哀しみのオレンジ Black Jam

EPISODE6 冷たい部屋

 幸人が入院する日の14時。
 カタカタカタ…
「年末人足りるかしら…」
 秘書の仕事以外にも真美は各店舗に回って無理のないシフトを組ませないよう顔を出したりする。年末年始は美容室もリラクゼーションも繁忙期で人員の確保に頭を悩ませる。ここだけの話、ヘアメイクが得意な幸人に美容室へヘルプさせてしまったことがあった…彼は快く引き受けてくれたが今年赤ちゃん生まれたんだったよな…一緒にいるだけで恐ろしい幸人がパパ…世の中何があるかわからない。真美と幸人は2年前カラダの関係を持っている。昨年ヘルプこそ頼んだが顔は一切合わせていない。思い出すと辛くなってしまう。その理由は、また暇なときに話してあげようかしら…
「でも会いたいな…幸人…」
 プルプルプル…!
 本社の固定電話が鳴り響く。発信先はイタリアンレストランのレイスラン。
「はい神戸です」
「神戸さんですか!?ちょっと大変なんです…!とにかく来てください!」
「ギャァァァ!」
「もしもし!すぐ行くから待ってて!」
 レイスランはグランドマーミンが経営する唯一の飲食店。電話口で誰かの悲鳴が耳を刺した。肝心の社長は出張に行っているため今出張れるのは秘書の彼女だけか。彼女は慌てて車にエンジンを掛け、暖気する余裕もなく発進。10分してレイスランに到着すると
「ちょっと何してるんですか…!?それ(包丁)を放しなさい!」
 目の前に広がる光景はアルバイトの専門学生、東君が包丁で太腿と脇腹を刺されている。これはマズい…!
 ドッドッドッ!
「大丈夫!?何があったの…?」
「唐木さんが急に包丁で刺したんです…!」
「どういうことですか!?ちょっとこっち来なさい!」
 最近入ったばかりのパート従業員の女性、唐木麻早奈(EPISODE4参照)が何の理由もなくいきなり包丁で襲い掛かったという大惨事。仕事で何か指摘されたり、怒鳴られてキレた理由でもない。何の前触れもなくだ。このまま警察に引き渡すのが懸命だが話を聞かなければ
「今日は営業終了よ!締め作業は後日でいいから今日は皆帰って!」
「は…はい…!」
 本日の営業は当然だが終了。彼女は麻早奈の腕を引っ張ってバックヤードに連れ出し
 バタンッ!
「座りなさい!」
「……」
「何であんな酷いことするの!?刺されたら痛いでしょ!一歩間違えたら死んじゃってたかもしれないのよ!?」
「……」
 バンッ!
「何とか言いなさい!?」
「フフフフフ…」
「あなた自分が何したかわかってんの!?」
 見た感じ綺麗な中年の女性。雰囲気は尊敬していた高橋知沙に少し似ている。だが…
「(何この血生臭い匂い?)」
 彼女は視力が非常に悪く普段はコンタクトレンズを使用し、家では眼鏡をしている。勿論運転免許も眼鏡等使用の条件付きだ。そんな彼女だが嗅覚は人一倍鋭く、少し匂いが漂ってきただけで嗅ぎ分けられるのだ。
「(結果もう置いておくわけにいかないわね…)」
 けどここまで血生臭いなら話は別だ。絶対に人を殺している…!ここは警察にすぐ引き渡すべきなのか…それとも一か八か泳がせて調査するのか…?その前に彼女の口は自然と動いてしまっていた
「あなた、何人殺してきたの…?」
「…!?」
 麻早奈は彼女が元執行人であることを知らないしそもそも完全に伏せている。その質問に一瞬の動揺が見える。これはもう間違いない…
「まさかあなた…」
 バタン…!
「待ちなさい!」
 突然逃げ出す女を彼女はヒールのまま追いかける!足の速さが素人とは思えないほど速い…陸上でもやっていたのか?だが彼女も負けじと靴擦れを起こしながら走るスピードを緩めない。やがて…
「捕まえた…!」
「ウッ…!」
「観念しなさい…!ヌッ…!?」
 バーン!
「ちょっとちょっと…これはもう内輪だけじゃ済まない問題ね…」
 まさか銃を隠し持っていたとは。そんなものを持っていること自体おかしいが裏社会を経由しなければありえない。
「(靴擦れ痛い…)」
 彼女は靴擦れの痛みからヒールを脱ぐ。冷たいアスファルトが足の裏を冷やすが戦うのなら問題ない。
 カチャ
 女は銃を捨てて懐に隠し持っていた包丁を出す。あの刺身包丁はレイスランのキッチンに置いていないやつだ。持ち歩いていたならやはりタダモノじゃない。
「穏便に済ませたくないなら、無理矢理にでも聞くしかないわねぇ!」
 彼女の元執行人の闘争心が再び開く…

