鬼火姫〜細工師の契約婚姻譚〜

【始】鬼火姫の誕生

 暁国。東洋に程近い国であり、天帝によって統治されている。
 この国では、とある伝承が、先祖代々伝えられている。
 曰く、「鬼火姫が現れたら世界が滅ぶ」と。
 そして鬼火姫を討つため、天帝によって『英雄』が指名されるのだ。
 
 とある村に、一人の少女が生まれた。
 少女は生まれながらに、頭から一本の角が生えていた。光沢の放つ白杉のような角に、母親は恐々とした。
 鬼火姫だ。
 自分の娘は、鬼火姫として生まれてしまった。
 鬼は鬼火姫を敬愛している。
 はるか昔、人間に淘汰された鬼は、人間を憎んでいた。だから、より強い力を持つ鬼火姫を欲していた。鬼火姫の力で、人間から鬼の世界を取り戻してほしいと思っているのだ。
 しかし、鬼火姫はそう簡単に生まれるものではない。生まれる時期はまちまちで、数十年で生まれる時もあれば、千年単位で生まれない時もある。
 だから油断していた。まさか、自分の娘が鬼火姫だなんて。
 母親もまた鬼だ。しかし、彼女は争いなんて望んでいなかった。
 鬼火姫なんて争いの種だ。生まれない方がいいのだ。
 母親は娘の角に手を伸ばした。白杉の角はまだ柔らかく、しっとりと手に吸い付く。娘はむにゃむにゃと口を動かし、目を開けない。自分が母親に何をされるか知らずに、安心した様子で眠っている。
 母親は涙を流した。
 自分の元に鬼火姫として生まれたせいで、我が子は鬼として不完全に生きなければならない。鬼でもなく、人間でもなく、中途半端な存在となった娘は生きづらくなるだろう。
 それでも、この決断は変えられない。鬼火姫として生まれた以上、娘の人生には死臭がまとわり続けるのだ。鬼火姫を神聖化した鬼たちによって、血みどろの戦いが起こる。歴代の鬼火姫が現れたときも、鬼火姫は非業の死を遂げ続けていた。時に鬼の闘争に巻き込まれ、時に天帝によって派遣された『英雄』に討伐されて。
 娘には、普通の幸せな人生を歩んでほしい。鬼の力なんて使えなくていいから、まっとうにまっすぐ生きてほしい。
 娘に鬼の力がないと知られたら、きっとこの村でも迫害されてしまう。娘を連れて、鬼の集落から出る必要があるだろう。
 これからどんな過酷な生活が待っているのか分からない。身を粉にして働かなくてはいけない。でも、娘がいるのであれば、頑張れる。
 だから、ごめんね。
 母親は娘の角を折った。ぽきんと軽い音で折れた。娘の大切な角は半端なところで折れて、娘の額で断面を見せている。
 途端に、娘は火が付いたように泣き出した。角は鬼にとって第二の心臓だ。それが欠損したのだ。痛いに決まっている。
 泣き叫ぶ娘をきつく抱きしめ、母親は立ち上がった。この声を聞いて、村の鬼たちがこの家に来たら危険だ。
 出産直後ということもあり、身体はふらふらだ。立つだけで意識が飛びそうだ。でも、娘の命を守れるのは自分だけ。
 この子は、母親である自分が絶対に幸せにする。そのためなら、何だってできる。
 母親は娘を抱えて家を飛び出した。
 
 外は雨が降っていた。バシャバシャと草履の下で水が跳ねる。
 逃げよう。
 娘が幸福に生きられる場所まで。
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