だから愛は嫌だ~虐げられた令嬢が訳あり英雄王子と偽装婚約して幸せになるまで~

19 事務担当者たち

 母の部屋に向かうと、ちょうどお茶の時間だったようだ。カーラとグレッグには、部屋の外で待ってもらい、ディアナだけ母の部屋に入った。

「ディアナも一緒にどう?」

 母に勧められるままディアナはテーブルにつく。

(お父様の話をしたら、またお母様を悲しませてしまうわ。でも、このままにはしておけない)

 覚悟を決めてディアナは、静かに話し出した。

「お母様。先ほど、法律に詳しい方に相談してきました」
「そう……。その方は、なんておっしゃっていたの?」
「普通なら愛人の子どもが後を継ごうが、お母様が一方的に、この家から追い出されることはないそうです。でも……」
「でも?」
「仕事を別の人に任せて一切していなかった場合、貴族の義務をはたしていなかったと裁判で判断される可能性があり、そうなれば一方的に離婚を突きつけられるかもしれないとのことです」

 普段は絶対にそんなことはないのに、母が置いたカップからカシャンと大きな音が鳴る。

「お母様?」
「それは……。あの人の提案で、家の中の仕事を別の人に任せた私にも当てはまるのかしら?」
「はい。このままでは、お母様と愛人を簡単に入れ替えられるので、お母様にはとても不利です」

 母から「ふっ、ふふ」と笑い声が聞こえてきた。その声は、だんだんとすすり泣く声に代わっていく。

「仕事のことは、あの人が私のことを気遣ってくれているのかと……。愛人を抱えていても、まだ私に情が残っていると思っていたの……」

 母の頬を涙が伝っていく。

「お母様……」

 涙を浮かべたディアナを見て、母は困ったように微笑んだ。

「心配かけてごめんなさいね。それで、私はどうしたらいいのかしら? その専門家の方は、なんておっしゃっていたの?」
「ここからは、ご本人から聞いたほうがいいと思います」

 ディアナは、母のメイドに合図を送り、外で待機していたカーラとグレッグを室内に入れた。

「この方達は、カーラ様とグレッグ様です」

 ディアナが紹介すると、二人はそろって敬礼する。そして、グレッグが一歩前に出た。

「グレッグと申します。主に法務を担当しています。バデリー伯爵夫人の現状をお伺いしてもいいでしょうか?」

 戸惑う母にディアナは「この方は、信頼していい方です」と伝えると、母は小さく頷いた。

「よろしくお願いします。数年前からデイバー家は、お金で事務担当者を数人雇って、その者達に仕事をしてもらっています。もちろん、最終決定権は夫と私にありますが、皆、良く仕事ができるので、私は書類を確認してサインするくらいしか仕事がありませんわ」

 母の言葉に、グレッグが首をひねった。

「ということは、夫人だけでなく、バデリー伯爵も書類へのサインくらいしかしていないということですか?」
「さぁ? 私には分かりません。夫に長く仕えている執事がいるので、彼に聞けば分かるかもしれませんね」

 控えていたメイドに執事の場所を尋ねると「最近は、事務室にいることが多いです」と返ってきた。

 グレッグは「ちょうどいいので、事務室に案内していただけませんか?」と母にお願いしている。

「もちろんです」

 事務室に向かう途中、ディアナはそっと母に耳打ちされた。

「この方達、騎士よね?」

 母の視線の先には、カーラとグレッグがいる。

(お母様は、ライオネル殿下のことを恐れているから、今はまだ本当のことを言わないほうがいいわよね?)

 跡継ぎ問題が解決したら、必ず母にもライオネルとのことを話そうと決めてから、ディアナは微笑んだ。

「はい。私が信頼している方が、派遣してくださいました」
「そう……」

 何か感じたのか、母はそれ以上、何も尋ねなかった。

 事務室の中では、机が五つほど置かれていて、それぞれ書類が積まれていた。

 母とディアナに気づいた事務担当者達は、慌てて立ち上がり頭を下げる。

 母が「気にしないで、仕事を続けて」と告げると、皆、戸惑いながらも仕事に戻っていった。

 その中で、仕事に戻らず慌てて駆けてきたのは、この家の執事だ。

「奥様、お嬢様!? 何か問題がありましたか?」

 母は、困った顔でため息をつく。

「ちょっとね」と言葉を濁した母は、グレッグを振り返った。

「先ほど話した執事よ。夫のことは、彼から聞いてね」
「分かりました」

 母は、女性の事務担当者のもとへ向かった。そして、ディアナに紹介する。

「彼女が、伯爵夫人の仕事を担当しているメイよ」
「初めまして、お嬢様」

 ニッコリと微笑んだメイは、気品が漂う中年女性だった。

「彼女ね、元伯爵夫人だったの。でも、戦で夫を亡くしてね。二人の間に、子どもがいなかったから、家から追い出されてしまったそうよ」

 ディアナが「そんな、ひどい」と囁くと、メイは「この国では、よくあることです」と笑う。

「再婚するのは嫌だったし、実家に戻っても居場所がなかったので、こちらに雇ってもらえて感謝しておりますわ」
「私こそメイには、いつも感謝しているわ」

 ディアナの目には、母とメイはお互いに信頼し合っているように見えた。そのとき、メイから白い蝶が出てきた。

――ありがとうございます。

 彼女の言葉に嘘や偽りはないようだ。

(メイさんをこちらの味方につけることはできないかしら?)
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