死ねない魔女と輪廻の王子(ベリーズカフェファンタジー小説大賞:1話だけ部門)
その日は大きな満月の日だった。
魔物の森で『時の魔物』を追いつめ、あと一歩というところまで来たのに。
「なんで俺を庇った!」
月を背負いながら怒る満身創痍の恋人クロノスにセレスティは寂しそうに微笑む。
「撤退しよう」
「時の魔物がこんなに強ぇなんて」
魔術師オーステンや剣士ザックがリーダーのクロノスに撤退を提案したが、クロノスの耳には届かなかった。
「ダメだ! ダメだ、死ぬなセレス」
ゆすっても目を開けないセレスティの姿に、クロノスはグッと唇を噛んだ。
「ははっ。魔女が死にましたか。美人なのにもったいないことをしました」
時の魔物は大きな声で笑いながら魔術師オーステンに攻撃を加える。
オーステンがなんとか跳ね返した魔法は、近くの木を10本以上なぎ倒した。
「クロ!」
これ以上は無理だとオーステンは必死で訴える。
だが、セレスティの身体を抱きかかえたクロノスは顔を上げるどころか、身動きひとつしない。
オーステンはツラい状況に目を伏せた。
クロノスとセレスティはこの討伐が終わったら結婚する予定だった。
身分が違うセレスティとの結婚を許してもらうために、クロノスは時の魔物の討伐に了承したのだと。
こんな別れを覚悟していなかったといえば嘘になるだろうが、実際に起きてしまうと、あまりにも残酷な別れに慰める言葉も見つからない。
リーダーなんだからすぐに指揮を取れと叱責するべきだろうが、数分の別れくらいさせてやりたいと思うのはここにいる全員同じ気持ちだった。
「……セレス」
目を開けないセレスティの頬から耳の横に触れ、首まで撫でる。
手に触れたセレスティのネックレスにクロノスはハッとした。
「オーステン、時の魔物を足止めできるか? ザックは時の魔物の周りに剣で円を描いてくれ」
「30秒が限界だ」
「よくわからんが、囲めばいいんだな」
「俺の周りも頼む」
魔術師オーステンと剣士ザックがリーダーのクロノスの指示に従い行動する。
魔術師たちはオーステンの援護を、剣士は怪我人を避難させるためザック以外は後ろへ下がった。
「何が始まるのですかな?」
人間ごときに何ができるのかと、時の魔物はニヤニヤ笑う。
「……死なせない」
クロノスは剣で自分の親指に傷をつけ、血をセレスティのネックレスにこすりつけた。
「セレスは絶対に死なせない」
時の魔物の周りにザックが描いた円が一瞬で魔法陣に変わる。
セレスティを抱えたクロノスの下にも現れた同じ魔法陣に時の魔物は目を見開いた。
「馬鹿な。人間ごときが俺の魔力を吸いとるなど」
苦しそうに胸元をグッと掴みながら、時の魔物は魔法陣から出ようと必死にあがいた。
禁呪だってなんだっていい。
セレスティが戻ってくるなら。
「戻ってこい、セレスティ!」
眩しい光とドンという音が響き渡る。
魔物の森を月明かりだけが照らす頃には、魔物の姿はそこになかった。
「撤退中止! 怪我人の治療を急げ!」
「回復薬を!」
周囲がバタバタする中、セレスティがゆっくりと目を開ける。
「クロ……? 泣かないで」
セレスティが泣きそうなクロノスと満月を見て微笑む。
「おかえり、セレス」
クロノスは切なそうに微笑むと、セレスティをギュッと抱きしめた。
◇
「熱が引かないな」
「大丈夫よ」
「無理しなくていい」
起き上がろうとするセレスティを止めたクロノスは、持ち上げたネックレスにそっと口づけを落とした。
時の魔物を討伐する任務には失敗したが、時の魔物から多くの魔力を奪うことには成功した。
魔術師オーステンの話によれば、数百年は現れないのではないかと。
国王陛下に謁見するため王宮へ戻ったクロノス率いる討伐隊は、この離宮に宿泊をさせてもらっている。
セレスティが蘇ってから3週間ほどたったが、ずっと熱は下がらず、ほぼ寝ている状態だった。
それでも生きていてくれるだけでいい。
笑ってくれるだけでいい。
クロノスはセレスティの綺麗な黒髪を撫でながら微笑んだ。
「元気になったら討伐隊だけ招待して結婚式をしよう」
セレスティのウェディングドレス姿はきっと綺麗だから、本当は誰にも見せたくないとクロノスは拗ねる。
その変な発想にセレスティは笑った。
「今日、晩餐会だよね」
「セレスティとファーストダンスを踊りたかったのにな」
「クロは王女と踊らないと」
「ファーストダンスは婚約者と……だろ?」
「……私が貴族だったらね」
セレスティの言葉にクロノスはギュッと拳を握った。
魔女の村ルーライズで生まれたセレスティは、時の魔物によって消された村の唯一の生き残りだった。
食べる物もなく、どうしたらよいのかわからなかった5歳のセレスティを保護してくれたのが、当時王宮騎士団の総長だったクロノスの父フォレスト公爵。
セレスティはフォレスト公爵邸で侍女として働かせてもらっていた平民だ。
「晩餐会楽しんできて」
平民は晩餐会に招待されない。
セレスティだけでなく、剣士も魔術師も平民はみんな招待されていない。
いくら討伐隊のメンバーでも、どんなに活躍した人でも。
「クロ、そろそろ準備しないと」
「あとでケーキを持ってくるよ」
「桃がいいわ」
「この時期にあるかな」
なかったら、いちごのタルトだぞとクロノスは笑う。
いちごのタルトはクロノスが1番好きなスイーツだ。
桃のスイーツがあっても、いちごのタルトを持ってきそうなクロノスにセレスティは微笑んだ。
フォレスト公爵家の紋章が刺繍されたタイをつけ、ジャケットを羽織り、カフスボタンで袖を止めたクロノスはどこからどう見ても見目麗しい公爵子息だ。
剣を持って戦うなんて思えない。
それでも王宮騎士の誰よりも強いクロノスは、討伐隊のリーダーに相応しい実力と人望をもつ人物。
王女が結婚相手にと狙うのは当然だ。
平民の自分が彼と結婚できるはずはない。
そんなことはわかっているけれど、少しでも側にいたくてセレスティはフォレスト公爵に頼み、討伐隊に入れてもらった。
「行ってくる。できるだけ早く戻るよ」
「いってらっしゃい」
クロノスを見送ったセレスティは水を飲もうと起き上がった。
黒い髪はだいぶ長くなった。
こんな地味な髪でも、クロノスは綺麗だと言ってくれるから嬉しかった。
クロノスの金髪の方が綺麗なのに。
ノックの音が響く扉に顔を向けたセレスティは、思いもよらない人物の登場に目を見開いた。
「宰相様?」
もう晩餐会が始まる頃なのに、なぜここに?
セレスティの胸に嫌な予感が広がる。
「この国から出て行ってほしい」
「……え?」
「英雄クロノスは次期国王になる。このあとの晩餐会で王女との結婚が発表される予定だ」
宰相から告げられた残酷な言葉に、セレスティの息は止まりそうになった。
この国の王子2人は数年前に時の魔物に殺されてしまった。
国王の弟も、その子供たちも一緒に。
残っているのは王女だけ。
つまり王女の夫となる人が次期国王だ。
王女がクロノスを好きだというのは知っていた。
王女の熱い視線に気づかないはずはない。
自分がクロノスと両想いな自信はあるけれど、彼は公爵子息。
平民との結婚は許されない。
「今すぐこの国を出て行ってくれ」
宰相はポンと布袋をセレスティのベッドの上に放り投げた。
「手切れ金だ」
「……いりません」
あぁ、クロノスがこの部屋からいなくなる今日しか宰相が私を追い出す機会はなかったのだ。
愛人になることがないように、王女の邪魔をしないように、この国から出て行けと。
「裏門に馬車を待機させている」
行先も何も伝えられず、その馬車に乗ることしか許されない。
どこかで殺されるのだろうな。
だったら、あの日、あのまま死んだ方がよかった。
部屋を立ち去る宰相の後ろ姿から目を逸らしたセレスティは、ギュッとネックレスを握りしめた。
◇
キラキラとシャンデリアが光る晩餐会の会場は着飾った多くの貴族が今か今かと英雄の登場を待ちわびていた。
ふかふかの赤い絨毯を歩くクロノス、オーステン、ザック。
討伐隊メンバーたちは綺麗に並んで3人のあとに続いた。
鳴りやまない拍手。
多くの視線。
出発するときは憐みの目もあったのに、今日はそんな雰囲気はない。
これで国が平和になったと喜んでいるように見えた。
国王陛下の前で跪くと、会場はいっきに静かに。
「英雄クロノスのおかげで、我が国に平和が戻った」
宰相の言葉に、ワッと盛り上がる貴族たち。
「クロノスの功績を称え、王女ローズマリーと英雄クロノスの結婚をここに宣言する」
「……は?」
国王のアリエナイ言葉に驚いたクロノスは目を見開いた。
あわてて父の姿を探したが、普段は国王陛下の側に控えているはずの父の姿がない。
セレスティと結婚させてくれると言ったではないか。
だから命を懸けて討伐に行ったのに。
これでは話が違う。
「他の者達には別途褒美を準備している。それぞれ受け取ってくれ」
「……王女との結婚がクロノスへの褒賞ってことか? どこが褒美だよ」
「ザック、聞こえるぞ」
「聞こえねぇよ、こんなうるさい場所で」
これはあまりにもクロノスとセレスティが可哀想ではないか。
セレスティは身代わりになってまでクロノスを救おうとしたのに。
今、ここにクロノスがいるのは全部セレスティのおかげなのに。
ザックはギリッと奥歯を鳴らした。
「陛下、無礼を承知で申し上げます」
クロノスはグッと拳を握ると、跪いたまま国王陛下を見上げた。
「英雄クロノス、貴殿の発言は認めない」
宰相の言葉に、討伐隊メンバーに怒りがこみ上げる。
「オーステン、ザック。聞こえているか?」
「はい」
「おう」
「討伐隊の中には褒章がないと困る奴らもいる。あとは任せた」
クロノスから小声で伝えられた言葉に了解するしかない魔術師オーステンと剣士ザックは小さく頷いた。
「私の褒賞は辞退します。ですが彼らは危険を顧みず討伐についてきてくれた者たち。彼らには褒賞をお願い致します」
クロノスは立ち上がると宰相の静止も聞かずに出口に向かう。
数人の討伐隊メンバーがクロノスと一緒に動こうとしたが、オーステンとザックがすぐに止めた。
「英雄クロノス、今すぐ戻れば無礼は不問にしよう」
「私には愛する者がいます。王女と結婚する気はありません」
反逆だと言われてもかまわない。
今すぐセレスティとここから逃げよう。
この討伐に行く条件がセレスティと結婚することだった。
無事に帰ってきたら結婚させてくれると。
それを王女と結婚だと?