 唐木麻早奈
 スタートを切ったのは彼女。そんな鋭利な刃物を持っていても彼女は攻略法を知っている。恩師である奥野明美と愛した幸人から教わった戦闘術、だが…
「何…!?」
 まるで視認できない包丁捌きに彼女の腕から血が噴き出す!だがこの程度で怯む彼女ではない。幸人から伝授された暗殺術なら誰も知るはずがだろう。流石に対応できまい…拳を強く握らない強さで繰り出す打撃。本気を出せば殺せてしまうが今は生かしておく必要がある。しかし
「(この女…私の動きを読んでいる…?)」
 唐木麻早奈は素人じゃない。動きを躱す麻早奈は彼女の背後に回り
 ミキキキ…!
「ガハッ…!?」
 腕の力も相当強い。抵抗するだけで首に食い込んでいく。それでも機転を利かせバックして壁に打ちつけ
 ドン!
 衝撃で腕を解くと反撃の策を練るが
「ウゥ…!?」
 何と女は壁をキックした勢いで彼女の顔面に強烈な蹴りを…
 ドゴォーン…!
「ギィィ…!?」
 バタンッ…
「クソぉ…!」
 まさか私が負けるなんて…明美と幸人から教えられた技が効かないなんて…倒れて脱力する彼女に接近する女は
「フフフ…フフフフフ…そろそろ夕飯の準備しなくちゃ…」
「待ちなさ…ギィィ…!」
 グサッ…ドロドロ…
 刺身包丁が手の平を貫通する。極寒の冬に焼けるくらいの痛みは彼女の精神をボロボロに崩していく。
「フフフフフ…フフフ…!」
「待て…ゥ…」
 彼女は痛みで意識を手放してしまう。彼女と戦った唐木麻早奈は民宿を営んで地下室に20歳の娘を監禁している女だが、何故ここまでの強さを持っている?

「んん…ここは…?痛ッ…!?」
「お目覚めか…犯罪者」
「ここはどこよ…!?」
「牢屋だ」
「牢屋…?」
 畜生…!素人だと思っていた女に負けた挙句パクられてしまうとは…にしても謎の女だ。名前は確か唐木麻早奈…
「元Rose Orange…現在グランドマーミンって会社勤めのOL神戸真美…」
「(何で私が執行人ってことバレてんの…!?)」
「お前は脅威になるかもしれないからなぁ…懲罰房行きだ…」
 ここはただの牢屋じゃない…!相当ヤバい所だ!こんなときに明美さんか幸人がいてくれれば…!考えている余裕もなく男性2人に連行されて冷たい懲罰房の中へ入れられ
「やめろ…見るな…!」
 2年前、自ら手に掛けた旦那から受けた凄まじい暴力の痕と戦いで受けた傷を見られ自尊心がグチャグチャになる。私の裸を見ていいのは幸人、私が認めた人だけよ!
 ビリビリビリ…!
 スタンロッドが狂気の音を立てながら彼女の身体に…
「ギィィィ…!」
「まだ殺すな…この女は貴重な検体になる…」
「ギィ…!ハァ…ハァ…畜生ォ…!」
 拷問する男が彼女の臍の傍にある刺し傷を見ると
 グリグリ…!
 2本の指が腹部にめり込んでいく…!
「ギャァァァ…!(クソ…!どうすれば…!?)」
 考えろ…男はまだ殺すなと言っていたが体力低下と出血多量の不運が重なれば死ぬ可能性も十分にある。それに貴重な検体と言っていた。ふと彼女の脳裏によぎったのは裸で逃げてきた男性の奥さんの1件…彼女は裸でボロボロになるまでスタンロッドによる電撃を浴びせ続けられ…さらに
 バチン…バチン…!
 逃げられないよう足の裏を何度も鈍器で殴られ続ける…
 バタンッ…
「ほうこの女は凄い…これだけの電圧に耐えるなんてな?今日はもう連れて行け…」
「へい…」

