鬼火姫〜細工師の契約婚姻譚〜
1話 細工作りができればなんでもいい
「君に、夫婦としての役割は求めていない」
初夜に入った床で、夫となったはずの男はそっけなく言った。
「この屋敷では、自由に過ごしてもらって構わない。ただ、僕の部屋には無断で入らないように。僕を主人として傅く必要もない」
「はぁ」
「話は以上だ。聞きたいことがあるなら、侍女の和枝に聞いたらいい」
一方的に話を切り上げて、夫はさっさと部屋から出て行った。薄い着物に身を包んだ新妻を放って。
一人部屋に残された凛火は、グッと伸びをした。
やたら長い婚儀のせいで、肩が凝っていた。
シャラシャラと音の鳴る重い装飾物を頭に乗せ、肩にも腰にも重圧のかかる白無垢を着せられていたのだ。全身が固まって悲鳴を上げている。
首元をくつろげて、凛火はゴロンと敷布に寝転がった。部屋には誰もいない。なら、この行動を咎められることもないだろう。
「夫婦としての役割を求めないなら、なんで結婚したんだろ、あの人」
夫となった綾城爽の端正な顔と、その目に宿る冷ややかな温度を思い返す。爽からは、凛火に対する恋慕のようなものは微塵も感じなかった。
ならば、凛火に何かしらの役割をこなしてほしくて、爽は結婚したはずだ。
それなのに、凛火は何も言われなかった。
夫婦の役割はない、自由に過ごしていい。
爽の部屋に入らないことだけ守れば、あとは好きにしたらいいのだ。
爽は何の利益を求めて、凛火と結婚したのだろう。
凛火は数日前のことを思い出していた。
**********
「凛火、お前に縁談だ」
「はぁ?」
細工工房で紐を編んでいた凛火は、とぼけた声を上げた。
「冗談でしょう?」
「冗談なわけあるか」
ペシっと凛火の頭が軽く叩かれる。
冗談のような話を持ってきたのは、凛火の働く細工工房の工房長だ。
幼い頃に母親を亡くした凛火は、天涯孤独だった。その時、手先の器用さを買われて、細工工房に弟子入りしたのだ。そこで硝子細工や吊るし飾り、灯籠、簪、櫛など、様々な装飾物を作ってきた。
自分はずっと、このまま細工師として一生を終えるのだと、凛火は信じていた。
誰かと一緒になるつもりはない。ただ静かに、綺麗なものを見ながら手を動かせるなら、何でもよかった。
それなのに、縁談。
大して名を売ったわけでもない、凛火に。
「誰ですか、そんな物好きは」
「物好き言うな。綾城爽さまだ。ほら、綾城家って有名だろ?」
「…ああ、はい。細工師の中でも一二を争う技術の持ち主が集う家系です」
「正解。そんな家から打診がきたんだ、光栄に思え」
「いやちょっと思えないです」
工房長から拳骨が落ちた。痛い。
「何するんですか!暴力反対!」
「こっちだってな、お前の技術力の高さを買って、お前を弟子にしたんだ!それなのに、高位の家の気まぐれで勝手に縁談持ってこられて、一番弟子が工房からすっぱ抜かれるんだぞ⁉︎はらわたが煮え繰り返って仕方ねぇわ!」
「ならそんなふざけた縁談、さっさとなくしてくださいよ!私を手放すのが惜しいんでしょう⁉︎」
「それができたら苦労しねぇんだわ!くっそぅ、お前まだ十六だってのに…。まだまだ教えたいことあったのによお…!まさか、十九の若造に一番弟子を盗られるなんて…」
「女にとって十六は、十分結婚適齢期ですけどね。急すぎて嫌です」
「でも、こんなちっぽけな工房が、綾城家に楯突くなんてできねえだろ⁉︎分かるよな⁉︎すまねえな!」
「あっさり引きすぎですよ⁉︎」
工房長とむむむと睨み合うが、現状は変わらない。
トントン拍子に話は進み、いつの間にか荷物をまとめて綾城家に嫁ぐことになってしまった。
その間、凛火が爽の顔を見ることはなかった。
こうして、婚儀当日を迎えてしまったわけだが。
ようやく顔を合わせた旦那さまは、顔こそ丹精込めて作られた芸術品のように整っているが、とんでもなく愛想がなかった。
仏頂面で凛火と目を合わせようとせず、婚儀が終わったと思えば「夫婦としての役割は求めない」発言。
ほんとうに、なぜこの人は自分と結婚したのだ。
綾城家が凛火に縁談を持ってきた理由は、教えてもらえなかった。理由さえ分かれば、ある程度は承知できることもあるだろうに。納得するかは別であるが。
(まあ、とりあえず自由に過ごしていいっていうのは行幸。綾城家は凄腕の細工師を輩出している家だから、工房を持っているはず。爽さまの部屋にさえ入らなかったらいいんだから、工房に出入りしても問題ないよね!)