なんのために死ぬかもしれない討伐に行ったと思っているんだ。
「セレス、急いでここから……。セレス?」
部屋の扉を開けたクロノスは目を見開いた。
「セレス? どこだ?」
布団の上にはなぜか金貨が入った布袋。
こんなもの荷物の中にはなかったはず。
「……熱があるのに」
連れ出された?
……誰に?
晩餐会の間に……?
「魔女は出て行った」
「おまえが追い出したのか!」
宰相の胸ぐらをクロノスが掴むと、護衛騎士は一斉にクロノスへ剣を向ける。
宰相を殴ろうと振り上げたクロノスの手は護衛騎士によって止められてしまった。
クロノスは騎士の手を振り払うと、王宮の裏口へ。
「おい、荷物を持った長い黒髪の女を見なかったか?」
「あ、はい。40分、いえ50分ほど前でしょうか。馬車で」
「……馬車?」
裏口の守衛が向こうへ行ったと方角を教える。
「クロノス・フォレスト。宰相への暴行未遂で同行してもらう」
「離せ! すぐに追いかけないと」
行先も何もわからないけれど。
馬車がどちらの方角へ行ったのか、今なら誰かが覚えているかもしれない。
貴族たちが大勢馬車で帰ったあとではダメだ。
「離してくれ、……頼む。セレスを探しに行かせてくれ」
宰相の命令で追いかけて来た王宮の騎士に拘束されたクロノスは秘密裏に地下牢へ。
討伐隊には何も知らされないまま、何もできないまま数日が過ぎた――。
◇
馬車に乗ったセレスティは、再び熱が上がり、気を失うように眠りについた。
この馬車には窓がない。
今が昼なのか夜なのかさえわからない馬車だったが、いつ目を覚ましても小さな明かりは灯っており、水や食料が交換されているのは不思議だった。
あれから何日たったのかもわからないけれど、まだ熱は下がっていない。
時の魔物の魔力と、魔女の魔力が反発し合っているような奇妙な感覚を落ち着かせるため、セレスティは胸元のネックレスを押さえた。
ガチャと扉をあける音に心臓が飛び出そうになる。
ゆっくりと開く扉から見えたのは、意外にも見慣れた人の顔だった。
「……フォレスト公爵?」
空には満月。
そしてこの場所は……。
「……ルーライズ?」
「そうだ」
迷いの森の奥にある魔女の村ルーライズ。
ここへたどり着くのは、このルーライズで生まれた者、またはここから持ち出された何かを持っている人だけ。
セレスティが5歳の時に助けてくれたフォレスト公爵がここにたどり着くのは不思議ではないけれど、王都からルーライズまでどのくらいかかるのか、どの道を通るのかセレスティは知らない。
5歳のときも、そして今回も、眠っているうちについてしまったからだ。
「満月……ということは、晩餐会から1週間ほど経ったのですね」
「そうだ」
フォレスト公爵は、見た目は気難しそうでよく誤解されるが、とても優しい人。
眠っていたのに水や食料が交換されていたのも納得できる。
そしてこの場に連れてきてくれたのも。
「……すまない」
悔しそうな表情で謝罪するフォレスト公爵に、セレスティは首を横に振った。
「セレスティのおかげでクロノスが無事だったのに」
「国王陛下の命令には逆らえない……ですね」
物分かりが良すぎるセレスティにフォレスト公爵はグッと拳を握った。
あぁ、このクセは親子で似ているのね。
クロノスもよく我慢しなくてはいけない時にこの動作をしていた。
「でも、私を逃がしてしまったら公爵様が怒られるのでは?」
「ここには誰もたどり着けない」
そうだろう? とフォレスト公爵は悲しそうに笑った。
ここは迷いの森の中。
誰も来ることはできない。
クロノスも、だ。
食料も水も怪しまれない程度しか持ってこれなかったと馬車の後ろを見せてくれたが、一人で食べるには数日困らないほどたくさんの食料が詰められていた。
「少しだけ、髪を切らせてくれないか?」
「死んだ証拠に、ですね」
剣で髪を切り落としハンカチに大切そうに包むと、フォレスト公爵は建物も何もないルーライズの村を眺めた。
もう誰も住んでいない街。
最後の魔女。
そして息子クロノスの命の恩人で、最愛の女性。
クロノスには一生恨まれるだろう。
それでも領地の人々のためには王命に従わなくてはならない。
「クロノスが危険な討伐任務をどうして受けたか知っているか?」
「王命では?」
「おまえと結婚するためだ」
「……え?」
「クロノスは討伐から戻ったらセレスティを貴族の養子にし、自分と結婚させてくれと頼んだのだ」
クロノスは討伐の褒章は何もいらないからセレスティと結婚させてくれと、そして宰相が自分の娘にすることを承諾していたとフォレスト公爵はセレスティに話した。
だが討伐から無事にクロノスが戻ってくると、王女と結婚させると、セレスティを殺せと命じられたのだと、フォレスト公爵は悔しそうに唇を噛んだ。
「クロは……本当に私と結婚するつもりで……」
公爵子息と平民が結婚できるわけないのに。
「もともと討伐は私が行くはずだった」
死を覚悟のうえで。
王子も王弟もみんな亡くなってしまい、それでも時の魔物を討伐しなければ国が危ないと、白羽の矢が立ったのがフォレスト公爵家。
「……使い捨てなのだ、我々は」
フォレスト公爵は大きな満月を見上げながら辛そうに呟いた。
1頭の馬を馬車から外し、手綱を付け替える。
「もう1頭は好きにしろ」
「では、森に放してあげてください」
ここにいても世話ができないとセレスティは微笑む。
食糧にすることだってできるのに、そうしないセレスティの優しさがフォレスト公爵にはツラかった。
「あの、フォレスト公爵。最後にひとつだけ聞いてもいいですか?」
「どうしてここに来られるのか……か?」
ここへたどり着くのは、このルーライズで生まれた者、またはここから持ち出された何かを持っている人だけ。
フォレスト公爵は古いネックレスを取るとセレスティに差し出した。
「……え?」
フォレスト公爵のネックレスはセレスティのネックレスと同じ。
魔女の村ルーライズのネックレスだ。
だが裏の模様が違う。
でもこの模様は……。
「おとうさんの家……?」
セレスティが首を傾げると、フォレスト公爵は目を見開いた。
このネックレスの持ち主は、結婚したかったのにできなかった女性。
後にも先にも愛したのは彼女だけだ。
だが彼女は消えてしまった。
このネックレスを残して。
騎士団の休みの日に国中を探し回り、ようやくあの日たどり着いた魔女の村。
だがそれは一足遅く、生き残ったのはセレスティだけだった。
「……ウィンディを知っているのか?」
「ウィンディおばさん? もしかしておばさんの初恋相手ってフォレスト公爵?」
外の世界は危ないと、好きな人とは幸せになれないと言っていたウィンディおばさん。
今ならわかる。
フォレスト公爵も別の女性と結婚したのだ。
「ウィンディの姪っ子だったのか。だから似ているのか」
だから殺せなかった。
殺したくなかった。
結局、クロノスと添い遂げさせてやることは出来ず、この魔女の村に連れてくることしかできなかったが。
「親子二代で裏切ってしまったな……」
すまないと小さな声で呟きながら、フォレスト公爵はセレスティを抱きしめた。
まるでウィンディおばさんに謝罪しているかのように。
セレスティがネックレスを返すと、フォレスト公爵は切なそうな表情で再びネックレスを身につけた。
「元気で、セレスティ」
「はい。今までありがとうございました」
12年ぶりの家。
地上はもう何もないけれど、地面の扉は昔のまま。
子供の頃は開けるのが大変だったが、今なら簡単に開けられる。
「ただいま」
セレスティが誰もいない家に入ると、魔女の家は主人の帰宅を喜び、明かりを灯した。
◇
「なんでクロが地下牢に!」
剣士ザックはガシャンと鉄格子を鳴らしながら声を荒げた。
命懸けで討伐へ行った国の英雄にこんな仕打ちをするなんて。
クロノスは好きな女と結婚したいと言っただけじゃないか。
「クロ、食べねぇと死ぬぞ」
クロノスの両手両足は鎖で繋がれ、生きる気力もなくただ壁にもたれているだけ。
親友クロノスのやつれた姿に、ザックは王家が許せないと拳を強く握った。
「おい、俺をこの中に入れてくれ」
護衛に頼み、ザックは檻に入った。
虚なクロノスの横に座り、無理やり口に水を突っ込む。
半分以上こぼれたが、飲まないよりはマシ。
そう思っているに違いないザックの強引な方法に、思わずクロノスは苦笑した。
「次は? スープか?」
冷めたスープを手に取ったザックは眉間にシワを寄せた。
こんな食事が公爵子息に出す料理か?
「……ザック」
「うん?」
クロノスは護衛に聞かれないように、声を出さずにザックに伝えた。
『セレスを探してくれ、あの日宰相に追い出された』
「ほら、口を開けろよ。スープだぞ」
ザックは護衛にバレないようにスープを飲ませるフリをする。
『どこに?』
『わからない。馬車で西に』
「このスープ冷めてて不味そうだな。これじゃ飲む気にならねぇよな」
ザックはカチャカチャとスープをかき混ぜた。
『父もいない。あの日会場にいなくて、ずっと会っていない』
『おまえが捕まっているのに?』
クロノスが頷くとザックは眉間にシワを寄せた。
『セレスティのことは任せろ』
ザックの言葉でようやくホッとしたクロノスは意識を失うように眠りにつく。
「……眠ることも出来なかったのか」
ザックはクロノスを冷たい床に寝かせると、薄い毛布を掛けた。
罪人と同じ扱いをして、王女と結婚するから許してくださいとでも言わせるつもりか?