 バタンッ…
「お疲れ様です!」
「お疲れ…あれ?神戸さんは?」
「出掛けたっきり戻ってません…」
「だったら何で報告しない?それに今の時間(18時)で戻ってない時点で変だろう…報連相はしっかりな?」
「失礼致しました!レイスランに向かってから連絡が取れていません!」
「レイスランって…確かバイトの東君が刺された件か!?」
「命に別状はないようですが、東君を刺した唐木さんの行方もわかってません…警察に通報しますか?」
「いや、警察はちょっと待ってくれ…」
 彼は水瀬幸人を知る数少ない人間だ。幸人には返しても返し切れない恩がある。何かあったら警察より彼に頼るよう色んな人から釘を刺されている。本来なら警察に通報して唐木の身柄を抑えてもらい、東を刺した動機などを聞き出す必要がある。だが彼に任せれば下手すりゃ唐木の腕がへし折られるかもしれない…肝心の彼に連絡を取ろうとするが…
「すいません、訳あって入院しています…明日退院なので夕方頃お会いしましょう」
「水瀬さんが入院…!?こんなときに…」
 けど明日退院なら話はまだ早いか…明日話し合いたい内容だけは照らし合わせておこうと唐木麻早奈の顔写真付きの履歴書のデータを彼のスマホに送った。

 翌日の17時。川崎弘達は水瀬幸人と話し合うべくレイスランで待っていた。
 カランカラン…
「水瀬さん」
「いらっしゃいませ!お一人様でしょうか?」
「いえ…川崎さんの連れです…」
「あぁ?社長の?どうぞこちらへ!」
「お久しぶりです」
「わざわざ本当にすまない…チョコパフェを2つ頼む」
 少し積もる話をするなら頭に糖分を入れておいた方がいいだろう。予め川崎はブレンドコーヒーを頼んでくれたようだが
「お待たせしました。こちらブレンドコーヒーです!」
「東君か?傷は大丈夫なのか?」
「はい!もう大丈夫です」
 彼は何故か東の顔を注意深く見ている。送られた唐木麻早奈の履歴書にある生年月日は1982年5月7日で46歳。被害者の東だが専門学生の割に、言い方悪いが老け顔でとても20代には見えない。まるで40代近い。唐木麻早奈には黒い過去があり、18歳で結婚しているが僅か1年後に用水路に転落死する事故が起きている。4年後の23歳で再婚し、26歳で娘の麻織を出産。だが夫と娘も行方不明で本来なら身内が捜索願を出すはずなのだが、一切届け出がないのだ。それ以外の記録がない謎だらけな女。
「真美さんのことも心配ですが、やはり今は唐木麻早奈の発見が急がれる状況です…まぁ、多分すぐ見付かると思いますが」
「そうですか…」
「真美さんには僕が教えた戦闘術があります。ただ心配なのはあの吸血ウイルスです」
「吸血!?」
「ご存知ないですか?」
「初めて聞いた…」
「今どれくらいの規模で発生しているか把握できてませんが、感染すると人の血を吸うために活動を始めます。ですが厄介なことに見た目が変化しないので見分けが付かないんです」
「キョンシーか…?」
「お札貼って止まる類ではないです…」
 グランドマーミンの社員やアルバイト従業員はまだ感染していないらしいが、もし今後増えて治療法が確立されていなければ死者が増えるのも同じ。RedEYEで保護した感染者たちはほぼほぼ限界だ。もう大半の人が亡くなっている…
「僕は唐木の行方を追います。真美さんに関しては僕の伝手に頼れますので心配しないでください」
「はい…水瀬さんが言うなら信じられる…」
 ガラーン…!
「な…何だ…!?すいませんお客様…何名様で…」
「ここに唐木麻早奈がいるだろ!?早く出せ!」
 突然3人の男性がドアをガラーン!と開けて大声で唐木麻早奈を出せと叫んできた。噂をすればだが…彼は立ち上がると
「落ち着いてください…唐木麻早奈に何のご用でしょうか?」
「お前が店長か!?こっちは唐木麻早奈にやられて困ってんだ!ここで働いてんだろ!?」
「唐木はもういません!それよりお話をお聞かせ願えませんか?」
「嘘こけ!誤魔化したって無駄だぞ!早く出せ!」
「出せ!」
 何に対して怒っているのかわからないが、これは少し落ち着かせないといけないな。それにどんな形かわからないが唐木の被害者なら話を聞き出せるかもしれない。
「とにかく落ち着いてください!もしこれ以上迷惑行為を続けるのなら…こちらも少しお灸を据えなきゃいけないですね」
「黙れぇ〜!」
「ハァ〜…」
 ドスッ…ドス…
 彼に攻撃を一切当てられない迷惑客は軽く拳を喰らわせられ、尻もちを付いてキョトンとしている。
「えっ…何が起きたんだ…?」
 本気を出したらこんな素人など即死だ。彼の力は1%しか出ていない。
「もしお困りならご飯だけは食べさせてあげましょう。その代わり、唐木麻早奈のことについてお聞きしたいことがあります。よろしいですか?」
「はい…」
 彼は3人を連れて近くのお好み焼き食べ放題店に移り、サーロインステーキ含む最上級の食べ放題コースとアルコール飲放題コースを4人分オーダー。
「いや…そこまでしなくてもぉ?」
「そうだぜ?こんなには悪いだろ?」
「いやでも俺ら腹減ってたし…」
「お前は黙ってろ…」
「若い人は食べた方がいいです…食べながらでいいので唐木麻早奈のことについて教えてください。取り敢えず僕たちの出会いに乾杯しますか?」
 チンッ…!
 ジュー…
 お好み焼きを焼く鉄板が良い音を上げて香ばしい匂いが鼻に抜ける。ある程度お腹に溜まって酒も進むと
 ゴクゴク…
「よし…唐木麻早奈のことについて教えていただけますか?」
「実は…俺の親友が行方不明なんです…」
「唐木が営む民宿…永琉州にあるんすけど、この前宿泊してたんすよ!」
「俺は泊まってないんですけど、何かあの民宿変な噂があって…」
「民宿ですか?」
 3人のうち2人が唐木の民宿に宿泊したことがある。話によると彼らの親友が突然行方不明になったという。しかも宿泊した部屋に親友の所持品が置かれたままで、唐木に尋ねても知らぬ存ぜぬで通された。シラを切るどころか高らかに笑いながら説明されたという。確実に何か隠していることを肌で感じたらしい。
「あと他の客から聞いたんですけど、前まで娘さんが手伝ってたらしいんですけど、急にいなくなったらしいんです。結婚でもしたんですかねぇ?」
「娘か…(民宿か。そこに入れば謎が解けそうだが、犯罪者が堂々とオープンにするか?)」
 それに民宿をやりながらレイスランで働く理由があまりわからない。真美が行方不明になる事態も普通じゃない。奴に相当な力があるのか?
「民宿ですね…わかりました。あとのことは僕に任せてください」
「任せてって…あんな何者なんだ?」
「まあ…正義の味方ですよ」
 彼はそう言うと4人分の会計を現金で払った。

