顔も知らない結婚相手に、ずっと溺愛されていました。




 結婚はしない。

 私の人生はもう、誰にも操作されないと家を出るときに誓ったから。



 「約一ヶ月間、本当にお世話になりました。冨羽さんには感謝してもしきれません」


 けれど冨羽さんのその質問には、あえて言及しなかった。

 どう足掻いても、彼と会うことはもう一生ないのだから。




 「じゃあさ、千代ちゃん。最後に聞かせてよ。一つだけ、千代ちゃんの本音を──」

 「本音、ですか?」


 徐にそう言った冨羽さんは、あえて視線を逸らしていた私としっかりと向き合った。

 彼の綺麗な瞳に、私だけが映っている。






 「千代ちゃん、俺のこと好きでしょ」

 「……っ」



 〝はい、大好きです。

 二十七年という人生の中で、はじめてこんな感情を知りました。


 人を好きになるということを教えてもらいました。

 こんなにもあたたかくて、幸せな気持ちになれるんだってことをあなたに教えてもらいました。



 あなたに出会わなければ、きっと一生こんな気持ちを知ることはできなかったと思います。

 もっともっと、できることならずっと一緒にいたかった。



 でも、それが叶わないということもちゃんと理解しています。

 その代わり、あなたから勇気をもらいました。

 私はもう、これから先きっと一人で生きていけます。

 本当に、本当にありがとうございました。〟




 冨羽さんが聞きたいと言った私の本音を、心の中で呟いた。

 誰の耳にも届くことのない、本当の気持ちを──。




 「いいえ、そんな感情は持っていません。冨羽さんは私に手を差し出してくれた優しい男性、です」


 声に出す言葉はいつだって嘘ばかり。

 物心ついたときから、自分の本当の気持ちを言えたことなんてあっただろうか。

 少なくともお母さんが家を出ていったあの日から、私は今みたいに本音を心の中で呟いて消化していた。




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