あなた専属になります

歩み寄る

「今日で辞めさせてください」

仕事が終わった後、私はラウンジの奥の事務所で頭を下げた。

ママが手を止めて私を見つめる。

「あら、戻ってきたばかりなのに?」

「はい。申し訳ありません」

「あの指名客はどうするの?せっかく付いてくれたのに」

ママはじっと私の表情を見つめてくる。

「……まさか、あの男と本格的になったの?」

ヤバい…!顔に出てるのかな……

「それは……」

「まあいいわ。でも借金はどうするつもり?」

「必ず返します。別の方法で」

ママは少し考えてから、優しく微笑んだ。

「本当の笑顔が出せる場所を見つけなさい」

「はい、ありがとうございました。本当に、お世話になりました」

* * *

事務所を出ると、夜の冷たい空気が頬を撫でた。

胸の奥に不安と安堵が入り混じる。

これで本当に、あの世界とは決別だ。

「あれ?“さくら”さん」

振り返ると、佐久間さんが立っていた。

「佐久間さん……」

「今日は来なかったから心配してたんだ。体調でも悪いのかと思って」

その優しい気遣いに、胸が温かくなった。

「実は……今日で辞めることにしたんです」

「そうなんだ。残念だな」

佐久間さんは少し寂しそうな顔をした。

「さくらさんは接客向いてると思うよ」

「え?」

接客なんて逆に自分には合わないと思っていた。

「買い被りすぎですよ」

「俺はさくらさんと話してる時が一番落ち着く」

「ありがとうございます……そんな風に言ってもらえたの、初めてです」

「本当のことだよ。じゃあね」

佐久間さんは優しい笑顔で去って行って、私はその背中を見送った。

借金の為に仕方なくやっていたラウンジの仕事。

頑張ってやってよかったと、この時初めて思えた。

その時、突然肩を掴まれた。

振り返るより先に低い声が響く。

「あの男は誰だ」

河内さんだった。

視線が佐久間さんが去った方向に向けられている。

「前のお客さんと少しお話をしてたんです」

「何を?」

「私、接客に向いてるって言われました」

みるみる河内さんの表情が険しくなった。

「愛想笑いだけで釣れるのか。安い客だな」

その瞬間、私の中で何かが弾けた。

「河内さんも大して変わりませんよ」

河内さんが驚いた表情を浮かべる。

「……言うようになったな」

「河内さん、私、別の接客の仕事を探してみようかと思います」

河内さんの顔がまた曇った。

「またか……」

深いため息をついている。

「今の給与からでいいだろう……なぜそこまで」

「早く借金を返したいんです。自分の力で」

「そんなに俺と縁を切りたいのか」

「意味がわからないです」

私は河内さんの目を真っ直ぐ見つめた。

「お金と恋愛は別です」

河内さんは黙り込んでしまった。

* * *

それから私たちは河内さんのマンションに向かった。

車の中でも、河内さんは相変わらず暗い表情をしていた。

部屋に着いても、その表情は変わらない。

「どうしたんですか?」

「俺から自由になりたいんだろう」

「え??」

どうしてそう考えてしまうんだろう。

「私は河内さんと縁を切りたいんじゃありません」

河内さんが私を見る。

「河内さんと対等でありたいんです」

「対等?」

「守られて甘やかされるだけじゃ嫌なんです」

私は必死に言葉を探した。

「お金に頼らない、ちゃんとした恋愛がしたいんです」

河内さんの表情が少しずつ和らいできた。

「……わかった」

やっと納得してもらえた。

「ただし、副業は禁止だ。会社の規則でも決まっている」

「はい。わかりました」

お互いがやっと歩み寄れた気がする。


でも……河内さんの表情は微妙に曇っている。

「河内さん、まだ不安なんですか?」

──何も答えてくれない。

私は河内さんの前に立った。

「……河内さん」

「なんだ」

「あなたは知らないんです。だから教えてあげます。」

河内さんを抱きしめた。

「私がどのくらいあなたの事を想っているか」


私は部屋の電気を消した──

「優美……もう無理……」

溢れ出た河内さんの言葉で、愛しさでいっぱいになった。

月の綺麗な夜だった。
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