 その日の夜21時。東が下宿先のアパートに帰る前に夕飯の買い物をしようとしていた。男の一人暮らしは基本簡単にしか作らない。ご飯は炊いてあるから今日は冷凍のおかずでも買うかとスーパーの入口に立つと
 トン…
「何だ…」
 突然肩を叩かれた。何か落し物でもしたか?だが
「唐木さん…!」
 目の前に突如現れたのは自分を刺した唐木麻早奈…!この目は明らかに殺そうとしている。
「ハハハ…ハハハハ…!」
「うわぁ!」
 東は恐怖のあまり逃げるが奴の脚の方が速かった。あっという間に追いつかれ…
「うわぁ…」
「ハハハハハハ…!」
 何の躊躇もなく包丁を握る冷たい手。東は合気道の有段者で何とか脱しようと抵抗を試みるが
 ドスッ…!
「ゴボォ…!?」
 抵抗虚しく奴の左ストレートが腹部にめり込み、一発で内臓を吐き出してしまうほどの威力。動けないまま…
「ハハハ!ハハハハハ!」
 グサッ…!グサッ…!
「カァ………」
 東は包丁で何度も刺され、まるでミンチ状態で原型を留めないまま、唐木麻早奈に殺害された…まだ20歳で夢と希望が待っているというのに何故殺されなければならなかった…?道徳心や人間の心を持っていない女、唐木麻早奈。それは次のエピソードでようやく正体が明らかになる…
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