酷すぎるだろ。
ザックは護衛に合図し檻から出ると、急いで魔術師オーステンの元に向かった。
「どうやって探せばいいと思う?」
ザックに聞かれたオーステンは頭を抱えた。
あの日からもうすぐ2週間。
馬車がどこに行ったか覚えている街の者はおそらくいないだろう。
馬車の御者は誰だったのか守衛に確認したが覚えていないと。
馬車の特徴も尋ねたがよく覚えていないという答えだった。
「命懸けで戦ったのに」
「こんな風に引き裂かれるくらいなら……」
「ザック!」
「あぁ、いや……すまん」
セレスティが生きているのは嬉しい。
討伐隊のメンバーはどんな身分でもみんな仲間だ。
全員幸せになってほしい。
もちろんクロノスとセレスティもだ。
「それより、どうしてフォレスト公爵が不在なんだ?」
「息子が牢屋にぶち込まれているってのに」
それも変だとオーステンは溜息をついた。
結局何も手がかりがないまま日々は過ぎ、異変に気づいた時にはもう手遅れだった。
「なんでクロが王女と……?」
「クロは命乞いするような奴じゃねぇ」
オーステンとザックは目の前の光景に目を見開いた。
王女と恋仲であるかのように歩くクロノスの姿。
痩せてはいるが、地下牢にいた時よりもずっと回復している。
「クロ! 一体どういう……」
「誰だい? 剣士のようだが気軽に話しかけないでくれ」
さぁ行こうと王女の手を引き去っていくクロノスに今にも掴みかかりそうな剣士ザックを止めたのは意外な人物だった。
「……フォレスト公爵?」
「すまないね」
ここでは話せないからと庭園に移動し、魔術師オーステンが外部に聞こえないように防音の魔術を使うと辺りは静まり返った。
「クロノスは死んだ」
「え? でもさっき……」
「忘却の薬を飲まされ、君たちのことも、私のことも、彼女のことも、もう覚えていない」
「忘却の薬が実在するのですか?」
忘却の薬を飲まされたが、クロノスは忘れなかった。
だから3倍の量を飲ませたら自分の名前も忘れてしまったと宰相から笑って言われた時には殺意を覚えたと、フォレスト公爵は悔しそうに2人に打ち明けた。
「あれはただの操り人形。私の息子のクロノスは死んだ」
「……そんな」
「今までクロノスを支えてくれてありがとう」
フォレスト公爵は領地へ戻り二度と王都には来ないこと、討伐隊で生活に困った者がいればいつでも領地で受け入れることを2人に伝える。
「あぁ、最後に。もし正気に戻ったら迷いの森と伝えてほしい」
「それはセレスティの……?」
「いや、これは私のものだ」
ネックレスを見せながら、そんな日は永遠に来ないだろうと寂しそうに笑うと、フォレスト公爵は社交界から姿を消した――。
英雄クロノスは多くの国民に祝福されながら王女と結婚し、2人の王子に恵まれ、良き国王となった。
フォレスト公爵が会いに行くことはなく、討伐隊とも友人とも一線を引いた態度は逆に貴族たちからは高評価だった。
32年が過ぎたある日、フォレスト公爵が亡くなったという知らせが王宮に届いたが、クロノスは葬儀には参加しなかった。
「このネックレスを握っていただけないでしょうか?」
「前フォレスト公爵の弔いだと思って」
ようやく謁見を許されたオーステンとザックは、国王クロノスに最後のお願いをしに訪れた。
これで最後、もうクロノスには会わない。
二人はそう心に決めていた。
「特に仕掛けはないようですね」
新しい宰相は討伐へ行った頃の宰相の息子。
顔はそっくりだが、自分達とは初対面の男だ。
「……っ」
古いネックレスのチェーンが宰相の指を引っ掻く。
ネックレスについてしまった血を宰相はハンカチで拭き取った。
「陛下、ここが尖っておりますのでお気をつけください」
古く痛んでいるが、ただのネックレスだということを確認した宰相はクロノスに手渡す。
「……ぐっ」
ネックレスに触れた瞬間、クロノスの頭の中で何かが弾けた。
「うあっ、」
頭を押さえながらうめき声を上げるクロノスの姿にオーステンとザックは目を見開いた。
「衛兵! この者たちを捕らえよ!」
宰相の命令で駆けつける騎士たち。
「おまえたち、俺の仲間に触れるな!」
国王クロノスのアリエナイ言葉に、オーステンとザックだけでなく、宰相も騎士たちも驚く。
「ザック、だよな? 何がどうなっている? なんで歳をとっている?」
「30年以上経ったんだよ、おっさんになるだろ」
「30年?」
謁見の間の階段を駆け下り、ザックとオーステンの元へ駆け寄ったクロノスの頭を、ザックは泣きそうな顔でぐしゃぐしゃと撫でた。
「それを持って迷いの森へ」
「それが前フォレスト公爵の遺言だ」
「……遺言?」
父が亡くなったことも知らない様子のクロノスに驚いたオーステンは宰相を睨みつける。
「今すぐ行くだろ?」
「当たり前だ!」
「陛下、お待ちください! 衛兵、陛下を止めろ!」
騒ぐ宰相は無視。
重たいマントを脱ぎ捨てながらクロノスは衛兵に「ついてくるな」と言い放った。
裏口から馬に乗り、3人で迷いの森を目指す。
道中で今までのことを聞いたクロノスはショックでしばらくの間、黙り込んだ。
「迷いの森へ突っ込むぞ」
迷いの森までは馬車で一週間。
単騎でも3日はかかる距離だ。
途中でフォレスト領に寄り、馬を交換。
睡眠は最低限で馬を走らせた。
「さすがに歳だな」
徹夜は無理だと笑うザックはなんだか楽しそうだった。
「携帯食、かなり美味しくなったね」
30年前よりずっと進化しているとオーステンも笑う。
再会したばかりだがずっと一緒にいるかのような錯覚はなぜか居心地が良かった。
「クロ、追手だ」
「さすがに若い騎士には勝てないねぇ」
急いで馬を走らせ、迷いの森までなんとか辿り着く。
「行け、クロ!」
「おまえたちは?」
「少しここで足止めしてやるさ」
「大丈夫、すぐ逃げるよ」
もう若くないからねと言うオーステンにザックは声を上げて笑った。
「ありがとう、オーステン、ザック」
「あいつによろしくな」
迷いの森に消えるクロノス。
見送った2人は時の魔物の討伐よりもなぜか達成感を味わった気がした。
クロノスは薄暗い森で馬を走らせた。
ネックレスを握りしめ、セレスティに会いたいと願う。
急に開けた見知らぬ場所にクロノスは戸惑った。
「……迷いの森にこんな場所が?」
家はない。
あるのは馬がいない馬車だけ。
植物が生い茂り、かなり古そうだけれど。
「フォレスト公爵……?」
聞き覚えのある声に振り向いたクロノスは驚いた。
「セレス……?」
昔と全く変わらないセレスティ。
なぜ年を取っていない?
どうしてここに?
なんであの時いなくなった?
聞きたいことはたくさんあるのに、クロノスはセレスティをただ抱きしめた。
「クロノスだ。もう53歳だけれど」
「……え?」
あれから33年も経っているということ!?
「自分の名前もわからなかったの?」
それでよく国王ができたねと冷静に答えるセレスティに何度も謝罪しながら、クロノスはオーステンとザックから聞いたことを話した。
「歳を取らない?」
セレスティは自分が老いることができない身体になったと打ち明ける。
食べ物も飲み物も必要なく、眠る必要もなくなったと。
「時の魔物の魔力のせいか?」
「たぶん」
自分がとんでもない過ちを犯したと知ったクロノスは何度も謝ったがセレスティはいつも悲しそうに笑うだけだった。
フォレスト公爵が置いて行ってくれた食料はいつの間にか生い茂り、魔女の村でもクロノス1人食べるのには困らない程度の食料を取ることができた。
「来世も会いたい」
「うん、会いに来てね。ここに居るから」
幸せな日々はたった8年で終わりを迎えたが、それでも一緒にいられたことが嬉しかった。
クロノスが亡くなり、再び一人になったセレスティ。
家に残っていた膨大な本も読みつくしてしまった。
魔女の力も極め、クロノスが残した剣も自由に振り回せるように。
「次は何をしようかしら」
セレスティは大きな満月を見ながら小さな声でつぶやいた。
◇
「……魔女の髪?」
王宮の禁書エリアで見つけた箱に手を掛けた第二王子カイロスは、そっと蓋を開けた。
中身は髪の毛。
真っ黒でツヤツヤな髪だった。
「すごっ、真っ黒だ」
カイロスは光を集めるような輝く金髪。
黒い髪は新鮮だった。
「おい!」
「わぁぁ!」
急に兄から掛けられた声に驚き、カイロスは箱を下に落とす。
髪の毛はカイロスの小さな足の上に落ち、箱は床にひっくり返った。
「母上が呼んでる」
「う、うん、すぐ行く」
カイロスは慌てて髪を箱に入れ、元の本棚に戻す。
本ではないのに、本棚にある変な箱。
あとでこっそり誰かに聞いてみようと思いながらカイロスは急いで義母の元へ向かった。
「剣でロドニーに怪我をさせたんですって?」
呼び出されたカイロスは、ジロッと義母に睨まれた。
兄ロドニーは正妃である義母の息子。
カイロスは側妃の息子だ。
「少し転んだだけで……」
ロドニーは自分で転んで、手のひらを少し擦りむいた程度。
怪我というほどでもないのに。
「事故に見せかけてロドニーを殺そうとしたのでしょう! あぁ、なんて酷い子」
「そんなこと!」
「お黙りなさい! もう見過ごせないわ。セバス、迷いの森にこの子を捨てなさい」
綺麗な扇子を広げながらとんでもないことを命令する王妃に、侍従セバスは自分の耳を疑った。
「聞こえなかったの? 迷いの森に捨ててきなさい」
「ですが、王妃様。カイロス様は第二王子。そのような場所に……」
「陛下が外遊中は私がこの国で1番偉いのです。私の命令に従えないのなら、」
「わ、わかりました」
侍従セバスは騎士に命じ、まだ5歳のカイロスを動物用の檻に。
「助けて!」
カイロスがどんなに訴えても、全員見て見ぬふり。
第二王子カイロスを乗せた馬車は、国王不在の城を出発した。
「カイロス様。すみません」
「王妃様には逆らえないのです。申し訳ありません」
「待って! 置いて行かないで!」
馬車を迷いの森の中に放置し、去って行く騎士たち。
真っ暗な森に一人残されたカイロスは、恐怖で震えた。
イヤだ、死にたくない。
なんで殺されなきゃいけないの?
