だから愛は嫌だ~虐げられた令嬢が訳あり英雄王子と偽装婚約して幸せになるまで~
28 不思議な蝶
(少しでもライオネル殿下の心が穏やかになれますように)
そう願って抱きしめたはずが、ディアナは涙を止めることができず号泣してしまった。
気がつけばライオネルの膝の上に座らされて、頭をよしよしと撫でられている。
「わ、私ったら。申し訳ありません!」
慌ててライオネルの膝から降りて謝罪する。
「少しは落ち着いたか?」
そう尋ねたライオネルの周りには、色とりどりの花びらが積み重なっていた。
ピンクやオレンジや赤色のものまである。
「俺のために泣いてくれるのは嬉しいが、あなたは笑顔のほうが似合う」
「……私も殿下には、笑顔でいてほしいです」
ライオネルがフッと微笑んだ。その優しそうな笑みに思わずディアナは見惚れてしまう。
「あなたのその青いドレスに似合う、アクセサリーを贈ってもいいだろうか?」
「えっあっ、はい」
驚くディアナの髪を、ライオネルは少しだけすくう。
「婚約発表が待ち遠しい。俺がパーティーに参加する日を楽しみにする日が来るなんて、夢にも思わなかった」
そう言いながら、ディアナの髪にキスをしたので、胸が高鳴りすぎてディアナは何も言えなくなった。
*
それからあっという間に月日が過ぎて、王太子妃殿下の誕生パーティーが開催された。
青いドレスで着飾ったディアナは、迎えに来てくれたライオネルのエスコートを受けて豪華な馬車に乗り込む。
ライオネルが何かを言う前に、彼の蝶が『美しい』と言ってくれたので、ディアナはホッと胸を撫で下ろした。
「そのドレス、よく似合っている」
「ありがとうございます」
そう言ったライオネルは、いつもの真っ黒な正装ではなく、黒の中に青色を取り入れた衣装を着ていた。
ディアナが「色を合わせてくださったのですか?」と尋ねると「似合わないだろうか?」と返ってくる。
「いいえ、とてもお似合いです。素敵すぎて見惚れてしまいました」
耳を真っ赤にしているライオネルが可愛い。
「ああ、そうだ。これを」
ライオネルは、馬車の席に置いてあった箱をパカッと開いた。
そこには、豪華なネックレスとイヤリングが並んでいる。大きな青い宝石は、サファイアだろうか? 金の部分には、贅沢にダイヤモンドが敷き詰められている。
「あなたの好みに合うか分からないが」
ディアナは一目で、これはとても価値のあるものだと気がついた。お金が有り余っているデバリー伯爵家でも、このクラスのアクセサリーを買うのは人生で一度あるかないかの代物だ。
「ここまで高価なものは……」
受け取れませんとディアナが言う前に、ライオネルが「あなたを想いながら選ぶのは楽しかった」と口元を緩めたので断れなくなる。
結局お礼を言って受け取ると、ライオネルがアクセサリーをつけてくれた。
「器用ですね」
「そうだろうか? あなたに身に着けてほしくて、つけ方は教えてもらってきたが」
(殿下は王族なのに……)
本来なら多くの使用人にかしずかれて、不自由ない生活を約束された人だった。それなのに、戦場で過ごした七年間、自分のことだけではなく、多くの配下達の面倒までみてきたのだろう。
ライオネルの蝶が『愛らしい』『愛おしい』と囁いている。そんな蝶とは真逆で、ライオネルは真剣な表情をしていた。
「以前も話したが、俺は陛下に敵視されている。あなたやデバリー伯爵家には害が及ばないように細心の注意を払っているが、もし予想外にあなたを嫌な目に遭わせてしまったらと不安だ」
ディアナはニコリと微笑んだ。
「ご心配なく。ロバート様との婚約を解消してくださったことや、法律に詳しいグレッグ様を寄こしてくださったことなど、殿下に受けたご恩は決して忘れておりません。何が起ころうと、私は殿下の婚約者です」
ライオネルの蝶が『複雑だ』と呟く。
なぜか無表情なライオネルが肩を落としているように見えた。それでも、ディアナはライオネルへの好意を伝えることができない。
(殿下に笑っていてほしいと伝えた言葉は嘘じゃないわ。でも私には、愛が分からない……)
ライオネルがディアナに向けてくれている感情は、幻覚の花びらを見る限り愛に近いようだ。しかし、黒い花びらを散らせるロバートの感情も、歪んだ愛の一種だと花言葉で知ってしまった。
(それにお父様は、お母様を確かに愛していたのに、今はもう見向きもしない。そして、愛していた人が産んだはずの私は疎まれている)
ディアナからすれば、夫婦愛も、親子愛も、男女の愛もすべて悪い夢のようだ。
ライオネルのことは、お互いに利益のある契約婚約だからこそ信じられている。
(もし、契約が終わりお互いの気持ちだけで関係を続けないといけなくなったとき、私は殿下のことをこれまで通り信頼できるかしら?)
