追放令嬢のスローライフなカフェ運営 ~なぜか魔王様にプロポーズされて困ってるんですが?~

49. カフェなら

 そんな中、八百屋の店先で一つだけ些細な発見があった。

(やっぱり……)

 色とりどりの野菜が山と積まれた中に、あの赤い宝石のような姿はない。

(この世界にも、トマトはないのね……)

 シャーロットの顔に、寂しい笑みが浮かんだ。

 脳裏に浮かぶのは、『ひだまりのフライパン』の看板メニュー。

(もしここで『とろけるチーズの王様オムライス』を出したら……)

 ふわふわの卵に包まれたケチャップライス。
 とろりと溶けるチーズ。
 そして何より、トマトの酸味と旨味が凝縮された真っ赤なソース――――。

 きっと、この世界の人々を驚かせ、虜にするだろう。

(って、そんなこと考えてる場合じゃない!)

 慌てて頭を振り、妄想を追い払った。今は捜査に集中せねばならないのだ。


     ◇


 半日かけて市場を回り尽くしたが、成果は完全にゼロ。

 シャーロットは噴水の縁に腰を下ろし、顔を両手で覆った。

(どうしよう……本当にどうしよう……)

 初日でこの有様では、先が思いやられる。
 誠さんに何と報告したらいいのだろう?
 『何の成果もありませんでした!』なんてどんな顔で報告したら――――。

 シャーロットはぎゅっと目をつぶった。

(聞き方が悪いのかな……)

 いや、そもそものアプローチが根本的に間違っているのかもしれない。

(もし私が【黒曜の幻影(ファントム)】だったら……)

 目を閉じて、想像してみる。

 この中世ヨーロッパ風の大都市。石畳の道、運河、白亜の建物。
 システムをハックしながら、人目を避けて生きる日々。
 孤独で、誰とも深く関わらず、でも人恋しさは消せない。どこへ行く――――?

「あっ!」

 シャーロットの目が、パッと開いた。

「カフェよね!」

 勢いよく立ち上がる。

 そうだ、カフェなら一人でいても不自然じゃない。
 長時間滞在しても怪しまれない。
 そして何より、人の温もりを感じながら、距離を保てる場所。

 新たな希望を胸に、シャーロットはカフェ巡りを始めた。

 ゴンドラの見られる運河沿いの洒落た店、路地裏の隠れ家、広場に面した賑やかな店――――。

「最近、変わったお客さんはいませんか?」
「一人で長時間いるような……」
「ちょっと不思議な雰囲気の方とか……」

 世間話から仲良くなって、どこでも同じ質問を繰り返す。

 しかし――。

 返ってくるのは、ありふれた井戸端会議的な話ばかり。
 高度な知能を持つテロリストの痕跡など、どこにも見当たらない。

 太陽が傾き、オレンジ色の光が石畳を優しく染める頃。
 シャーロットは最後の望みをかけて入った小さなカフェで、とうとう力尽きた。

 ガクッとテーブルに突っ伏し、動かなくなる。

(もう無理……初日で完全に行き詰まっちゃった……)

 一体報告書に何を書けばいいのか? シャーロットはキリキリと痛む胃をさすった。

「あなた、ルミナリアは初めて?」

 優しい声が、頭上から降ってきた。

 顔を上げると、店主らしき女性が心配そうに覗き込んでいる。
 四十代くらいだろうか。柔らかな笑みを浮かべ、手にはコーヒーカップを持っている。

「そ、そうなんです」

 シャーロットは慌てて背筋を伸ばした。

「田舎から来たばかりで……」

「ふぅん」

 店主は向かいの席に腰を下ろした。

「ルミナリアで何をしてるの?」

「え?」

 不意打ちの質問に、言葉が詰まる。

 潜入捜査だなんて言えるはずもない。かといって観光というには不審すぎる――――。

「カ、カフェ……」

 思わず口から出たのは、心の奥底にある本音だった。

「そ、そう……カフェを開きたいなって」

「へぇ……いいじゃない」

 店主の瞳が、キラリと光った。

「これでも」

 シャーロットは慌てて付け加える。

「田舎ではカフェをやってて、結構繁盛してたんですよ?」

 嘘ではない。『ひだまりのフライパン』は、確かに愛されていた。

「繁盛? そりゃあすごいね」

 店主は素直に感心する。

「でも、なんでルミナリアに?」

 その問いかけにシャーロットの胸が、ギュッと締め付けられた。

「お店が……」

 声が震える。

「なくなってしまって……」

 温かな店内。常連客の笑顔。そしてゼノさんの優しい眼差し。
 すべてが、もう存在しない――。

「あらあら」

 店主が心配そうに眉を寄せる。

「火事でも……起こしたの?」

「いや、何というか……」

 世界が消滅したなんて、どう説明すればいいのか。

「立ち退き? みたいな感じで、追い出されちゃったんです」

「ああ、それはそれは……」

 同情の色が、店主の顔に浮かんだ。

 そして次の瞬間、パッと表情が明るくなる。

「あ、そしたら一つ頼まれてくれないかしら?」

「え?」

「実は来週、ルミナリア祭で出店を出す予定だったんだけど……」

 店主の顔が、急に曇った。

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