ロドリーは自分で転んだのに。
馬がいなくなった馬車は森に放置され、動く気配はない。
檻の鍵さえあけてくれなかった騎士たち。
このままここで死ねということだ。
死にたくない、死にたくない、死にたくないっ!
カイロスは小さな手でギュッと檻を握りしめた。
真っ暗だった森に月明かりが差し込むと、急に目の前の木々が見えなくなった。
木が消えたという表現の方が正しいかもしれない。
馬車は動くはずがないのに、目の前の景色が変わっていく。
不思議な出来事にカイロスは自分の目を疑った。
「……子供? どうして?」
ここは魔女の村。
ここに入ることができるのはここで生まれた者か、ここから持ち出された何かを持っている者。
関係のない者が入ることはできない。
セレスティは突然現れた檻に入った子供を不思議そうに眺めた。
「た、助けて。死にたくない」
檻の中の子供が必死で訴える。
月明かりで輝く綺麗な金髪、小さいのに整った顔、そして身に着けた服は高級品のようだ。
こんな小さな子供でも、愛しい恋人クロノスに見えてしまうのは、人恋しいからだろうか?
セレスティは寂しそうに微笑んだ。
「鍵を壊すから少し離れて」
セレスティは南京錠に手をかざす。
固いはずの鍵は簡単にジュワッと溶けて下に落ちた。
「おねーさんは魔女なの?」
「……そうよ」
怖がっているのかと思ったセレスティは、キラキラ目を輝かせている子供に戸惑った。
「やっぱり! 箱の髪と一緒だからそうだと思った!」
「箱の髪?」
「入っちゃいけないところにある魔女の髪! あの髪もツヤツヤで綺麗だったけれど、おねーさんの髪の方が綺麗!」
魔女の髪?
……まさか、フォレスト公爵が切った私の髪?
「今日、その魔女の髪を触った?」
「な、な、なんでわかったの? 見ていたら落としちゃって、床に落ちて、それで、その」
モジモジと俯く子供にセレスティはクスッと笑った。
檻を開けて手を差し伸べると、小さな手が握り返してくる。
もしクロノスとの間に子供がいたら。
なんて馬鹿なことを考えた自分にセレスティは苦笑した。
「地面に扉! すごい!」
部屋に入ると自動で明かりが灯る魔女の家。
木の家具は使い込んだ愛用品。
「ここに座って」
セレスティは少年を長年主人がいなかったクロノスの椅子に座らせた。
少年のズボンには数本の黒い髪。
あぁ、私の髪だ。
フォレスト公爵が死んだ証に持って行った私の髪。
セレスティはなぜだかフォレスト公爵がこの子に引き合わせてくれたような気がした。
「私はセレスティ。名前を教えて」
「カイロス! カイロス・フォレスト」
フォレストの名前にセレスティは目を見開く。
「フォレスト公爵?」
「ううん。フォレスト国」
「マクスベール国ではなくて?」
「あっ! 知ってる! 昔はマクスベールで、英雄が王様になってね、それで国の名前が変わったって習った!」
英雄ってクロノスだよね?
フォレスト国になった?
クロノスはそんなこと言っていなかったけれど。
「1000年くらい前だよ」
ちゃんと歴史の勉強しているよと得意げな顔をするカイロス。
セレスティは1000年という言葉に息が止まりそうになった。
カイロスは迷いの森に来た経緯を話しているうちに眠ってしまった。
帰ったら殺されると泣きながら。
どうしたら良いのだろう?
この子をここで育てる?
この子はクロノスの子孫。
似ていると思ったのは気のせいではなかった。
セレスティはカイロスをベッドに運ぶと、外へ食料を探しに出かけた。
「……ここの野菜は相変わらず元気ね」
クロノスがいた頃よりもさらに生い茂った畑でトマトを手に取りながらセレスティは昔を懐かしんだ。
「……それにしても1000年、ね」
まさかそんなに経っていたなんて。
「あっという間だったのでは?」
突然の声に驚いたセレスティは声の方に勢いよく振り返る。
「……時の、魔物?」
以前は20代の美男だったが、今はまだ10代前半のような若さだ。
「魔女さんは今日も美しいですね」
「……何しに来たの?」
「やっとここまで回復したのでご挨拶に」
子どものような姿でこの不気味さは流石というべきなのだろうか?
時の魔物の闇のような真っ黒の目にセレスティは身震いする。
「またお会いましょう」
時の魔物は一瞬で消え、まるで今の出来事が夢だったのではないかと錯覚しそうだ。
わざわざ挨拶に来たなんておかしい。
1000年も来なかったくせに、あの子が来た今日現れるなんて。
……あの子を強くしなくては。
時の魔物に殺されないくらい、強く。
セレスティは野菜を手に持つと、急いで家へと戻った。
「住む! ここに住む!」
翌朝、カイロスは大喜びだった。
「その代わり、剣の特訓をするわよ」
「うん! 僕ね、本当はロドリーより強いんだ。でも騎士団長がロドリーに勝っちゃダメって」
「ロドリー?」
「兄上だよ。兄上の母上の方が偉いの」
正妃の息子ロドリーより側妃の息子カイロスの方が優秀だから殺そうとしたってことね。
国王は一体何をしているの?
クロノスの時もそうだったけれど、王家って本当に腐ってるわ。
「これをずっと着けていて」
セレスティはフォレスト公爵の形見、クロノスが受け継いだネックレスをカイロスの首にかけた。
「おそろいよ」
「わぁ!」
「これがないとこの家に帰ってこれないの。だから絶対に外さないで」
「わかった!」
翌日から2人で剣の特訓を始めた。
クロノスの剣はまだ大きすぎるので、木の棒で。
10歳になる頃には魔術の才能も見えはじめ、セレスティはカイロスに魔術も教える事にした。
偽名で冒険者登録をし、練習ついでに二人で簡単な討伐もした。
目立たないように依頼は最低限に。
そして18歳になる頃には、王宮魔術師も王宮騎士団も彼にはかなわないのではないかと思うほどカイロスは強くなった――。
「セレス。作業は明日にして、もう寝よう」
「明日売る傷薬をもう少し作りたいから、カイは先に寝て」
「ダメだ、そう言ってまた眠らない気だろう」
カイロスはセレスティの手から薬草をヒョイッと取り上げると、セレスティの手を握りベッドに連行した。
「私は眠らなくても平気なのよ?」
「寒いから一緒に寝て」
先に寝ころび、ポンポンとベッドを叩くカイロスにグイっと引っ張られ、結局ベッドに引きずり込まれたセレスティは溜息をついた。
「もう大きいんだから」
「はいはい、おやすみ」
ガッチリ掴まれ、逃げられないセレスティはあきらめて目を閉じる。
眠らなくても平気。
だが、横になれば眠ってしまう。
最近あまり眠っていないせいか、セレスティはカイロスよりも先に眠りに落ちた。
「もう寝てるし」
カイロスはあっという間に眠ってしまったセレスティに苦笑した。
背はセレスティよりも大きくなった。
魔術はまだ敵わないけれど、剣は同じくらい強くなった。
料理もできるようになった。
それでもまだ子ども扱いだ。
どうしたら男として見てもらえるのだろうか?
寝顔を眺めながら待っているとすぐに始まる寝言。
「……ロ、逝かないで……」
泣きながら眠っているという自覚はあるのだろうか?
