めた。


       ◇


 石畳の道の先には、色とりどりのテントが立ち並ぶ市場が見えてくる。
 野菜や果物の山、香辛料の匂い、魚を売る威勢のいい声――――。

 活気に満ちた朝の風景の中に、世界を脅かすテロリストが潜んでいる。

 でも、シャーロットの足取りは軽い。

 だって、この先には希望がある。
 ゼノさんとの再会という、何よりも大切な希望が。

 朝日を浴びながら、シャーロットは人々で賑わう市場へと足を踏み入れていった。


       ◇


 市場の入り口に立った瞬間、シャーロットは息を呑んだ。

「こ、これは……」

 目の前に広がるのは、想像を遥かに超える光景だった。

 ローゼンブルクの市場の百倍はあろうかという圧倒的な規模。色とりどりのテントが果てしなく続き、石畳の通路は迷路のように入り組んでいる。そして何より、人、人、人――まるで川のように、絶え間なく流れる人の波。

(この中から、どうやって……)

 早くも心が折れそうになる。
 針一本を砂漠から探すような――いや、それ以上に困難な任務。

 でも、自分の未来はここにしかないのだ。

「頑張らなきゃ!」

 シャーロットは頬を軽く叩いて、気合を入れ直した。


      ◇


 最初の区画に並んでいたのは肉屋だった。

 店先には解体した豚肉がずらりとぶら下がり、髭面の店主が巨大な包丁を振るっている。

 ガンッ! ガンッ!

 骨を断つ音が、リズミカルに響く。

「あの、すみません!」

 シャーロットは明るく声をかけた。

「豚肉を少し分けていただけますか?」

「おう、嬢ちゃん! どこの部位がいい?」

 店主は愛想よく応じてくれる。

「えっと、肩ロースを……」

 買い物をしながら、さりげなく聞き込みを始める。

「ところで、最近この辺りで何か変わったことはありませんでしたか?」

「変わったこと?」

 店主は首を傾げ、そして急に声をひそめた。

「そういえば、あそこの八百屋の親父が浮気してなぁ……」

 延々と続く近所の噂話。
 シャーロットは愛想笑いを浮かべながら、内心でため息をついた。


     ◇


 次は卵屋、日用品屋、魚屋、八百屋――。

 朝の活気は既に失せ、午後の倦怠感が市場を包み始めている。

 シャーロットは同じような調子で聞き込みを続けてきた。しかし、どの店主も首を傾げるばかり。得られるのは井戸端会議で聞くような日常の些細な出来事。不審な人物の話など、影も形もない。

(はぁ……)

 八百屋の軒先で、シャーロットは深いため息をついた。

(こんなこと続けてて、本当に意味があるのかしら……)

 足は棒のように重く、喉はカラカラに渇いている。何より心が、じわじわと諦めに傾き始めていた。

「とはいえ、どうしたら……」

 辺りを見回しても、答えは見つからない。
 人々は相変わらず忙しそうに行き交い、誰も彼女の苦悩など知る由もない。

< 48 / 56 >

この作品をシェア

pagetop