【完結】こっち向いて!少尉さん ー 君は僕の甘い人 ー

22 夜を征くのです! 少尉さん

 三人は草深い、夜の道を疾走する。
 国境のこの辺りは村も人影もなく、風だけが吹き(すさ)ぶ辛い旅路だった。アンの前後を2馬身ほど空けて、二人の将官が守ってくれている。
 アンは今夜の相棒である自分の馬に尋ねた。
「七十二号、私のこと覚えてる?」
 話しかけながら立髪をなでてやると、馬はぶるんと鼻を鳴らした。
「そう、ありがとう。あなたは私より目も鼻もいいはず。ごく最近、この道を馬や馬車が通った気配はあるかしら? ゆっくり探って教えてちょうだい」
 七十二号は小さく(いなな)くと、しばらくだく足で進んだ。
「ケインさま、このまま真っ直ぐ北へ進んでください」
「わかりました。船でかなり北へと下ったので、かなり距離は稼げているはずなのですが、何かわかったら合図ができますか?」
「七十二号を先頭に立たせます」
 アンはそう答えた。馬を信頼しているのだ。
 三人は目立たない分厚く長いマントを羽織り、体を低くして進んだ。
 防寒のためもあるが、兵士たちは自動小銃を隠し、アンは女であることを隠す意味もある。前線はもっと南の方だが、もしかしたら斥候や、脱走兵がいるかもしれないのだ。用心はしすぎることはない。
 アンは出がけにケインから渡された短銃(ピストル)の重さを意識した。
 それは今、上着の深いポケットに入っている。撃ち方は後方の病院にいた時に習った。
 不安で不吉な重さ。
 どうかこれを使わずにすむことを祈るばかりだ。
 あたりは真の闇だった。
 灯りは先頭のケインが持つ、小さな電灯が、馬から離れた棒の先に吊るされている。万が一狙撃された時の用心である。
 二時間ほど進んだ時、七十二号が耳をぴんと立てて立ち止まった。
「七十二号? どうしたの? お腹が空いた?」
 茶色の雌馬は、藪と見分けがつかない、小さな草を踏みつけただけの道に入ろうとしている。
「ケイン様!」
 アンは思い切って、できるだけケインの七十二号を寄せながら小声でケインを呼んだ。彼はすぐに振り返り、七十二号が見つけた道を照らす。
 そこには道とも言えない、草を慣らしただけの空間が伸びていた。
「こんなところがあったのか。地図にも載ってない……草が()ぎ倒されている。草でわかりにくいが、確かに(わだち)の跡がある蹄の跡も」
「ケイン、わかるか?」
 マルクが用心深く絞ったランプで、うずくまるケインの手元を照らした。
「ああ。たくさんの馬が通ったようだが、この幅は農耕用の馬車ではないな……かなり深い。雑草が踏みつけられてちぎれている。重い荷物を積んでいるようだ。しかも、まだ新しい」
 ケインは地面を舐めるように入念に調べていた。
「間違いない。これはラジムの使節団のあとだ。二頭立ての馬車が一台。護衛は四人と言うところか」
「ケインさま!」
 アンが拾い上げたのは、何かの包み紙の切れ端だった。
「これは、チョコレートの包装紙……それもかなり上等なものだわ」
 アンは紙片にわずかに残った模様から、有名な高級菓子店のマークを見つけた。それは普通の兵士や一般庶民が、こんな辺鄙(へんぴ)な場所で食べる品ではない。
「どうやら、馬車の中で携帯食を食べた折に、何かの拍子に包み紙が飛んだものでしょう」
「そのようです」
「アンお嬢さん、お手柄です! この先にきっと奴らはいる。この悪路だ、そう遠くへは行ってないはず。あなたはここから川岸まで引き返してください。マルクをつけますので」
「いいえ。これだけでは、まだだめです。せめて遠くからでも使節団の姿を見つけなければ!」
「お嬢さん、あなたがそんなことをする必要はない。ここからは兵士の仕事です」
 しかし、ケインの声は僅かに弱い。早期に見つけ出せる確信がないのだとアンは思った。そこがつけ入る隙だ。
「決してお邪魔にはならなりません。お願いです。もう少しお役に立たせてください。馬は基本群れをなす動物です。きっと仲間の元へ行こうとする。私は馬の様子でわかるのです」
「し、しかし……」
「時間が惜しいです。行きましょう!」
 これ以上反対される前に、七十二号にまたがってアンは進み出す。ケインもマルクもそれ以上は何も言わなかった。標的は確実に捉えるべきなのである。

 待っててください、少尉さん!
 私はあなたまで絶対にたどり着くわ!

 時刻は真夜中時過ぎと言ったところか。冬の夜はまだまだ長い。
 取り囲むのはアンたちを押し潰すような、曇った夜空と、冷え切った夜風、そして荒涼とした起伏の多い国境の闇だった。
 黙々と進むうちに、七十二号が鼻を鳴らし、足を早めた。
「近いようです!」
 細い道の両脇は斜面になっているので進むしかない。アンが馬の首に身を伏せながら神経を研ぎ澄ませた。
 不意に馬が棒立ちになる。
「何かが来ます!」
 アンが、二人に叫ぶのと同時に、何か大きなものが上から滑り落りてきた。

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