再び縁結び
19ー運動会
#再び縁結び 19
〈三人称視点〉
青空の下、甘夏小学校の運動会が開催される。1年生達は初めて参加するイベントに心を躍らせていた。そして、初めて頭につける1組を象徴する赤い鉢巻き。自分でつける子、友達に巻いてもらう子、担任に頼む子。バラバラだ。だが、共通しているのは今日の為にどのクラスも競技の練習に力を入れて励んだ。
「しののめ先生、楽しみだねっ、運動会」
蒼夜の笑顔はキラキラと輝いていた。結斗は、1日でも早く仕事に戻れるようにリハビリに明け暮れた。1週間前に、退院をした。担当医であった先生に、「こんなに頑張る患者久しぶりだよ」とまで言われてしまった。
「しののめ先生っ」
次に視界に入って来たのは菫だった。後ろには、見知らぬ男性がいた。目が合うと、その男性は東雲に向かって軽く会釈する。菫が走って駆け寄ると、男も駆け足でこっちに向かって来た。男の手には、紙袋が握られていた。奈沙の姿はない。
「初めまして。菫の父の三色 広信です。この度は妻がご迷惑おかけいたしました。大変申し訳ございませんでした。校長先生から話をお聞きしましたところ、この子の担任である東雲先生や同じクラスの保護者の方にご迷惑をおかけしてしまったみたいで」
「三色さんのお父さんでしたか。でも,どうしてここに...」
それは結斗が倒れた日の,職員会議後まで遡る。
あの後校長は、音葉や理人の言葉通りに低学年の教員が共有している固定電話の通信記録を調べた。
ー東雲先生。やっとダーリンが帰ったから、菫返して欲しいんだけどぉ
「(三色さんのお母さんは育児をしていない...そして旦那に秘密で不倫していたと言う事なのか)」
校長はその事実に耳を疑った。彼も既に孫がいる身だ。不倫などは許すことができない。菫の事を思うと堪忍袋の緒が切れそうになる。
ーその件ですが、桜庭さんに預かってもらっています。
そう言うことだったのか。三色さんの件は思ったより大事になっていたのだと自覚せざるおえなかった。結斗から以前、児童相談所に通して欲しい話があると言われ菫の家庭の事情について話された。その時はあまり大事ではないと思っていた。奈沙への怒りと共に校長は悔しくなった。守れる教員を守れなかったのは自分の罪だと。
ー桜庭さんに連絡して、僕が桜庭さんのお宅に行き、娘さんを連れて、僕が引き渡しますね。
だが、校長の中で疑問もあった。どうして、結斗はある1人の保護者に対してそんなに信頼を寄せていたのだろうと。深く考えるほどわからなかくなる。近くに置いてあった1年1組の名簿を見る。
「(...桜庭さんは確か東雲先生のクラスメイトの親で、入学して初めて会ってそんなに経っていない。それなのにどうしてこんなに信頼できるんだろうか。元恋人とかだったのか)」
そして校長はある噂話を思い出す。
結斗が保護者らしき人物と一緒にいるのを見かけたと言うものだ。本当だったのではと疑い始めた。深く考え始めると頭痛に襲われた。
「(...深く考えるのはやめよう、これ以上は。色々と辛いのは東雲先生なはずだ。本人が何も言わないならそれでいい)」
そして、名簿をめくり後ろに隠れていた書類を見つめた。その書類には、生徒達に何かあった時のための緊急連絡先として親の名前と住所と電話番号が書かれている。春斗の欄には、母親の事しか書かれていない。
「(桜庭...小春さんか。そして、春斗くん...。そして1人で育てているのか)」
何かを察したようにその名前だけを見つめる。目を閉じ、息を整える。
「(この件は教育委員会に報告しなきゃいけない。もしかしたら次の年から東雲先生は)」
結斗は甘夏小学校に来てから約3年が経過していた。彼がどんな人物かは校長もよく知っている。だからこそ他の小学校へ異動して、キャリアを積んでほしい気持ちがある。
そして、次に別の生徒の父親を確認する。受話器を強く握り締め、耳にあてる。
「(これで少しは解決したら良いんですが)」
ー...はい、三色です。
電話に出た向こうの男の声は穏やかで静かなものだった。
ー...お忙しい所失礼いたします。甘夏小学校で校長を勤めております。鈴木と申します。急なお電話で申し訳ございませんが、ちょっと娘さんの事についてご相談が。
そして、今に至るのだ。
「...東雲先生、本当申し訳ございません。校長先生からお話をお聞きしたところ、かなり迷惑をかけてしまっていたみたいで。挙げ句の果てに...入院まで」
広信は深々と頭を下げる。
「いえいえ、それは僕がの夜遅くまで起きてたっていう自業自得の結果ですし。三色さんは何も関係ありませんからっ」