満月が近くなると眠らなくなることも、時々、遠くをぼんやり見つめていることも自覚はないのだろう。
カイロスはセレスティの黒い髪を一房取り、口づけして戻す。
「もういない男よりも、俺にしろよ」
泣きながら眠るセレスティを抱きしめながら、カイロスはゆっくりと目を閉じた。
◇
「この耳飾りセレスに似合うと思うけれど」
「今日はカイの服を買いに来たのよ」
いつもより少し遠い街ラグーに来たセレスとカイロスは、街の明るい雰囲気に浮足立った。
今日はカーニヴァル。
多くの露店が並び、にぎわった街は音楽と花で溢れ、見ているだけでも楽しくなる。
「……ザック巻き?」
セレスティは変な名前の食べ物の前で足を止めた。
棒に肉をぐるぐる巻きにした食べものだ。
「お嬢ちゃん、ザック巻き食べたことないのかい?」
店主は慣れた手つきで肉を焼きながら、うまいぞと声を掛ける。
魔女の秘薬で髪色を変えたセレスティとカイロスは、顔を見合わせた。
「祭りでしか食べられない限定品だよ」
「1本くれ」
「まいどあり」
支払いを済ませたカイロスは受け取るとセレスティに。
思ったよりも重たい肉にセレスティは驚いた。
「ははは。驚いたかい? 英雄と一緒に戦った剣士ザックが好きだった食べ物さ」
「ザックが?」
「串にジャガイモを挿して、その周りに肉を巻いてあるんだ」
よく食べていたんだってさと笑う店主。
あぁ、そうだった。
ザックは本当は肉をたくさん食べたいのに討伐中は保存食ばかりで、こうやって食べればじゃがいもにも肉の味が染みこむんだって豪快に笑っていた。
少食のオーステンは肉だけでいいと困った顔をしていたっけ。
「……少し甘辛い醤油味よね」
セレスティはもう味わうことができないザック巻きを少し眺めた後、泣きそうな顔でカイロスに手渡した。
「せっかくだから剣士ザックの遺品が領主館にあるから見ていくといい。カーニヴァルの間しか公開されないんだ」
領主館はあっちだと親切に教えてくれる店主。
あっという間に食べてしまったカイロスはセレスティの手を握りながら歩き出した。
「カイ?」
「迷子にならないように」
ギュッと握られた手は大きくて温かい。
いつの間にこんなに大きくなってしまったのか。
今では初めて街に行った時のワンピース姿が懐かしい。
子孫だから当たり前なのかもしれないけれど、似すぎていて戸惑うことがある。
笑った顔や剣を振る時の顔もそうだけれど、性格も似ているような気がするのは私の願望かもしれない。
「セレス? ごめん、歩くの早かった?」
「ううん、大丈夫」
こうやって気を遣ってくれるところも、少し上から覗き込むクセも。
比べてはいけないとわかっているけれど。
「剣士ザック様は、英雄の望みを叶えるため王家に立ち向かったのです。追われる身となったザック様を保護したのが私の祖先で……」
領主館もカーニヴァル同様、たくさんの人で賑わっていた。
現領主のありがたい解説付き。
ザックはクロノスを迷いの森に送った後、どうやらこの街に永住したようだ。
無事に騎士たちから逃げることができて良かった。
「こちらに展示してあるのが、剣士ザック様の剣とメモです」
大きな剣は時の魔物の討伐で持っていたもの。
1000年経ってもキレイな状態は、ここの歴代の領主が大切に扱っていた証だ。
「メモは亡くなる前日に書かれたと伝えられておりますが、旧字のため何と書かれているかはわかりません。ですが、この最後の文字はザック様の直筆のサインであることが確認されています」
一目見ようと順番に見ていく客たち。
少し空いてからカイロスはセレスティをメモの前に案内した。
「……オーステンも無事だったのね。よかった」
メモを眺めながら涙ぐむセレスティ。
「何と書いてあるんだ?」
「自分を匿ってくれたラグー街と、オーステンを匿ってくれたハルバ街に感謝。クロノスとセレスティが無事に会えたと信じている……」
ありがとう。ザック、オーステン。
会えたわよ、あなたたちのおかげで。
慌てて目を押さえるセレスティの頭にカイロスはスッとフードを被せた。
領主館を出ると再び聞こえてくる明るい音楽。
色とりどりの布や花の飾り付け。
楽しそうに踊る人々。
「……帰ろうか」
カイロスの言葉にセレスティは泣きながら頷いた。
何もない魔女の村ルーライズ。
セレスティは野菜が生い茂る馬車の横の大きな石に腰掛けながらぼんやりと月を眺めた。
1000年経っても変わらない身体。
たった13年で大きくたくましくなったカイロス。
そろそろ独り立ちかもしれない。
こんな何もない村にカイロスを置いておくのはもったいない。
もっと人生を謳歌してほしい。
もう王家もカイロスが生きているなんて思っていないだろう。
金髪に青眼の男性なんて世の中にたくさんいるはずだ。
冒険者の名前を名乗れば別人だと言い張れる。
それにこの村にいなければカイロスが時の魔物に襲われることもない。
私はまたここで一人で過ごすだけ。
何かするわけでもなく、何の目的もなく。
ただ永遠に……。
「夜は冷えるよ」
ブランケットをセレスティの肩にかけながら優しく微笑むカイロスに、セレスティは切なそうな顔で微笑み返した。
カイロスはクロノスじゃない。
ザックもオーステンもフォレスト公爵も、みんなもういない。
私だけが世界に取り残されていく。
「ねぇ、カイ」
そろそろ独り立ちする?
その一言が言えずに目を伏せたセレスティの頬にカイロスはそっと触れた。
「セレス、ハルバ街に行ってみないか?」
ハルバ街はオーステンを匿ってくれた街の名前。
思いもよらない言葉に驚いたセレスティは目を見開いた。
「ハルバ街がどこにあるか知らないけどね」
ははっと笑いながらカイロスはセレスティの髪を一房持ち上げ口づけする。
「セレスの髪はこのまま黒で。俺だけ茶色にするから」
そうすれば髪色を変える秘薬の量が減らせる。
着替えは最低限、冒険者で金を稼ぎながら移動すれば宿泊費も大丈夫。
「でも、黒は」
「キレイだよ」
黒髪は1番地味な色。
黒髪は可哀想だといわれるくらい好まれない色だ。
「キレイだ」
俺はこの黒髪が好きだと言うカイロスにセレスティは切なそうに微笑んだ。
黒髪をキレイだと言ってくれたのは3人目。
クロノスと、フォレスト公爵と、そしてカイロス。
どうやらこのフォレスト家は代々変わり者らしい。
「冒険者をしながらいろんな街に泊って、景色を見たり買い物したり」
「すぐ隣かもよ?」
あの二人なら迷いの森を挟んで右と左の可能性が高い。
彼らの立ち位置を考えると右に逃げたのがザック、左に逃げたのがオーステンだ。
「それでもいいよ。セレスと一緒にいたいんだ」
カイロスはセレスティの髪をそっと離すと優しく微笑んだ。
独り立ちじゃなくて?
まだ一緒にいてもいいの?
セレスティの胸が熱くなる。
切なそうな表情のカイロスにセレスティは「うれしいわ」と微笑んだ。
「さぁ、出発」
手を繋ぎ、迷いの森を進む。
ラグー街とは反対方向に向かっているつもりだが、ここは迷いの森。
本当の方角はわからない。
「ザックよりオーステンの方が用心深いから、ラグー街よりもハルバ街の方が遠いと思うわ」
「へぇ~」
薄暗い迷いの森を抜け、その日は草原で野宿になった。
火も水も魔女の力で出せるので何も困らない。
食材は草原でホーンラビットを調達し、カイロスは丸焼きにして食べた。
「……たくましく育てすぎたわ」
本当は王子なのに。
ワイルドすぎるカイロスを見ながらセレスティは笑う。
「どう? 料理も洗濯もできて護衛にもなる夫」
お買い得だよとおススメされたセレスティは「そうね」と微笑んだ。
「……本気なのにな」
冗談で流されてしまったカイロスは肩をすくめる。
いつか俺を好きだと言わせてみせるよ。
カイロスは月明かりに照らされたセレスティの後ろ姿を見ながら切なそうに微笑んだ。
翌日たどり着いた最初の街でハルバ街について尋ねた。
迷いの森の左方向も、ラグー街よりも遠い距離というセレスティの予想は見事に当たっていた。
いくつかの街を経由し、時には野宿もしながらハルバ街を目指す。
「疲れてない?」
「大丈夫。討伐隊の時は、1日にもっと長い距離を歩いたのよ」
どこにいるかわからない時の魔物を探すために毎日たくさん歩いたとセレスティは当時を思いだした。
「時の魔物ってさ、逃げたって習ったけれど、やっつけたわけじゃないんだよね?」
「うん、もう復活してる」
「えっ?」
「実はね、カイと初めて会った日に時の魔物が挨拶にきてね」
「は?」
「もうすぐ復活するよって」
「え?」
世界を混沌に陥れる悪魔だと言われる時の魔物が挨拶に?
それを軽く、先日知人に会ってね、くらいのノリで話すセレス。
「……なんか、セレスってやっぱすごいわ」
カイロスはまだまだ敵わないと溜息をつきながら綺麗な青空を見上げた。
「カイ、ハルバ街に着く前に髪色を変えたら?」
「もう夕方だし、フードがあるし、国境も越えたし、今日はこのままでいいや」
宿屋に入ったら誰にも見られないからとカイロスは深くフードを被り直した。
髪色を変える秘薬は限りがある。
だから節約して使いながらここまで来た。
まだ半分以上残っているので帰りも問題ないだろう。
それにここはもう隣国。
万が一、カイロスが王子だとバレてもフォレスト国は手が出せない。
「大きな街だな」
ハルバ街は道路もキレイに整備され、街の真ん中に川が流れる綺麗な街だった。
上の方だけ雪が積もった山を背景に建物の赤レンガが栄え、川や湖が夕日を反射して光っている。
国境も越えて身の安全を確保した上で景色が良い街を選んだのはオーステンらしいとセレスティは思わず立ち止まった。
「うわっ」
10歳くらいの少年がセレスティの背中にぶつかり、尻餅をつく。
「ごめんね、大丈夫?」
急に立ち止まったセレスティにぶつかってしまった少年に、セレスティはしゃがんで手を差し伸べた。
じっとセレスティの手と顔を交互に見る少年。
そのまま視線はカイロスに。
今度はセレスティとカイロスを交互に見た後、少年はぼそっと呟いた。
「英雄と魔女」
「……え?」
驚いたカイロスが慌ててセレスティを引き寄せ、背中に隠す。
「何者だ」
少年を睨みつけるとカイロスは剣に手を掛けた。
「ちょ、ちょっとカイ!」
「うわっ、待って、待って」
焦る少年と、後からカイロスの手を止めるセレスティ。
カイロスは大きく息を吐くと、今すぐ抜いてしまいそうな剣からようやく手を離した。
クロノスよりもカイロスの方が短気なようだ。
初めて知った一面にセレスティは肩をすくめる。
「ごめん、魔女って言ってごめんなさい! でもこの街では魔女はいい人なんだ」
悪女という意味で言ったんじゃないと少年は言い訳をする。
カイロスとセレスティは顔を見合わせた。
「もうちょっと詳しく教えて?」
「えっと、お姉さんたち他の街から来た冒険者だろ?」
「えぇ、そうよ」
「魔女は王様を騙して王妃様との仲を引き裂いた悪女だろ?」
あぁ、世間ではそう言われていたんだ。
クロノスを騙して、迷いの森に連れ込んで、王妃の元には返さず一緒に過ごした悪女。
……そうよね。
王妃から見たらそうだよね。
目を伏せたセレスティの肩を引き寄せるカイロス。
このタイミングでフォローするなんて、天然の色男だ。
セレスティは立派に成長したカイロスに戸惑った。
「でもこの街だけ全然違う話が広まっているんだ」
「……違う話?」
「英雄の仲間だった人が書いた絵本があるんだよ」
「その絵本の絵と私たちが似ているってこと?」
セレスティの質問に首を横に振りながら、少年は立ち上がり尻の砂を祓った。
街に響く夕方5時の鐘。
「うわ、やばっ。怒られる!」
少年は街の時計塔を見上げながらビクッと身体を揺らすと、目の前の二人を見てニヤッと笑った。
「今から一緒にうちまで来てくれない? いいもの見せるよ」
「いいもの?」
「だからお願い、一緒に父さんに謝って」
カイロスは溜息をつきながらセレスティの手を握った。
「……ロシェ。今は何時だ」
街から少し高台に建った大きな屋敷の前で、仁王立ちする男性にセレスティは苦笑した。
きっと少年のお父さんだ。
5時までに家へ帰ると約束していたのだろう。
遅れそうになり慌てて走っていたらセレスティとぶつかったのだ。
「お客さんを案内していたんだ」
だから今日は許してと言うロシェに男性は怪しいフードの二人組に視線を移す。
「英雄と魔女だよ」
変なことを言うロシェは父親にゲンコツを落とされた。
「突然すみません。彼があるものを見せてくれるというので、ご迷惑とは思いつつ、こちらに案内していただきました」
セレスティがフードを取りながら話しかけると、男性は目を見開く。
こんなやつ助けなくてもいいのにと言いたそうな溜息をつきながら、カイロスもフードを取った。
「……英雄と、魔女」
小さな声で呟いた父親の声に、ロシェは頭を押さえながら「ほら、言った通りじゃん」と頬を膨らませた。
「旅のお方?」
「そうです。今日この街に」
「泊るところは」
「これから宿を探しに」
「では、うちにお泊まりください」
急に親切になった男性の態度に、カイロスは眉間にシワを寄せる。
ここが危険だとは思えないが、怪しくないだろうか?
