縁結びの神様、恋を知る
家に帰ると、玄関にはほのかに炊き立てのご飯の匂いが漂っていた。
靴を脱いで「ただいま」と声をかけると、すぐに居間の方から返事が返ってくる。
「おかえり」
翡翠様の声だ。少し低くて落ち着いているけれど、いつもより柔らかい。
台所を覗くと、紗霧様が割烹着姿で夕食の支度をしていた。 ちゃぶ台の上には味噌汁と煮物、そして康親様が焼いている―――なぜか焦げかけの魚。
「魚...えっ?」
「おかえり〜!いやぁ、焦げるのは計算通りだから!」
「それ絶対嘘でしょ」
「違う違う!“香ばしさ”ってやつだよ!」
康親様はあたふたしながらフライパンを振っている。 紗霧様は呆れたように息をつき、代わりに火加減を調整した。
「少しでもお前の火加減を信じた私が馬鹿だった」
「えぇ〜?確かに僕は火を司るけど、料理が上手いかどうかは別物でしょ」
「言い訳するな」
私はそのやり取りを見ながら、ふっと笑ってしまった。 朝はあんなに重かった気持ちが、今は嘘みたいに軽い。
康親様が「何とか言い訳できた記念日〜」と叫んで、焦げ魚をひょいと皿に移す。
「……それ記念料理?」 その向こうで、康親様がまた何か焦がして、紗霧様に怒られていた。
「おい、また煙が……!」
「違う違う、これ演出だってば〜!」
「翡翠、変われ!」 そう紗霧様が叫ぶと同時に、本を読んでいた翡翠様が康親様の襟首を掴んで台所から放り出す。
「ぎゃー!」
そして嘘泣きしながら抱きついてくる泰親様を引っ剥がし、制服から着替える。
真っ白な白衣から覗く海棠色の掛衿、下は同じ色の短めの袴。
日ノ本の神として生まれたからか、制服以外の洋服は持っていない。それは泰親様も同じだ。
居間に四人が揃う頃には、部屋いっぱいに湯気と出汁の香りが満ちていた。
焦げかけだった魚も、紗霧様の手で見事に“香ばしい焼き加減”へと生まれ変わっている。真っ黒で取り返しのつかなくなった魚は強制的に康親様のお皿に乗っていた。
「いただきます」
声を揃えると、康親様が真っ先に箸を伸ばし、翡翠様がそれを軽く睨んだ。
「……少しは落ち着いて食え」
「いやぁ、お腹すいちゃってさ〜!天音たんも、ほら、早く食べよ!」
「うん…大丈夫なの?それ」
「大丈夫大丈夫!」
康親様は笑顔で黒く炭化した魚をつまみ上げる。箸の先からぽろりと焦げが落ち、ちゃぶ台に黒い点を残した。
「……それ、炭じゃないの?」
「“炭火焼”って言葉があるでしょ?つまりこれは“直炭焼”!」
「…なるほど?」
翡翠様がすかさず低い声で突っ込む。
「なるほどじゃない。食うな、天音」
「えぇ!?僕の料理を信じないの!?」
「信じる以前に、食べ物と呼べるかも怪しい」
紗霧様が呆れたようにため息をつき、康親様の皿に新しい魚をひょいと乗せた。
それは紗霧様が焼いた、ほどよく焦げ目のついた見事な一品だった。
「おぉ〜!やっぱ紗霧ちゃんの魚は芸術品だねぇ。……でも、僕のやつも負けてないと思うんだよね」
「何が?」
「存在感」
「存在するだけで害だ」
「え〜ひっど〜!」
言い争う二人を見ながら、私は飯櫃からご飯を茶碗によそって置いていく。
「康親様と紗霧様が喧嘩したら紗霧様が勝ちそう」
「紗霧が勝つだろうな」
それまで黙々と焼き魚を食べていた翡翠様が口を開いた。
それにヘラヘラした口調で乗っかる康親様。