すると広信は、同じ姿勢のまま両手で紙袋を差し出した。そして、頭を少し上げ結斗に視線を合わせた。
「...お詫びの品とは言ったらそれに値しないかもしれませんが、菫の事を守ってくれてありがとうございました」
頑なに結斗は紙袋を受け取ろうとはしない。寧ろ両手で広信の行動を制止したのだ。
「いやいや、そこまで気遣っていただかなくても大丈夫ですから。それに」
「貰ってあげれば良いのではないのですか。東雲先生」
その声に結斗の背筋がピンと張る。背後に小春が立っていた。小春が泣き出し病室を去った以来の再開だ。結斗は正直、小春と顔合わせは気まずくなると感じていたがいつもの彼女で安堵した。
「さ、桜庭さん」
彼に対して小春は静かな声で、だが何処か強く言葉にした。
「せっかく、三色さんが東雲先生への感謝の為に選んでくれたものですよ。教師が保護者からの贈答品を貰わないなんて失礼ですよ」
「...あの、桜庭さん。入院の時は本当に」
「何も言わないでください。春斗が東雲先生の事心配してましたから。それで様子を見に行っただけなので。言葉の意味は深く受け取ってないので」
彼は背後に少し向け、彼女の表情を確認する。鋭い視線。だが、何処か寂しげにも感じた。
「...東雲先生、えっと、クラスの保護者さん...」
広信は不思議そうに2人を見つめる。小春とは初対面だ。それと同時に自分が出張を理由にして、どれだけ娘について関与してこなかったのか痛いほど理解してしまう。広信の言葉に、小春は身体を彼に向ける。
「...桜庭春斗の母親です。初めまして」
「...あぁ、貴方様が春斗くんのお母様でしたか。校長先生から、菫を春斗くんの保護者さんが預かってくれていたと言うお話もお伺いしました。その節はありがとうございました」
「いえいえ。菫ちゃんが来てくれたおかげで春斗も楽しそうでしたし。私にもし女の子がいたらこんな感じだったのかなって想像しました」
だが彼女の目はどこか虚だった。そんな風に結斗は感じた。広信からはもしもの想像をする、幸せな母親として捉えていた。結斗の頭の中は色々な考えがごちゃっと混ざり、胸が苦しくなっていた。
「(もし、あの時...俺が彼女を引き止めていたら。今頃、春斗にも)」
「ママー、見て」
幼い元気な声で2人は現実に引き戻された。小春が下を見ると、春斗がすこし前髪をわけて、かっこよく鉢巻きをかぶっていた。小春は、屈み愛しい息子の頭を撫でる。
「いいね、似合ってるよ。春斗」
「胡桃ちゃんがやってくれたんだっ」
その後ろからトテトテと楓と蒼夜も走ってきた。蒼夜は春斗の髪を続きながら笑う。
「...似合ってる、春斗くん」
菫がそう呟くと、春斗は照れながら笑った。
「えへ、ありがとう」
「春斗、てれてやんのー」
「ひゅーひゅー」
蒼夜と楓が春斗をからかいながら背中を叩く。この仲はいつまで続くかわからないが、願わくば一生この関係を大切にして欲しいと大人は願った。
春斗は、あることを思い出し結斗の顔を見つめた。
「せんせー、体調だいじょーぶですかっ」
習いたての敬語を使って、自分が気になっていたことを尋ねる。結斗は、笑顔を傾ける。生徒達を安心させれるように。
「うん。もう大丈夫だよ。心配だったんだ、君達の身に何か起きないか」
「わー、ママが凄く心配してたんだっ。元気ならよかった、お薬ものんでたりするのー」
すると、小春が固まってしまう。今までは見舞いに来た時も春斗が心配してたからと、理由をつけていた。だが、それ以上に彼女は彼の病態を心配していたのだ。焦って、息子を口止めしようとする。
「うーん、お薬はちょっとだけ飲んでるよ。そっか、春斗くんのママが心配してくれてたんだね」
「ち、ちょっと。春斗っ。春斗が心配してたから、ママはわざわざ先生がいる病院まで行ってあげたの。春斗が勉強頑張ってる代わりに」
どうやら大人の本心など子供には透けてしまうようだ。そんな微笑ましいやりとりに、広信は笑いを隠せない。
「はははっ、そうだね。春斗くん。ママも先生が春斗くんの大切な先生だから余計に心配してたんだと思うよ。無事に戻ってきてくれて本当よかったね」
「おじさんもそう思うよねっ」
広信は頷き少し身を屈め、春斗とグータッチをした。
スピーカーから開会式の始まりの音楽が鳴り響いた。広信は、贈答品を結斗に押し付け春斗と菫と楓と蒼夜を連れて観客席へと向かった。結斗と小春は複雑な表情で顔を見合っていた。小春のバッグについた犬のキーホルダーが揺れる。
「...あの時のこと話したい」
「...東雲先生、今は関係ないでしょ」