そんなことを考えているうちに、ディアナ達を乗せた馬車は、王宮にたどり着いた。
ライオネルにエスコートされて向かった先は、パーティー会場ではなく、王族専用の控室だった。
その部屋の中で王太子夫妻に出迎えられたので、ディアナは頭が真っ白になった。
美しい王太子妃に「あなたがデバリー伯爵令嬢なのね。ディアナと呼んでもいいかしら?」と尋ねられたので、ディアナは必死に「はい」と答える。
「じゃあ、私のことは『お姉様』と呼んでね」
「は、はい。お姉様。光栄です」
言われるがままに呼ぶと、王太子妃は「まぁまぁ」と嬉しそうだ。彼女から白い蝶が飛び出し『素直で可愛い』と囁く。そして、「レオンなんて、何度言っても呼んでくれなかったのに」と言いながら王太子妃は、ライオネルを睨みつけた。
(レオンって、ライオネル殿下の愛称なのね)
黄金の豊かな髪を持つ王太子妃と、仮面をつけた金髪碧眼の王子様が並ぶと、まるで一枚の絵画のようだ。
(なんてお似合いなの……。私、場違いじゃないかしら?)
ディアナが不安に思ったとき、コホンと咳払いが聞こえた。
ライオネルとよく似た王太子が、ディアナを見つめている。ディアナは慌てて淑女の礼をとった。
「王太子殿下にご挨拶を申し上げます」
「いいよいいよ、君はもう私達の妹になるのだから」
無礼がないようにそっと視線を泳がせて、ディアナは王太子の蝶を探した。
(いないわ)
王太子は、そんなディアナに顔を近づけてそっと囁いた。
「こらこら、そんなに分かりやすく、蝶を探してはいけないよ」
「!?」
驚くディアナに、王太子はパチンとウィンクする。
そのとき、ライオネルがディアナの肩を抱き寄せた。
「兄さん。距離が近すぎです」
「すまないね。ちょっとディアナ嬢と大事な話があるから、二人きりにしてほしいんだ」
(そんなことを言って、王太子妃殿下のご不興をかいでもしたら……)
あせるディアナとは裏腹に、王太子妃は「もし、あなたがディアナちゃんを虐めたら、ダンスのときに足を踏んづけてやりますからね」と王太子を牽制する。
王太子妃の蝶は『面白そう』と囁き、ライオネルの蝶は『不安だ』と告げながら、二人は部屋から出て行った。
「さてと」
急に静かになった室内に、王太子の声だけが響いている。ディアナは、自分の心臓の音をこれほどうるさく感じたことはなかった。
「ディアナ嬢は、頭を強く打って、血を流していたね?」
「は、はい」
もうディアナの喉は、カラカラだ。
「そのときから、不思議な蝶が見えるようになったんじゃないかな?」
「……はい」
「蝶は、その人が強く思ったことを教えてくれるよね? 他にも花びらが見えることもあるんじゃないかな?」
ディアナは、王太子の言葉を聞きながら、ライオネルの話を思い出していた。
――一度、父上が俺と間違えて、兄上に切りかかろうとしたことがあってな。兄は頭を強く打って、血を流してしまった。
(私と同じ……)
ディアナも頭を強く打って、血を流したときから、不思議な蝶が見え始めた。
「王太子殿下も……。殿下にも蝶が見えているのですね?」
王太子は、ゆっくりと頷いた。
そう願って抱きしめたはずが、ディアナは涙を止めることができず号泣してしまった。
気がつけばライオネルの膝の上に座らされて、頭をよしよしと撫でられている。
「わ、私ったら。申し訳ありません!」
慌ててライオネルの膝から降りて謝罪する。
「少しは落ち着いたか?」
そう尋ねたライオネルの周りには、色とりどりの花びらが積み重なっていた。
ピンクやオレンジや赤色のものまである。
「俺のために泣いてくれるのは嬉しいが、あなたは笑顔のほうが似合う」
「……私も殿下には、笑顔でいてほしいです」
ライオネルがフッと微笑んだ。その優しそうな笑みに思わずディアナは見惚れてしまう。
「あなたのその青いドレスに似合う、アクセサリーを贈ってもいいだろうか?」