「昔、紗霧ちゃんの櫛を盗んで売り払ったのがバレて、紗霧ちゃんが作り出した空間に強制転送されたんだよね。本当にヒドイよね〜」
あーうん。康親様がね。
「……またお仕置されたいみたいだな」
紗霧様がぴしゃりと切り捨て、翡翠様が静かにお茶を啜る。
康親様は苦笑いを浮かべながら、箸で魚の身をほぐす。
「その空間から出るのに十年以上かかっちゃった☆」
どんな神術なんだろうか…絶対にかかりたくない。
「だだっ広い空間に沢山扉が浮いているんだけど〜、部屋ごとにトラップが仕掛けてあるんだよね」
「トラップ?」
私が思わず聞き返すと、康親様は魚をつつきながら、まるで昔話でも語るように軽い調子で頷いた。
「そうそう。火の海とか、底なし空間とか、果ては“永遠に説教され続ける部屋”とかさ〜。火の海は僕にとっちゃ、なんてことなかったんだけどね」
(そういや康親様って火山口を露天風呂にする人だったわ……)
「永遠に説教される部屋が一番無理かも」
「でしょ!?あれマジで地獄だったよ。しかも説教してくるのが全部紗霧ちゃんの分身なんだよ?」
「……そんなの、閉じ込められなくても日常だろう」
「よく十年以上もも生きてたね…」
「うん。低確率でホテルの部屋とか食料の部屋みたいに当たりの部屋も用意してくれてたから」
それでも絶対に紗霧様の神術にかかりたくないと思った。
「にしてもさ〜、あの櫛、けっこう高く売れたんだよね」
「……まだ言うか」
翡翠様の声が一気に冷えた。
紗霧様の指先が小さく動いたのを見て、私は一瞬で背筋が凍る。
「ち、違う違う違う!“過去形”の話だから!今は反省してるし!」
「反省……?」
紗霧様が静かに箸を置き、目だけが康親様を射抜く。
「あーん。ごめんね紗霧ちゃん!二度と人の櫛は売りません!!」
「当たり前だ!」
靴を脱いで「ただいま」と声をかけると、すぐに居間の方から返事が返ってくる。
「おかえり」
翡翠様の声だ。少し低くて落ち着いているけれど、いつもより柔らかい。
台所を覗くと、紗霧様が割烹着姿で夕食の支度をしていた。 ちゃぶ台の上には味噌汁と煮物、そして康親様が焼いている―――なぜか焦げかけの魚。
「魚...えっ?」
「おかえり〜!いやぁ、焦げるのは計算通りだから!」
「それ絶対嘘でしょ」
「違う違う!“香ばしさ”ってやつだよ!」
康親様はあたふたしながらフライパンを振っている。 紗霧様は呆れたように息をつき、代わりに火加減を調整した。
「少しでもお前の火加減を信じた私が馬鹿だった」
「えぇ〜?確かに僕は火を司るけど、料理が上手いかどうかは別物でしょ」
「言い訳するな」
私はそのやり取りを見ながら、ふっと笑ってしまった。 朝はあんなに重かった気持ちが、今は嘘みたいに軽い。
康親様が「何とか言い訳できた記念日〜」と叫んで、焦げ魚をひょいと皿に移す。
「……それ記念料理?」 その向こうで、康親様がまた何か焦がして、紗霧様に怒られていた。
「おい、また煙が……!」
「違う違う、これ演出だってば〜!」
「翡翠、変われ!」 そう紗霧様が叫ぶと同時に、本を読んでいた翡翠様が康親様の襟首を掴んで台所から放り出す。
「ぎゃー!」
そして嘘泣きしながら抱きついてくる泰親様を引っ剥がし、制服から着替える。
真っ白な白衣から覗く海棠色の掛衿、下は同じ色の短めの袴。
日ノ本の神として生まれたからか、制服以外の洋服は持っていない。それは泰親様も同じだ。
