だから愛は嫌だ~虐げられた令嬢が訳あり英雄王子と偽装婚約して幸せになるまで~

20 解決策

 事務担当者達を雇っているのは、ディアナの父であるバデリー伯爵だ。なので、メイや他の事務官たちは、父の指示に従うことになる。

(事務担当者達が、お母様が仕事をしていなかったと証言したら、こちらに勝ち目はないわ)

 そんなことをディアナが考えていると、執事と話していたグレッグが近寄ってきた。

「ディアナ様。少しいいでしょうか?」

 呼ばれるままに、事務室の端に行くと、そこにある棚には書類が山のように積み上げられていた。

 ディアナが「すごい量ね」と呟くと、執事は困ったような顔をする。

「これらは、すべて旦那様のサイン待ちの書類なのです」
「これが全部?」
「はい。旦那様はめったにこちらに寄ってくださらないので、溜まる一方でして」

 ディアナは、ふと前に父の執務室に呼び出されたときに見た執事の様子を思い出した。

(そういえばあのとき、書類の束を抱えながらお父様に何か報告していたわね)

 父はと言うと、必死な執事に「分かった。その件は後だ」と伝え、シッシッと手で追い払っていた。

 執事は、「急ぎのものもありますし、どうしたものやら」と、ハンカチで汗を拭いている。

 グレッグが「要するに、バデリー伯爵が当主の仕事を長年さぼっているということですね?」と確認すると、執事は「えー……。まあ、そうとも言えますね」と視線をそらす。

 グレッグは、執事に聞こえないように「こちらとしては、好都合ですね」とディアナに囁いた。

「これなら、もし裁判に持ち込まれて『夫人が仕事をしていない』と言われても、『いや、あなたもしていませんよね?』と返すことができます」
「そうね。でも、事務担当者達は、雇い主である父にとって不都合な発言をするかしら?」
「そうか。それもそうですね」
「どうにかして、彼らを私達の味方につけたいのだけど……」

 ディアナは、積み上がった書類を指さす。

「たとえばこの書類の山を、お母様のサインで処理する、なんてことはできないかしら?」

 そうすれば、母は仕事をしているし、困っている執事や事務担当者達にも恩が売れる。

 グレッグは、難しい顔をしながら腕を組んだ。

「いや、それはさすがに無理ですね。当主の仕事を代わりにできるのは、跡を継ぐ権利を持つ者だけですから」
「跡を継ぐ権利……」

 ディアナは、今度は自分を指さす。

「一人娘の私は、嫁に出るまでは一応後継者だけど?」

 ハッとなったグレッグは、「そ、それだ!」と叫んだ。

「夫人に当主の代理はできませんが、ディアナ様が当主の代理をすることはできます! もちろん、条件がありますけど!」
「その条件は?」

 グレッグは、指を二本立てた。

「一つ目は、当主が、当主の仕事をできない状況になっていること。まぁ普通は、病気やケガをしていたり、戦場に行っていたり、ですね」
「お父様は、長く当主の仕事をしていないらしいから、当てはまっているわね。二つ目は?」
「当主が、代理人を認めると書かれた書類にサインすることです」
「それは……。お父様に私を、当主の代理人と認めてもらわないといけないってこと?」
「そうですね」
「私はお父様に嫌われているから無理よ」

 ガックリと肩を落としたグレッグの背後から、執事が顔を出した。

「失礼ながら、お話は聞かせていただきました」

 話に夢中になって、いつのまにか声が大きくなってしまっていたようだ。

 ディアナが「あなたは、反対なの?」と尋ねると、執事は「とんでもない!」と首を左右に振る。

「私は、バデリー伯爵家にお仕えしていることを誇りに思っています。しかし、旦那様の仕事が滞り、すでに内外問わず、あちこちから苦情が出ております。このままでは、バデリー伯爵家の名声は地に落ちてしまうでしょう」

 そのとき、執事から黒い蝶が出てきた。

 ――嫌だ。
 ――もう疲れた。

(これまで、お父様に苦労を強いられていたのね)

 執事は「そんなことになれば、先代にお仕えしていた私の父に顔向けできません」と涙を流す。

 ディアナは念のために「私が当主代理になることには賛成なの?」と尋ねた。

「もちろんです!」と答えたと同時に、執事の蝶が白くなり『嬉しい!』と囁く。

(彼のことも、信じてよさそうね)

 張り切る執事は、「当主代理の件は、私にお任せください。旦那様は、書類をよく読まずサインをされるので、交ぜておけば問題ないかと。それと……」と言いながら、ディアナを見つめた。

「私は奥様にもお嬢様にも、幸せになってほしいと思っています」
「え?」

 驚くディアナに、執事は真摯な目を向ける。

「旦那様が愛人にのめり込み、奥様を蔑ろにしていることに私は賛成できません。それに、先日、お嬢様の婚約者ロバート様が来たとき、私や複数のメイド達が、ロバート様が発したお嬢様への暴言を聞いてしまい……」

 執事は、ディアナからの手紙を受け取ったロバートが、バデリー家に怒鳴り込んで来たときのことを言っているようだ。

「こんな乱暴な方と一緒になって、お嬢様が幸せになれるのかと、皆、心配しております」
「そうだったのね……」

 ディアナは執事の手を両手で包み込んだ。

「心配しないで。ロバート様とは近いうちに婚約解消するわ」
「良かったです! でしたら、お嬢様がバデリー家を継がれるのですか?」

 嬉しそうな執事に、ディアナは小さく首を振る。

「別の方と婚約する予定なの。とてもお優しい方よ」
「そうなのですね!」
「でも、すぐに結婚する訳では無いから、バデリー伯爵家の当主代理もしっかりやるわ」

 さすがにライオネルとの婚約は契約なので、お互いの問題が解決したら、その後はどうなるか分からないとは言えない。

(もしかしたら、その後はライオネル様と婚約解消して、私がこの家を継ぐことになるかもしれないわね)

 だとしたら、当主代理はいい勉強になりそうだ。

「私は、ここで働いてくれている皆のことが大好きなの。だから、当主代理になったら一生懸命、働くわ」
「お嬢様……」

 ディアナと執事は微笑み、うなずき合った。
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