断った方が良いのではないか?
「カイ、ご厚意に甘えましょう」
セレスティが手を握ると、カイロスはギュッと手を握り返した。
「……どうして1部屋なのかしら」
なぜかベッドは1つ。
うちのベッドよりは大きいけれど。
急に来たのに食事はとても豪華で、カイロスは嬉しそうだった。
「まさかここが領主邸だったとは」
「高台にある時点で気づくべきだったわ」
街を見下ろせる位置だったとセレスティは肩をすくめながらベッドに腰かけた。
このままこのふかふかのベッドに横になったら眠ってしまいそうだが、このあとロシェが言っていた「いいもの」を見せてもらうことになっている。
もしかしたらオーステンに縁のあるものかもしれない。
ザックの剣も領主館にあったのだから。
「おまたせ。行こうか」
ラフな服に着替えたカイロスがセレスティに手を差し伸べる。
エスコートするだなんてやっぱり色男ね。
いつの間にこんなに大きくなってしまったのかしら。
セレスティは5歳だった可愛いカイロスがなんだか懐かしくなってしまった。
「こっちが普通の絵本で、こっちの大きな月の絵本がこの街の絵本だよ」
ロシェが準備してくれた絵本は2冊。
「見てもいい?」
「もちろん!」
セレスティはまず普通の絵本と言われた水色の表紙の本を手に取った。
冒頭は魔物の討伐に行く騎士をお姫様が泣きながら見送るシーン。
次は魔物と戦う騎士のページだ。
そして見事討伐に成功した騎士はお姫様と結婚。
だが、幸せだった二人を魔女が邪魔する。
騎士を攫った魔女は騎士とお姫様の愛の力で倒され、国にまた平和が戻りました。めでたし、めでたし、だ。
子供向けにしては敵が魔物と魔女と2回出てくるので少し面倒な気がするが。
「こっちは……」
この街の絵本を手に取ったセレスティは冒頭から違うことに驚いた。
満月の夜、時の魔物の討伐でセレスティが亡くなったこと、魔女の力で蘇ったことから、結婚の約束をしていたのに追い出されたことまで、ほぼ事実が書かれている。
騎士は怪しい薬を王女に飲まされ、魔女の事を忘れてしまった。
だが騎士と魔女の愛の力で薬の効果が切れ、二人はようやく結婚できたと。
こんな話が書けるのは、オーステンかザックの2人しかいない。
1番後ろのページに書かれた原作者オーステン・フォンターヌの文字をセレスティは目を潤ませながら手でなぞった。
「……セレス?」
今にも泣きそうなセレスティに気づいたカイロスは、心配そうに覗き込む。
「だいぶ内容が違うんですね」
セレスティは絵本を閉じ、慌てて涙を拭いた。
「でも、この絵と私の共通点は黒髪ということしかないですけど?」
どうして魔女と呼ばれたのかはわからないままだ。
セレスティが首を傾げると、領主は机の上に置かれた箱の鍵をカチッと開けた。
中から取り出したのはペンダントと1枚の絵と1冊の本。
「こちらをご覧ください」
領主が見せた絵にセレスティは目を見開いた。
クロノス、ザック、オーステン、そしてセレスティ。
こんな絵を描いてもらった記憶はない。
だが顔も背格好も間違いなく自分たちだ。
「……クロ」
20歳のクロノス。
時の魔物の討伐のため一緒に旅をしていた頃の姿。
「……英雄?」
カイロスはセレスティの隣に立つ自分に似た男に驚いた。
子孫だといえば似ていて当然かもしれないが、あと2年もすれば自分はもっと英雄に似るのではないだろうか?
セレスティが好きな男。
セレスティの心を捕らえて離さない男。
隣の剣士が腰につけた剣はラグー街にあった剣に柄が似ている。
こっちが剣士ザック。
ではもう一人の魔術師のような服装がオーステンということか。
自分の知らないセレスティを知る者たち。
カイロスは初めて見る討伐隊に、いや、自分ではない自分に似た男に嫉妬した。
「クロ……」
1000年ぶりのクロノスをしっかり見たいのに。
あぁ、ダメだ。
涙でよく見えない。
「魔女が来たら渡すようにと言い伝えがあり、我が家は代々この箱を守ってきました」
領主は本とペンダントをスッとセレスティの前へ。
「お渡しできてよかったです」
「……ありがとうございます」
うれしそうに微笑む領主とキョトンとしているロシェに、セレスティは泣きながら微笑んだ。
部屋に戻ったセレスティはカイロスの腕の中で泣いた。
甘えてはいけないとわかっているけれど、どうしても我慢ができなかった。
1000年ぶりに会えたクロノス。
そして仲間だったザックとオーステン。
まさかこんなにそっくりな絵があるなんて思わなかった。
「……この男じゃないとダメなのか?」
泣きつかれて眠ってしまったセレスティの頬の涙を手で拭いながら、カイロスは切なそうに微笑んだ。
描かれた英雄に顔だけなら似ている。
なぁ、セレス。俺ではダメなのか……?
カイロスはセレスティをギュッと抱きしめると、暗いベッドの上でゆっくりと目を閉じた。
「……ね、ねぇ、起きて、カイ!」
「うん? もう少し……」
もう少し眠りたいと言う予定だったカイロスは、周りの景色に慌てて飛び起きた。
「……は?」
今日はいい天気。
目の前には青い空が広がっている。
ここは高台。
街と、時計塔と、青空と、大きな木。
「……屋敷は?」
ベッドどころか建物すらない状況にカイロスとセレスティは顔を見合わせた。
魔物の森で『時の魔物』を追いつめ、あと一歩というところまで来たのに。
「なんで俺を庇った!」
月を背負いながら怒る満身創痍の恋人クロノスにセレスティは寂しそうに微笑む。
「撤退しよう」
「時の魔物がこんなに強ぇなんて」
魔術師オーステンや剣士ザックがリーダーのクロノスに撤退を提案したが、クロノスの耳には届かなかった。
「ダメだ! ダメだ、死ぬなセレス」
ゆすっても目を開けないセレスティの姿に、クロノスはグッと唇を噛んだ。
「ははっ。魔女が死にましたか。美人なのにもったいないことをしました」
時の魔物は大きな声で笑いながら魔術師オーステンに攻撃を加える。
オーステンがなんとか跳ね返した魔法は、近くの木を10本以上なぎ倒した。
「クロ!」
これ以上は無理だとオーステンは必死で訴える。
だが、セレスティの身体を抱きかかえたクロノスは顔を上げるどころか、身動きひとつしない。
オーステンはツラい状況に目を伏せた。
クロノスとセレスティはこの討伐が終わったら結婚する予定だった。
身分が違うセレスティとの結婚を許してもらうために、クロノスは時の魔物の討伐に了承したのだと。
こんな別れを覚悟していなかったといえば嘘になるだろうが、実際に起きてしまうと、あまりにも残酷な別れに慰める言葉も見つからない。
リーダーなんだからすぐに指揮を取れと叱責するべきだろうが、数分の別れくらいさせてやりたいと思うのはここにいる全員同じ気持ちだった。
「……セレス」
目を開けないセレスティの頬から耳の横に触れ、首まで撫でる。
手に触れたセレスティのネックレスにクロノスはハッとした。
「オーステン、時の魔物を足止めできるか? ザックは時の魔物の周りに剣で円を描いてくれ」
「30秒が限界だ」
「よくわからんが、囲めばいいんだな」
「俺の周りも頼む」
魔術師オーステンと剣士ザックがリーダーのクロノスの指示に従い行動する。
魔術師たちはオーステンの援護を、剣士は怪我人を避難させるためザック以外は後ろへ下がった。
「何が始まるのですかな?」
人間ごときに何ができるのかと、時の魔物はニヤニヤ笑う。
「……死なせない」
クロノスは剣で自分の親指に傷をつけ、血をセレスティのネックレスにこすりつけた。
「セレスは絶対に死なせない」
時の魔物の周りにザックが描いた円が一瞬で魔法陣に変わる。
セレスティを抱えたクロノスの下にも現れた同じ魔法陣に時の魔物は目を見開いた。
「馬鹿な。人間ごときが俺の魔力を吸いとるなど」
苦しそうに胸元をグッと掴みながら、時の魔物は魔法陣から出ようと必死にあがいた。
禁呪だってなんだっていい。
セレスティが戻ってくるなら。
「戻ってこい、セレスティ!」