居間に四人が揃う頃には、部屋いっぱいに湯気と出汁の香りが満ちていた。
焦げかけだった魚も、紗霧様の手で見事に“香ばしい焼き加減”へと生まれ変わっている。真っ黒で取り返しのつかなくなった魚は強制的に康親様のお皿に乗っていた。
「いただきます」
声を揃えると、康親様が真っ先に箸を伸ばし、翡翠様がそれを軽く睨んだ。
「……少しは落ち着いて食え」
「いやぁ、お腹すいちゃってさ〜!天音たんも、ほら、早く食べよ!」
「うん…大丈夫なの?それ」
「大丈夫大丈夫!」
康親様は笑顔で黒く炭化した魚をつまみ上げる。箸の先からぽろりと焦げが落ち、ちゃぶ台に黒い点を残した。
「……それ、炭じゃないの?」
「“炭火焼”って言葉があるでしょ?つまりこれは“直炭焼”!」
「…なるほど?」
翡翠様がすかさず低い声で突っ込む。
「なるほどじゃない。食うな、天音」
「えぇ!?僕の料理を信じないの!?」
「信じる以前に、食べ物と呼べるかも怪しい」
紗霧様が呆れたようにため息をつき、康親様の皿に新しい魚をひょいと乗せた。
それは紗霧様が焼いた、ほどよく焦げ目のついた見事な一品だった。
「おぉ〜!やっぱ紗霧ちゃんの魚は芸術品だねぇ。……でも、僕のやつも負けてないと思うんだよね」
「何が?」
「存在感」
「存在するだけで害だ」
「え〜ひっど〜!」
言い争う二人を見ながら、私は飯櫃からご飯を茶碗によそって置いていく。
「康親様と紗霧様が喧嘩したら紗霧様が勝ちそう」
「紗霧が勝つだろうな」
それまで黙々と焼き魚を食べていた翡翠様が口を開いた。
それにヘラヘラした口調で乗っかる康親様。
「昔、紗霧ちゃんの櫛を盗んで売り払ったのがバレて、紗霧ちゃんが作り出した空間に強制転送されたんだよね。本当にヒドイよね〜」
あーうん。康親様がね。
「……またお仕置されたいみたいだな」
紗霧様がぴしゃりと切り捨て、翡翠様が静かにお茶を啜る。
康親様は苦笑いを浮かべながら、箸で魚の身をほぐす。
「その空間から出るのに十年以上かかっちゃった☆」
どんな神術なんだろうか…絶対にかかりたくない。
「だだっ広い空間に沢山扉が浮いているんだけど〜、部屋ごとにトラップが仕掛けてあるんだよね」
「トラップ?」
私が思わず聞き返すと、康親様は魚をつつきながら、まるで昔話でも語るように軽い調子で頷いた。
「そうそう。火の海とか、底なし空間とか、果ては“永遠に説教され続ける部屋”とかさ〜。火の海は僕にとっちゃ、なんてことなかったんだけどね」
(そういや康親様って火山口を露天風呂にする人だったわ……)
「永遠に説教される部屋が一番無理かも」
「でしょ!?あれマジで地獄だったよ。しかも説教してくるのが全部紗霧ちゃんの分身なんだよ?」
「……そんなの、閉じ込められなくても日常だろう」
「よく十年以上もも生きてたね…」
「うん。低確率でホテルの部屋とか食料の部屋みたいに当たりの部屋も用意してくれてたから」
それでも絶対に紗霧様の神術にかかりたくないと思った。
「にしてもさ〜、あの櫛、けっこう高く売れたんだよね」
「……まだ言うか」
翡翠様の声が一気に冷えた。
紗霧様の指先が小さく動いたのを見て、私は一瞬で背筋が凍る。
「ち、違う違う違う!“過去形”の話だから!今は反省してるし!」
「反省……?」
紗霧様が静かに箸を置き、目だけが康親様を射抜く。
「あーん。ごめんね紗霧ちゃん!二度と人の櫛は売りません!!」
「当たり前だ!」