「えっあっ、はい」
驚くディアナの髪を、ライオネルは少しだけすくう。
「婚約発表が待ち遠しい。俺がパーティーに参加する日を楽しみにする日が来るなんて、夢にも思わなかった」
そう言いながら、ディアナの髪にキスをしたので、胸が高鳴りすぎてディアナは何も言えなくなった。
*
それからあっという間に月日が過ぎて、王太子妃殿下の誕生パーティーが開催された。
青いドレスで着飾ったディアナは、迎えに来てくれたライオネルのエスコートを受けて豪華な馬車に乗り込む。
ライオネルが何かを言う前に、彼の蝶が『美しい』と言ってくれたので、ディアナはホッと胸を撫で下ろした。
「そのドレス、よく似合っている」
「ありがとうございます」
そう言ったライオネルは、いつもの真っ黒な正装ではなく、黒の中に青色を取り入れた衣装を着ていた。
ディアナが「色を合わせてくださったのですか?」と尋ねると「似合わないだろうか?」と返ってくる。
「いいえ、とてもお似合いです。素敵すぎて見惚れてしまいました」
耳を真っ赤にしているライオネルが可愛い。
「ああ、そうだ。これを」
ライオネルは、馬車の席に置いてあった箱をパカッと開いた。
そこには、豪華なネックレスとイヤリングが並んでいる。大きな青い宝石は、サファイアだろうか? 金の部分には、贅沢にダイヤモンドが敷き詰められている。
「あなたの好みに合うか分からないが」
ディアナは一目で、これはとても価値のあるものだと気がついた。お金が有り余っているデバリー伯爵家でも、このクラスのアクセサリーを買うのは人生で一度あるかないかの代物だ。
「ここまで高価なものは……」
受け取れませんとディアナが言う前に、ライオネルが「あなたを想いながら選ぶのは楽しかった」と口元を緩めたので断れなくなる。
結局お礼を言って受け取ると、ライオネルがアクセサリーをつけてくれた。
「器用ですね」
「そうだろうか? あなたに身に着けてほしくて、つけ方は教えてもらってきたが」
(殿下は王族なのに……)
本来なら多くの使用人にかしずかれて、不自由ない生活を約束された人だった。それなのに、戦場で過ごした七年間、自分のことだけではなく、多くの配下達の面倒までみてきたのだろう。
ライオネルの蝶が『愛らしい』『愛おしい』と囁いている。そんな蝶とは真逆で、ライオネルは真剣な表情をしていた。
「以前も話したが、俺は陛下に敵視されている。あなたやデバリー伯爵家には害が及ばないように細心の注意を払っているが、もし予想外にあなたを嫌な目に遭わせてしまったらと不安だ」
ディアナはニコリと微笑んだ。
「ご心配なく。ロバート様との婚約を解消してくださったことや、法律に詳しいグレッグ様を寄こしてくださったことなど、殿下に受けたご恩は決して忘れておりません。何が起ころうと、私は殿下の婚約者です」
ライオネルの蝶が『複雑だ』と呟く。
なぜか無表情なライオネルが肩を落としているように見えた。それでも、ディアナはライオネルへの好意を伝えることができない。
(殿下に笑っていてほしいと伝えた言葉は嘘じゃないわ。でも私には、愛が分からない……)
ライオネルがディアナに向けてくれている感情は、幻覚の花びらを見る限り愛に近いようだ。しかし、黒い花びらを散らせるロバートの感情も、歪んだ愛の一種だと花言葉で知ってしまった。
(それにお父様は、お母様を確かに愛していたのに、今はもう見向きもしない。そして、愛していた人が産んだはずの私は疎まれている)
ディアナからすれば、夫婦愛も、親子愛も、男女の愛もすべて悪い夢のようだ。
ライオネルのことは、お互いに利益のある契約婚約だからこそ信じられている。
(もし、契約が終わりお互いの気持ちだけで関係を続けないといけなくなったとき、私は殿下のことをこれまで通り信頼できるかしら?)