眩しい光とドンという音が響き渡る。
魔物の森を月明かりだけが照らす頃には、魔物の姿はそこになかった。
「撤退中止! 怪我人の治療を急げ!」
「回復薬を!」
周囲がバタバタする中、セレスティがゆっくりと目を開ける。
「クロ……? 泣かないで」
セレスティが泣きそうなクロノスと満月を見て微笑む。
「おかえり、セレス」
クロノスは切なそうに微笑むと、セレスティをギュッと抱きしめた。
◇
「熱が引かないな」
「大丈夫よ」
「無理しなくていい」
起き上がろうとするセレスティを止めたクロノスは、持ち上げたネックレスにそっと口づけを落とした。
時の魔物を討伐する任務には失敗したが、時の魔物から多くの魔力を奪うことには成功した。
魔術師オーステンの話によれば、数百年は現れないのではないかと。
国王陛下に謁見するため王宮へ戻ったクロノス率いる討伐隊は、この離宮に宿泊をさせてもらっている。
セレスティが蘇ってから3週間ほどたったが、ずっと熱は下がらず、ほぼ寝ている状態だった。
それでも生きていてくれるだけでいい。
笑ってくれるだけでいい。
クロノスはセレスティの綺麗な黒髪を撫でながら微笑んだ。
「元気になったら討伐隊だけ招待して結婚式をしよう」
セレスティのウェディングドレス姿はきっと綺麗だから、本当は誰にも見せたくないとクロノスは拗ねる。
その変な発想にセレスティは笑った。
「今日、晩餐会だよね」
「セレスティとファーストダンスを踊りたかったのにな」
「クロは王女と踊らないと」
「ファーストダンスは婚約者と……だろ?」
「……私が貴族だったらね」
セレスティの言葉にクロノスはギュッと拳を握った。
魔女の村ルーライズで生まれたセレスティは、時の魔物によって消された村の唯一の生き残りだった。
食べる物もなく、どうしたらよいのかわからなかった5歳のセレスティを保護してくれたのが、当時王宮騎士団の総長だったクロノスの父フォレスト公爵。
セレスティはフォレスト公爵邸で侍女として働かせてもらっていた平民だ。
「晩餐会楽しんできて」
平民は晩餐会に招待されない。
セレスティだけでなく、剣士も魔術師も平民はみんな招待されていない。
いくら討伐隊のメンバーでも、どんなに活躍した人でも。
「クロ、そろそろ準備しないと」
「あとでケーキを持ってくるよ」
「桃がいいわ」
「この時期にあるかな」
なかったら、いちごのタルトだぞとクロノスは笑う。
いちごのタルトはクロノスが1番好きなスイーツだ。
桃のスイーツがあっても、いちごのタルトを持ってきそうなクロノスにセレスティは微笑んだ。
フォレスト公爵家の紋章が刺繍されたタイをつけ、ジャケットを羽織り、カフスボタンで袖を止めたクロノスはどこからどう見ても見目麗しい公爵子息だ。
剣を持って戦うなんて思えない。
それでも王宮騎士の誰よりも強いクロノスは、討伐隊のリーダーに相応しい実力と人望をもつ人物。
王女が結婚相手にと狙うのは当然だ。
平民の自分が彼と結婚できるはずはない。
そんなことはわかっているけれど、少しでも側にいたくてセレスティはフォレスト公爵に頼み、討伐隊に入れてもらった。
「行ってくる。できるだけ早く戻るよ」
「いってらっしゃい」
クロノスを見送ったセレスティは水を飲もうと起き上がった。
黒い髪はだいぶ長くなった。
こんな地味な髪でも、クロノスは綺麗だと言ってくれるから嬉しかった。
クロノスの金髪の方が綺麗なのに。
ノックの音が響く扉に顔を向けたセレスティは、思いもよらない人物の登場に目を見開いた。
「宰相様?」
もう晩餐会が始まる頃なのに、なぜここに?
セレスティの胸に嫌な予感が広がる。
「この国から出て行ってほしい」
「……え?」
「英雄クロノスは次期国王になる。このあとの晩餐会で王女との結婚が発表される予定だ」
宰相から告げられた残酷な言葉に、セレスティの息は止まりそうになった。
この国の王子2人は数年前に時の魔物に殺されてしまった。
国王の弟も、その子供たちも一緒に。
残っているのは王女だけ。
つまり王女の夫となる人が次期国王だ。
王女がクロノスを好きだというのは知っていた。
王女の熱い視線に気づかないはずはない。
自分がクロノスと両想いな自信はあるけれど、彼は公爵子息。
平民との結婚は許されない。
「今すぐこの国を出て行ってくれ」
宰相はポンと布袋をセレスティのベッドの上に放り投げた。
「手切れ金だ」
「……いりません」
あぁ、クロノスがこの部屋からいなくなる今日しか宰相が私を追い出す機会はなかったのだ。
愛人になることがないように、王女の邪魔をしないように、この国から出て行けと。
「裏門に馬車を待機させている」
行先も何も伝えられず、その馬車に乗ることしか許されない。
どこかで殺されるのだろうな。
だったら、あの日、あのまま死んだ方がよかった。
部屋を立ち去る宰相の後ろ姿から目を逸らしたセレスティは、ギュッとネックレスを握りしめた。
◇
キラキラとシャンデリアが光る晩餐会の会場は着飾った多くの貴族が今か今かと英雄の登場を待ちわびていた。
ふかふかの赤い絨毯を歩くクロノス、オーステン、ザック。
討伐隊メンバーたちは綺麗に並んで3人のあとに続いた。
鳴りやまない拍手。
多くの視線。
出発するときは憐みの目もあったのに、今日はそんな雰囲気はない。
これで国が平和になったと喜んでいるように見えた。
国王陛下の前で跪くと、会場はいっきに静かに。
「英雄クロノスのおかげで、我が国に平和が戻った」
宰相の言葉に、ワッと盛り上がる貴族たち。
「クロノスの功績を称え、王女ローズマリーと英雄クロノスの結婚をここに宣言する」
「……は?」
国王のアリエナイ言葉に驚いたクロノスは目を見開いた。
あわてて父の姿を探したが、普段は国王陛下の側に控えているはずの父の姿がない。
セレスティと結婚させてくれると言ったではないか。
だから命を懸けて討伐に行ったのに。
これでは話が違う。
「他の者達には別途褒美を準備している。それぞれ受け取ってくれ」
「……王女との結婚がクロノスへの褒賞ってことか? どこが褒美だよ」
「ザック、聞こえるぞ」
「聞こえねぇよ、こんなうるさい場所で」
これはあまりにもクロノスとセレスティが可哀想ではないか。
セレスティは身代わりになってまでクロノスを救おうとしたのに。
今、ここにクロノスがいるのは全部セレスティのおかげなのに。
ザックはギリッと奥歯を鳴らした。
「陛下、無礼を承知で申し上げます」
クロノスはグッと拳を握ると、跪いたまま国王陛下を見上げた。
「英雄クロノス、貴殿の発言は認めない」
宰相の言葉に、討伐隊メンバーに怒りがこみ上げる。
「オーステン、ザック。聞こえているか?」
「はい」
「おう」
「討伐隊の中には褒章がないと困る奴らもいる。あとは任せた」
クロノスから小声で伝えられた言葉に了解するしかない魔術師オーステンと剣士ザックは小さく頷いた。
「私の褒賞は辞退します。ですが彼らは危険を顧みず討伐についてきてくれた者たち。彼らには褒賞をお願い致します」
クロノスは立ち上がると宰相の静止も聞かずに出口に向かう。
数人の討伐隊メンバーがクロノスと一緒に動こうとしたが、オーステンとザックがすぐに止めた。
「英雄クロノス、今すぐ戻れば無礼は不問にしよう」
「私には愛する者がいます。王女と結婚する気はありません」
反逆だと言われてもかまわない。
今すぐセレスティとここから逃げよう。
この討伐に行く条件がセレスティと結婚することだった。
無事に帰ってきたら結婚させてくれると。
それを王女と結婚だと?
なんのために死ぬかもしれない討伐に行ったと思っているんだ。
「セレス、急いでここから……。セレス?」
部屋の扉を開けたクロノスは目を見開いた。
「セレス? どこだ?」
布団の上にはなぜか金貨が入った布袋。
こんなもの荷物の中にはなかったはず。
「……熱があるのに」
連れ出された?
……誰に?
晩餐会の間に……?
