だから愛は嫌だ~虐げられた令嬢が訳あり英雄王子と偽装婚約して幸せになるまで~

27 醜い男なんていない

 ――殿下に好かれたいと思ってしまっている。

 そんな自分の気持ちに気がついたディアナの頬が赤く染まった。

 恥ずかしくて顔を上げられなくなったディアナの耳に、ライオネルの蝶の囁きが聞こえてくる。

 ――あなたに触れたい。

 驚いて顔を上げると、ディアナの顔のすぐ横に、ライオネルの左手があった。しかし、動きを止めたライオネルは、それ以上、手を動かそうとはしない。

 ディアナは首を傾けて、その大きな手にそっとすり寄った。ディアナの頬に、ライオネルの手のひらが当たっている。

 ライオネルは何も言わないし、彼の蝶の声も複雑すぎて聞き取れない。ディアナも何も言わなかった。

 ただ、ライオネルの体温を感じながら、見つめ合っているだけで、幸せな気持ちになれたから。

 どれくらいそうしていただろうか。

 ライオネルが愛おしそうにディアナの頬をなでた後、「あなたに話しておきたいことがある」と切り出した。彼の蝶は、しきりに何かを不安がっている。

(きっと重要なお話なのね)

 ディアナは、ライオネルにソファーに座るように勧めると、自分も向かいのソファーに腰を下ろした。

 ライオネルの低く落ち着いた声が、静かな部屋に響く。

「以前、俺は『醜い男だ』という話をしたな。そして、あなたは『醜くない』と言ってくれた」
「はい」

 前にその話が出たとき、ライオネルの蝶は『言いたくない』と呟いていた。なので、ディアナも『これ以上踏み込んではいけない』とすぐに会話を切り上げたことを覚えている。

「どこから話したものか……。隣国と戦争になった原因をあなたは知っているだろうか?」
「はい」

 戦争の発端は、友好を深めるために、王妃が隣国へと向かったことだった。その帰り道、隣国内で王家の馬車が襲われて、王妃は帰らぬ人となった。

「実は俺は、母上が乗っていた馬車に同乗していたんだ。このことは、公にはされていない」
「え?」

 それは、ディアナの知っている情報と異なっていた。

「私はあの事件では、護衛騎士も含めて、すべての人が亡くなったと聞いていました」

 王妃の護衛は、精鋭部隊だったが、敵の数が多すぎて守り切ることができなかった。しかしながら、最後まで王妃を守ろうと命がけで戦ったとして、彼らは罰を受けず、勇敢な者達として埋葬された。

「俺達が乗った馬車が襲われたとき、馬車が横転してな。その衝撃で俺は気を失ってしまったんだ。意識を取り戻したときには、血まみれの母上が、俺をかばうように覆いかぶさっていた。犯人たちは、野盗の類ではなく、確実に訓練された兵士の動きだった」

 その後のライオネルは、なんとかこの情報を祖国に持ち帰らなければと思い、自分も脇腹を刺されていたにも拘わらず、命がけで国境を目指したそうだ。

「俺はいつのまにか気を失っていて、ベッドの上で目覚めたときは、自国の国境警備隊に保護されていた。しばらく傷を癒やしてから、王都に戻り国王に謁見したが……」

 王はライオネルの帰還を喜ぶどころか、剣で切りかかってきたそうだ。

「父上は、『どうして妃が死んで、おまえだけがおめおめと戻ってきたのだ』と。命がけで母を守らなかった俺を許せなかったようだ」

 ライオネルは、額の切り傷を指差す。

「この傷は、父に切りかかられたときにできたものだ」
「そんな……」
「その場では、兄が必死に父を止めてくれて、なんとか収まったものの、その日から、父は兄と俺の区別がつかなくなってしまったんだ」

 ディアナは、テーブルに置かれたライオネルの黒い仮面を見た。

「もしかして、殿下が仮面をつけている理由は、国王陛下が王太子殿下とライオネル殿下を見分けられるように、ですか?」

 ライオネルは、コクリとうなずく。

「一度、父上が俺と間違えて、兄上に切りかかろうとしたことがあってな。兄は頭を強く打って、血を流してしまった。それ以来、俺は王宮内では仮面をつけるようにしたんだ。この仮面をつけていれば、父が兄を攻撃することはないからな」

 ディアナは、前に聞いたライオネルの言葉を思い出していた。

 ――「昔、命を狙われたことがあってな。これは、そのときにできた傷だ。仮面は命を守るためにつけている」

(ライオネル殿下の命を狙ったのは、国王陛下。そして、仮面は王太子殿下の命を守るためにつけていたのね)

 ディアナは、ぎゅっと胸が締めつけられた。

「そんな……。殿下は何も悪くないじゃないですか」
「しかし、俺が母を守れなかったのは事実だ」

 淡々と告げるその声が、さらにディアナを苦しくする。

「父には、『生にしがみついた、この醜い化け物が』と毎日のように罵られるようになってな。最終的には『母を弔うために隣国を滅ぼしてこい』と命じられた。それから、戦場で七年。確かに俺は、生にしがみついた醜い者だった。死にたくないと何度も思ったからな」

 自嘲するように笑うライオネルが痛ましい。

「あなたと婚約する前に俺が心配していたのは、公にはされていないが、この事実をディアナ嬢の父世代の高位貴族なら、知っている可能性があったからだ。こんな醜い男に娘を嫁がせようと思う親はいないだろうと思っていた」

 ディアナの頬を涙が伝っていく。

(七年前なら、ライオネル殿下はまだ成人していなかったはず)

 母の死を目の前で見ただけでもつらいのに、そのすべての罪を背負わされて戦場に追いやられた少年がディアナの脳裏に浮かんだ。

「こんなことで、あなたの心の傷を癒やすことはできませんが」

 ソファーから立ち上がったディアナは、ライオネルのそばに行き、そっと彼を抱きしめた。

「生きててくださって、ありがとうございます」

 ライオネルから返事はなかったが、その代わりにディアナの背中にライオネルの逞しい腕が回る。彼の蝶がポツリと『生きてて良かった』と囁いたので、ディアナはまた涙を流した。
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