そんなことを考えているうちに、ディアナ達を乗せた馬車は、王宮にたどり着いた。
ライオネルにエスコートされて向かった先は、パーティー会場ではなく、王族専用の控室だった。
その部屋の中で王太子夫妻に出迎えられたので、ディアナは頭が真っ白になった。
美しい王太子妃に「あなたがデバリー伯爵令嬢なのね。ディアナと呼んでもいいかしら?」と尋ねられたので、ディアナは必死に「はい」と答える。
「じゃあ、私のことは『お姉様』と呼んでね」
「は、はい。お姉様。光栄です」
言われるがままに呼ぶと、王太子妃は「まぁまぁ」と嬉しそうだ。彼女から白い蝶が飛び出し『素直で可愛い』と囁く。そして、「レオンなんて、何度言っても呼んでくれなかったのに」と言いながら王太子妃は、ライオネルを睨みつけた。
(レオンって、ライオネル殿下の愛称なのね)
黄金の豊かな髪を持つ王太子妃と、仮面をつけた金髪碧眼の王子様が並ぶと、まるで一枚の絵画のようだ。
(なんてお似合いなの……。私、場違いじゃないかしら?)
ディアナが不安に思ったとき、コホンと咳払いが聞こえた。
ライオネルとよく似た王太子が、ディアナを見つめている。ディアナは慌てて淑女の礼をとった。
「王太子殿下にご挨拶を申し上げます」
「いいよいいよ、君はもう私達の妹になるのだから」
無礼がないようにそっと視線を泳がせて、ディアナは王太子の蝶を探した。
(いないわ)
王太子は、そんなディアナに顔を近づけてそっと囁いた。
「こらこら、そんなに分かりやすく、蝶を探してはいけないよ」
「!?」
驚くディアナに、王太子はパチンとウィンクする。
そのとき、ライオネルがディアナの肩を抱き寄せた。
「兄さん。距離が近すぎです」
「すまないね。ちょっとディアナ嬢と大事な話があるから、二人きりにしてほしいんだ」
(そんなことを言って、王太子妃殿下のご不興をかいでもしたら……)
あせるディアナとは裏腹に、王太子妃は「もし、あなたがディアナちゃんを虐めたら、ダンスのときに足を踏んづけてやりますからね」と王太子を牽制する。
王太子妃の蝶は『面白そう』と囁き、ライオネルの蝶は『不安だ』と告げながら、二人は部屋から出て行った。
「さてと」
急に静かになった室内に、王太子の声だけが響いている。ディアナは、自分の心臓の音をこれほどうるさく感じたことはなかった。
「ディアナ嬢は、頭を強く打って、血を流していたね?」
「は、はい」
もうディアナの喉は、カラカラだ。
「そのときから、不思議な蝶が見えるようになったんじゃないかな?」
「……はい」
「蝶は、その人が強く思ったことを教えてくれるよね? 他にも花びらが見えることもあるんじゃないかな?」
ディアナは、王太子の言葉を聞きながら、ライオネルの話を思い出していた。
――一度、父上が俺と間違えて、兄上に切りかかろうとしたことがあってな。兄は頭を強く打って、血を流してしまった。
(私と同じ……)
ディアナも頭を強く打って、血を流したときから、不思議な蝶が見え始めた。
「王太子殿下も……。殿下にも蝶が見えているのですね?」
王太子は、ゆっくりと頷いた。