あの日 カサブランカで

 何秒もなかったはずだったが、麻美は彼の唇のふれている時間が何分にも感じられた。

「ごめんね」

 顔を見下ろしながらつぶやいた圭一に麻美は小さく何度も首を振ると、無意識のうちにクッションを払って両手を圭一の首のうしろに回していた。

「抱いていてください」

 圭一に顔を寄せた麻美が彼の耳にささやく。

「うん」

 頬を寄せた圭一に強く抱きしめられた麻美は、それに応えるように両方の腕に力を込めて彼の首にしがみついた。

 半年ぶりに麻美が感じる男の背中は厚みがあった。




 麻美が1年間付き合っていた2年上級の先輩と別れたのは、彼が卒業して間もない春の終わりのことである。

 彼女にとっては体の関係まで進んだ初めての男だったが、その就職とほぼ同時に訪れた別れはあまりにも一方的であっけないものだった。

 その傷を忘れるためにも計画したのが今度の遠いアラブの国への旅であった。

「うれしい…」

 洩れるような声でつぶやいた麻美の顔が圭一の掌で抱えられると、再び唇がふさがれた。

 今度のそれは、はっきりと長い時間だった。

 うっすらと開いた唇を吸われ、甘噛みを繰り返されるうちに麻美は溺れそうな感覚を覚えた。

 何か訊ねられるかと思っていた麻美だったが、圭一は何も言わずにただ彼女の頭を仔犬でも抱くかのようにやさしく包み、肩を抱いて唇への愛撫を続けてくれた。




「このまま朝まで抱いていてください…」

 唇を離した圭一の胸に顔を埋めて麻美は懇願するような声で言った。

「大丈夫だよ、怖くないから」

「ありがとうございます…」

 首のうしろから回された彼の掌に胸がそっと包まれると麻美は躰に電気が走り心臓が高鳴ったが、彼はそれ以上先へ進むことをしなかった。

 その掌に覆いかぶさるように自分の両手を重ねた麻美は、彼のやさしさとあたたかさにくるまれるようにしてやがて夢の中へと落ちていった。

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