「...そうだったね」
「そっちは教師なんですから、少しは私語に気をつけてください」
「ごめんなさい」
彼女は背を向け、応援席へと向かってしまった。結斗は最後までそんな彼女に視線を向けていた。もう、昔みたいに話せない。彼はそう悟ると、納得した顔を浮かべ教員が集まっている場所へと駆け足で向かった。
開会式では全校生徒が集まり開会宣言、選手宣誓、準備体操とプログラムが進められた。1年生達は初めての全校イベントに心躍りながら参加をしていた。
「それでは、甘夏小学校の運動会開幕ですっ」
6年生の運動会実行委員長の声で、会場は拍手が鳴り響く。来賓や保護者達も生徒達の活躍を楽しみにしている。
「まずは1年生対抗、玉入れですっ」
「皆ーっ、頑張って行くぞおおおお」
「おおーっ」
飛竜率いる1年3組は、円陣を組んで気合を入れていた。熱血教師らしいクラスの団結だ。一方、詩織率いる1年2組では、全員で丸まってコソコソと作戦会議が行われていた。
「皆、取り敢えず玉をどんどん投げて1年2組優勝を目指すのよ」
「はーい」
「でもね、優勝よりもこだわらなきゃいけないことがあるの。それはなんだかわかるかな、鈴木さん」
「うーん...わかんなーい」
「それはね、楽しむこと。このクラスで最初の最後の運動会。だから、楽しいって言う気持ちを忘れないでね」
「うん、わかった楽しいっ」
一方、結斗率いる1年1組では軽い準備体操が行われていた。
「怪我したら、大変だからさっきもしたけど、準備体操をこまめにすることは大丈夫。足を伸ばして、アキレス腱もしっかり伸ばして」
結斗が生徒達の前でお手本を見せる。それを真似て、動き出す。
「せんせー、秋です券ってなにー」
蒼夜が何やらふざけた質問をし出した。
「蒼夜、今、秋です券とでも言ったか。ちがーう。アキレス腱だ。ア・キ・レ・ス・け・ん」
大声で丁寧に1文字ずつ教える。クラスは2人のコミカルなやりとりにまたもや笑いに包まれる。
「わかったーっ、あ・き・た・け・ん」
「ちゃうわっ、アキレス腱や、アキレス腱」
結斗は蒼夜の斜め上の回答に頭を抱えていた。なかなか言い返しが見つからず、関西弁でツッコミを入れてしまった。
理人が遠くから見ていた。普段は硬い表情の日が多いが、今日は珍しく柔らかい表情を浮かべていた。
「...東雲先生があーやって、体調良くなって戻って来れたのも、東雲先生が倒れた時に他の先生呼んでくれたり、東雲先生を日陰に移動させてくれた君たちのお陰だ」
自分のクラスの生徒達にそう告げた。彼が倒れたあの日、理人が外で実験させていたクラスは自分が担任を持っていた。だから、あの時はとてもクラスメイト達が立派に見えた。
「えー、野崎先生が褒めるなんて明日雪でもふるんすかね」
「ふらねえよっ、俺を一体なんだと思ってる」
男子生徒と理人のコントでこのクラスも笑いに包まれていた。
玉入れが終わった。1番、かごの中に球の数が多く入っていたのは1年3組だった。やはり体育会系のクラスだと結斗と詩織は納得して、拍手を送っていた。
そして、プログラムは賑やかに進行していく。他の学年の競技も進んでいき、次は1年生の50メートル走の対決だ。1組の1番では春斗だ。
「よし、全力で走ってな。春斗」
結斗が春斗の肩を叩きそう投げかける。そんな担任に元気に頷く。
『それでは、次の競技。1年生による50メートル走。開始いたします。よ〜いっ、どんっ』
それと同時にピストルの音がバンッと鳴り響く。小春は自分の息子の走る姿を、思い出に染み込ませたいと目で追う。
だが、息子は体勢を崩し頭から倒れてしまう。応援席はざわざわし始める。
「春斗っ」
小春の声は彼のところまで届かない。自分がいかなきゃと思い、観客席から出ようとした瞬間、次に目に入ってきた光景により息子の元へ行こうとはしなかった。結斗が春斗の前にしゃがみ両手を差し出していた。その後ろから、楓と蒼夜と胡桃も走ってくる。春斗は、顔を上げ担任の手に両手をのせ、結斗が春斗に何か言いながら2人は一緒に立った。友達の3人も春斗に何か声をかけているように見えた。
職員席から見ている校長は何やら複雑そうな顔で結斗と春斗のやり取りを眺めていた。時折、教頭と言葉を交わえながら。
春斗は、6年生の運動会実行委員に引き渡され、楓と蒼夜に付き添われ保健室へと向かっていった。結斗は胡桃になにか伝え、2人はクラスメイト達が集まる場所へと戻っていった。
競技は再開され、クラス毎に50メートル走に選ばれた生徒達が、クラスメイト達に応援されながら走っていく。