凛火は恐ろしく前向きであった。
生活上の制限がないのであれば、好きにさせてもらおう。凛火は細工作りができれば、それでいいのだ。
初夜に入った床で、夫となったはずの男はそっけなく言った。
「この屋敷では、自由に過ごしてもらって構わない。ただ、僕の部屋には無断で入らないように。僕を主人として傅く必要もない」
「はぁ」
「話は以上だ。聞きたいことがあるなら、侍女の和枝に聞いたらいい」
一方的に話を切り上げて、夫はさっさと部屋から出て行った。薄い着物に身を包んだ新妻を放って。
一人部屋に残された凛火は、グッと伸びをした。
やたら長い婚儀のせいで、肩が凝っていた。
シャラシャラと音の鳴る重い装飾物を頭に乗せ、肩にも腰にも重圧のかかる白無垢を着せられていたのだ。全身が固まって悲鳴を上げている。
首元をくつろげて、凛火はゴロンと敷布に寝転がった。部屋には誰もいない。なら、この行動を咎められることもないだろう。
「夫婦としての役割を求めないなら、なんで結婚したんだろ、あの人」
夫となった綾城爽の端正な顔と、その目に宿る冷ややかな温度を思い返す。爽からは、凛火に対する恋慕のようなものは微塵も感じなかった。
ならば、凛火に何かしらの役割をこなしてほしくて、爽は結婚したはずだ。
それなのに、凛火は何も言われなかった。
夫婦の役割はない、自由に過ごしていい。
爽の部屋に入らないことだけ守れば、あとは好きにしたらいいのだ。
爽は何の利益を求めて、凛火と結婚したのだろう。
凛火は数日前のことを思い出していた。
**********
「凛火、お前に縁談だ」
「はぁ?」
細工工房で紐を編んでいた凛火は、とぼけた声を上げた。
「冗談でしょう?」
「冗談なわけあるか」
ペシっと凛火の頭が軽く叩かれる。
冗談のような話を持ってきたのは、凛火の働く細工工房の工房長だ。
幼い頃に母親を亡くした凛火は、天涯孤独だった。その時、手先の器用さを買われて、細工工房に弟子入りしたのだ。そこで硝子細工や吊るし飾り、灯籠、簪、櫛など、様々な装飾物を作ってきた。
自分はずっと、このまま細工師として一生を終えるのだと、凛火は信じていた。
誰かと一緒になるつもりはない。ただ静かに、綺麗なものを見ながら手を動かせるなら、何でもよかった。
それなのに、縁談。
大して名を売ったわけでもない、凛火に。
「誰ですか、そんな物好きは」
「物好き言うな。綾城爽さまだ。ほら、綾城家って有名だろ?」
「…ああ、はい。細工師の中でも一二を争う技術の持ち主が集う家系です」
「正解。そんな家から打診がきたんだ、光栄に思え」
「いやちょっと思えないです」
工房長から拳骨が落ちた。痛い。
「何するんですか!暴力反対!」
「こっちだってな、お前の技術力の高さを買って、お前を弟子にしたんだ!それなのに、高位の家の気まぐれで勝手に縁談持ってこられて、一番弟子が工房からすっぱ抜かれるんだぞ⁉︎はらわたが煮え繰り返って仕方ねぇわ!」
「ならそんなふざけた縁談、さっさとなくしてくださいよ!私を手放すのが惜しいんでしょう⁉︎」
「それができたら苦労しねぇんだわ!くっそぅ、お前まだ十六だってのに…。まだまだ教えたいことあったのによお…!まさか、十九の若造に一番弟子を盗られるなんて…」
「女にとって十六は、十分結婚適齢期ですけどね。急すぎて嫌です」
「でも、こんなちっぽけな工房が、綾城家に楯突くなんてできねえだろ⁉︎分かるよな⁉︎すまねえな!」
「あっさり引きすぎですよ⁉︎」
工房長とむむむと睨み合うが、現状は変わらない。
トントン拍子に話は進み、いつの間にか荷物をまとめて綾城家に嫁ぐことになってしまった。
その間、凛火が爽の顔を見ることはなかった。
こうして、婚儀当日を迎えてしまったわけだが。
ようやく顔を合わせた旦那さまは、顔こそ丹精込めて作られた芸術品のように整っているが、とんでもなく愛想がなかった。
仏頂面で凛火と目を合わせようとせず、婚儀が終わったと思えば「夫婦としての役割は求めない」発言。
ほんとうに、なぜこの人は自分と結婚したのだ。
綾城家が凛火に縁談を持ってきた理由は、教えてもらえなかった。理由さえ分かれば、ある程度は承知できることもあるだろうに。納得するかは別であるが。
(まあ、とりあえず自由に過ごしていいっていうのは行幸。綾城家は凄腕の細工師を輩出している家だから、工房を持っているはず。爽さまの部屋にさえ入らなかったらいいんだから、工房に出入りしても問題ないよね!)
凛火は恐ろしく前向きであった。
生活上の制限がないのであれば、好きにさせてもらおう。凛火は細工作りができれば、それでいいのだ。