【完結】こっち向いて!少尉さん ー 君は僕の甘い人 ー

10 初めての夜会です! 少尉さん

 そして、待ちあぐねたその日がやってくる。
 楽しみすぎて、でも少し怖くて、待つという言葉の重みを生まれて初めて味わった数日間。
 レイルダーはきっかり時間通りにやってきた。

「こんばんは、アン」
「こっ! こんばんは!」
 入ってきたレイルダーの目がほんの僅かに細められたのは、多分ホールの灯りがまぶしかったせいだろう。
「……待たせちまったか?」
「いえ、今ホールに下りてきたところです!」
 アンは後ろで控えているエレンに、絶対に後でからかわれると思いながら言った。
 三十分以上前からホールと部屋を行ったり来たりして、車よせに光が見えないか、何度も窓を覗き込んでいたのだ。
「綺麗にできたな」
「あ……ありがとうございます」
 毎度の美声と美貌にアンの頬は燃え上がる。
 近衛の準正装をまとったレイルダーに、綺麗と言われて嬉しくない女の子はいないだろう。
 白い隊服に金色の装飾は、冠のような彼の金髪を目立たなくするどころか、かえって引き立てていた。アンはドレスの色を彼の色に揃えて良かったと心から思う。
 今夜のドレスは、秋にふさわしい小麦色の布地に、白い糸で細かい刺繍がしてあるものだった。ローレル商会の分厚い見本(カタログ)の中から、布とデザインを母と相談しながら選んだものである。
 お揃いの靴も普段より(かかと)が高くて、背の低いアンを少しだけレイルダーに近づけてくれた。
「暖かい色だ。アンの髪も瞳も服も」
 レイルダーは目を細めた。
「行くかい?」
「はい! 今夜はよろしくお願いします!」
 アンはいそいそと車に乗り込んだ。
「あの……少尉さん、途中、母の病院に寄っていただいてもいいですか?」
「え? ああ、そうだな。母上に見せないとな」
「はい」

『アン、アクセサリーはエレンに言って、私の宝石箱の中から好きなものを選んでつけていくのよ。あまり仰々しくないものがいいと思うけど。服に合わせてルビーか、それとも……』
『翡翠がいいです! あの明るい色の! お母さま、持ってらしたでしょう?』
『え? ああ、あれね。でもちょっと、地味すぎないかしら?』
「あれがいいの! あの一揃いを貸してください!」
 それは小さな葉っぱが集まった、髪飾りとイヤリングとネックレスのセットだった。派手ではないが上品で華奢な作りのものである。
「……そうね、いいわよ。ああ、楽しみね、アン。きっと秋の精のように見えるわ』
 カーマインは、アンの心中を察してくれたかのように微笑んだ。

「まぁ! アン! よくきてくれたわ! 無理だと思っていたの!」
 特別病室によく通る声が響く。
「お母さま、どう?」
「とても綺麗よ! 思っていた通り、素晴らしく似合ってる。あなたもそう思うでしょ? ヴァッツライヒ」
 レイルダーが黙ってうなづく。
「もう! いつもながら愛想がないわねぇ、あなたは。アン、ちゃんとほめてもらったの?」
「はい、お母さま。ほめていただきました」
「それならよかったわ。ヴァッツライヒ、私の娘は素敵でしょう?」
「ああ」
 レイルダーの視線が母、カーマインに注がれる。
「……」
 アンはその場に流れる空気を感じている。こんなに傍にいるのに、この二人の間には、どうしても入っていけない疎外感があった。

 この二人の雰囲気はとても似ているわ。
 そして、お互いを酷く意識している。

 外見は全く違う美しい二人。
 しかし、それはまごうことなき確信だ。
「アン? どうかした?」
 母の紅玉の瞳が自分に注がれる。
「い、いえ、なんでも」
「そう? なら、もう行ってらっしゃい。目一杯楽しんでくるのよ」
「はい、行ってきます。ありがとうお母さま」
「ヴァッツライヒ、アンを頼むわね」
 カーマインの言葉にレイルダーはしっかりと頷いた。

 本当なら、お母さまと少尉さんが二人並ぶのが一番綺麗なんだろうなぁ。

 まだそれほど遅い時刻ではないのに、街は薄暮(はくぼ)の雲に包まれ、もうじきやってくる冬の訪れを感じさせた。
「もうすぐ着く」
「あ……はい、すみません。ちょっと、ぼうっとしちゃってて」
 初めての助手席から見る、大通りはすっかり暮れて店の灯りで美しい。
「……お母さま、嬉しそうでした」
「……」
「あの、本当にありがとうございます。病院に寄ってくださって」
「アンの考えることは今夜のことだけでいいんだ」
 ぽんと肩を叩かれる。
 自身なさげな自分を励ましてくれているのだと思ったアンは、勇気をふりしぼる。
「あの……少尉さん?」
「ん?」
「今夜だけは私のそばにいてくださいますか?」

 お願い。
 私を見て、今夜だけでも。
 私だけを見つめてください。

「……いるよ」
 短い答えにアンは、ほっと肩を落とした。
「よかったです」
「なぜ?」
「だって、レイルダー少尉さんはいつも人気者だから」
「俺が、人気者?」
「ええ。学校でもよく話題になります」
 レイルダーはしばらく黙っていた。
「……それは知らないからだよ、俺がどんな人間か。だがアン」
「はい」
「そばにいるよ、君の望む限り。だから……顔を上げな」
「え?」
 
 あ……今夜はって、ことよね! びっくりしちゃった。私ったら!

「アンが主役だ。そう思って堂々とふるまえ」
 レイルダーがハンドルを右へと切る。正面に学園が見えた。煌々(こうこう)と灯りが灯っている。
「夜の学校なんて初めてです!」
 アンははしゃいで言った。車は速度を落として開け放たれた正門から校内に入っていく。
「やはりまだ、自動車は少ないですね。男の子達が喜んでいます」
 アンは軍人の娘なので見慣れているが、自動車は最先端の技術なのだ。運搬以外の車両は、軍と富裕層ぐらいしか所有していない。運転技術者もまだ限られていた。
「でも、アンは馬の方が好きだろ?」
「はい! 乗馬は唯一の取り柄です。あ! あの馬車、すごく良い馬が繋がれています! わぁ! 人がいっぱい!」
 見慣れた学舎はすっかり様子が変わっていた。
 普段は制服の生徒や黒服の教授ぐらいしか通らない前庭に、華やかな服装の老若男女が行き交っている。
「じゃあ、車を停めてくる。ここにいてくれ」
「はい。ホールでお待ちしております」
 夜は始まったばかりだった。


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