「魔女は出て行った」
「おまえが追い出したのか!」
宰相の胸ぐらをクロノスが掴むと、護衛騎士は一斉にクロノスへ剣を向ける。
宰相を殴ろうと振り上げたクロノスの手は護衛騎士によって止められてしまった。
クロノスは騎士の手を振り払うと、王宮の裏口へ。
「おい、荷物を持った長い黒髪の女を見なかったか?」
「あ、はい。40分、いえ50分ほど前でしょうか。馬車で」
「……馬車?」
裏口の守衛が向こうへ行ったと方角を教える。
「クロノス・フォレスト。宰相への暴行未遂で同行してもらう」
「離せ! すぐに追いかけないと」
行先も何もわからないけれど。
馬車がどちらの方角へ行ったのか、今なら誰かが覚えているかもしれない。
貴族たちが大勢馬車で帰ったあとではダメだ。
「離してくれ、……頼む。セレスを探しに行かせてくれ」
宰相の命令で追いかけて来た王宮の騎士に拘束されたクロノスは秘密裏に地下牢へ。
討伐隊には何も知らされないまま、何もできないまま数日が過ぎた――。
◇
馬車に乗ったセレスティは、再び熱が上がり、気を失うように眠りについた。
この馬車には窓がない。
今が昼なのか夜なのかさえわからない馬車だったが、いつ目を覚ましても小さな明かりは灯っており、水や食料が交換されているのは不思議だった。
あれから何日たったのかもわからないけれど、まだ熱は下がっていない。
時の魔物の魔力と、魔女の魔力が反発し合っているような奇妙な感覚を落ち着かせるため、セレスティは胸元のネックレスを押さえた。
ガチャと扉をあける音に心臓が飛び出そうになる。
ゆっくりと開く扉から見えたのは、意外にも見慣れた人の顔だった。
「……フォレスト公爵?」
空には満月。
そしてこの場所は……。
「……ルーライズ?」
「そうだ」
迷いの森の奥にある魔女の村ルーライズ。
ここへたどり着くのは、このルーライズで生まれた者、またはここから持ち出された何かを持っている人だけ。
セレスティが5歳の時に助けてくれたフォレスト公爵がここにたどり着くのは不思議ではないけれど、王都からルーライズまでどのくらいかかるのか、どの道を通るのかセレスティは知らない。
5歳のときも、そして今回も、眠っているうちについてしまったからだ。
「満月……ということは、晩餐会から1週間ほど経ったのですね」
「そうだ」
フォレスト公爵は、見た目は気難しそうでよく誤解されるが、とても優しい人。
眠っていたのに水や食料が交換されていたのも納得できる。
そしてこの場に連れてきてくれたのも。
「……すまない」
悔しそうな表情で謝罪するフォレスト公爵に、セレスティは首を横に振った。
「セレスティのおかげでクロノスが無事だったのに」
「国王陛下の命令には逆らえない……ですね」
物分かりが良すぎるセレスティにフォレスト公爵はグッと拳を握った。
あぁ、このクセは親子で似ているのね。
クロノスもよく我慢しなくてはいけない時にこの動作をしていた。
「でも、私を逃がしてしまったら公爵様が怒られるのでは?」
「ここには誰もたどり着けない」
そうだろう? とフォレスト公爵は悲しそうに笑った。
ここは迷いの森の中。
誰も来ることはできない。
クロノスも、だ。
食料も水も怪しまれない程度しか持ってこれなかったと馬車の後ろを見せてくれたが、一人で食べるには数日困らないほどたくさんの食料が詰められていた。
「少しだけ、髪を切らせてくれないか?」
「死んだ証拠に、ですね」
剣で髪を切り落としハンカチに大切そうに包むと、フォレスト公爵は建物も何もないルーライズの村を眺めた。
もう誰も住んでいない街。
最後の魔女。
そして息子クロノスの命の恩人で、最愛の女性。
クロノスには一生恨まれるだろう。
それでも領地の人々のためには王命に従わなくてはならない。
「クロノスが危険な討伐任務をどうして受けたか知っているか?」
「王命では?」
「おまえと結婚するためだ」
「……え?」
「クロノスは討伐から戻ったらセレスティを貴族の養子にし、自分と結婚させてくれと頼んだのだ」
クロノスは討伐の褒章は何もいらないからセレスティと結婚させてくれと、そして宰相が自分の娘にすることを承諾していたとフォレスト公爵はセレスティに話した。
だが討伐から無事にクロノスが戻ってくると、王女と結婚させると、セレスティを殺せと命じられたのだと、フォレスト公爵は悔しそうに唇を噛んだ。
「クロは……本当に私と結婚するつもりで……」
公爵子息と平民が結婚できるわけないのに。
「もともと討伐は私が行くはずだった」
死を覚悟のうえで。
王子も王弟もみんな亡くなってしまい、それでも時の魔物を討伐しなければ国が危ないと、白羽の矢が立ったのがフォレスト公爵家。
「……使い捨てなのだ、我々は」
フォレスト公爵は大きな満月を見上げながら辛そうに呟いた。
1頭の馬を馬車から外し、手綱を付け替える。
「もう1頭は好きにしろ」
「では、森に放してあげてください」
ここにいても世話ができないとセレスティは微笑む。
食糧にすることだってできるのに、そうしないセレスティの優しさがフォレスト公爵にはツラかった。
「あの、フォレスト公爵。最後にひとつだけ聞いてもいいですか?」
「どうしてここに来られるのか……か?」
ここへたどり着くのは、このルーライズで生まれた者、またはここから持ち出された何かを持っている人だけ。
フォレスト公爵は古いネックレスを取るとセレスティに差し出した。
「……え?」
フォレスト公爵のネックレスはセレスティのネックレスと同じ。
魔女の村ルーライズのネックレスだ。
だが裏の模様が違う。
でもこの模様は……。
「おとうさんの家……?」
セレスティが首を傾げると、フォレスト公爵は目を見開いた。
このネックレスの持ち主は、結婚したかったのにできなかった女性。
後にも先にも愛したのは彼女だけだ。
だが彼女は消えてしまった。
このネックレスを残して。
騎士団の休みの日に国中を探し回り、ようやくあの日たどり着いた魔女の村。
だがそれは一足遅く、生き残ったのはセレスティだけだった。
「……ウィンディを知っているのか?」
「ウィンディおばさん? もしかしておばさんの初恋相手ってフォレスト公爵?」
外の世界は危ないと、好きな人とは幸せになれないと言っていたウィンディおばさん。
今ならわかる。
フォレスト公爵も別の女性と結婚したのだ。
「ウィンディの姪っ子だったのか。だから似ているのか」
だから殺せなかった。
殺したくなかった。
結局、クロノスと添い遂げさせてやることは出来ず、この魔女の村に連れてくることしかできなかったが。
「親子二代で裏切ってしまったな……」
すまないと小さな声で呟きながら、フォレスト公爵はセレスティを抱きしめた。
まるでウィンディおばさんに謝罪しているかのように。
セレスティがネックレスを返すと、フォレスト公爵は切なそうな表情で再びネックレスを身につけた。
「元気で、セレスティ」
「はい。今までありがとうございました」
12年ぶりの家。
地上はもう何もないけれど、地面の扉は昔のまま。
子供の頃は開けるのが大変だったが、今なら簡単に開けられる。
「ただいま」
セレスティが誰もいない家に入ると、魔女の家は主人の帰宅を喜び、明かりを灯した。
◇
「なんでクロが地下牢に!」
剣士ザックはガシャンと鉄格子を鳴らしながら声を荒げた。
命懸けで討伐へ行った国の英雄にこんな仕打ちをするなんて。
クロノスは好きな女と結婚したいと言っただけじゃないか。
「クロ、食べねぇと死ぬぞ」
クロノスの両手両足は鎖で繋がれ、生きる気力もなくただ壁にもたれているだけ。
親友クロノスのやつれた姿に、ザックは王家が許せないと拳を強く握った。
「おい、俺をこの中に入れてくれ」
護衛に頼み、ザックは檻に入った。
虚なクロノスの横に座り、無理やり口に水を突っ込む。
半分以上こぼれたが、飲まないよりはマシ。
そう思っているに違いないザックの強引な方法に、思わずクロノスは苦笑した。
「次は? スープか?」
冷めたスープを手に取ったザックは眉間にシワを寄せた。
こんな食事が公爵子息に出す料理か?
「……ザック」
「うん?」
クロノスは護衛に聞かれないように、声を出さずにザックに伝えた。
『セレスを探してくれ、あの日宰相に追い出された』
「ほら、口を開けろよ。スープだぞ」
ザックは護衛にバレないようにスープを飲ませるフリをする。
『どこに?』
『わからない。馬車で西に』
「このスープ冷めてて不味そうだな。これじゃ飲む気にならねぇよな」
ザックはカチャカチャとスープをかき混ぜた。
『父もいない。あの日会場にいなくて、ずっと会っていない』
『おまえが捕まっているのに?』
クロノスが頷くとザックは眉間にシワを寄せた。
『セレスティのことは任せろ』
ザックの言葉でようやくホッとしたクロノスは意識を失うように眠りにつく。
「……眠ることも出来なかったのか」
ザックはクロノスを冷たい床に寝かせると、薄い毛布を掛けた。
罪人と同じ扱いをして、王女と結婚するから許してくださいとでも言わせるつもりか?
酷すぎるだろ。
ザックは護衛に合図し檻から出ると、急いで魔術師オーステンの元に向かった。
「どうやって探せばいいと思う?」
ザックに聞かれたオーステンは頭を抱えた。
あの日からもうすぐ2週間。
馬車がどこに行ったか覚えている街の者はおそらくいないだろう。
馬車の御者は誰だったのか守衛に確認したが覚えていないと。
馬車の特徴も尋ねたがよく覚えていないという答えだった。
「命懸けで戦ったのに」
「こんな風に引き裂かれるくらいなら……」
「ザック!」
「あぁ、いや……すまん」
セレスティが生きているのは嬉しい。
討伐隊のメンバーはどんな身分でもみんな仲間だ。
全員幸せになってほしい。
もちろんクロノスとセレスティもだ。
「それより、どうしてフォレスト公爵が不在なんだ?」
「息子が牢屋にぶち込まれているってのに」
それも変だとオーステンは溜息をついた。
結局何も手がかりがないまま日々は過ぎ、異変に気づいた時にはもう手遅れだった。
「なんでクロが王女と……?」
「クロは命乞いするような奴じゃねぇ」
オーステンとザックは目の前の光景に目を見開いた。
王女と恋仲であるかのように歩くクロノスの姿。
痩せてはいるが、地下牢にいた時よりもずっと回復している。
「クロ! 一体どういう……」
「誰だい? 剣士のようだが気軽に話しかけないでくれ」
さぁ行こうと王女の手を引き去っていくクロノスに今にも掴みかかりそうな剣士ザックを止めたのは意外な人物だった。
「……フォレスト公爵?」
「すまないね」
ここでは話せないからと庭園に移動し、魔術師オーステンが外部に聞こえないように防音の魔術を使うと辺りは静まり返った。
「クロノスは死んだ」
「え? でもさっき……」
「忘却の薬を飲まされ、君たちのことも、私のことも、彼女のことも、もう覚えていない」
「忘却の薬が実在するのですか?」
忘却の薬を飲まされたが、クロノスは忘れなかった。
だから3倍の量を飲ませたら自分の名前も忘れてしまったと宰相から笑って言われた時には殺意を覚えたと、フォレスト公爵は悔しそうに2人に打ち明けた。
「あれはただの操り人形。私の息子のクロノスは死んだ」
「……そんな」
「今までクロノスを支えてくれてありがとう」
フォレスト公爵は領地へ戻り二度と王都には来ないこと、討伐隊で生活に困った者がいればいつでも領地で受け入れることを2人に伝える。
「あぁ、最後に。もし正気に戻ったら迷いの森と伝えてほしい」
「それはセレスティの……?」
「いや、これは私のものだ」
ネックレスを見せながら、そんな日は永遠に来ないだろうと寂しそうに笑うと、フォレスト公爵は社交界から姿を消した――。
英雄クロノスは多くの国民に祝福されながら王女と結婚し、2人の王子に恵まれ、良き国王となった。
フォレスト公爵が会いに行くことはなく、討伐隊とも友人とも一線を引いた態度は逆に貴族たちからは高評価だった。
32年が過ぎたある日、フォレスト公爵が亡くなったという知らせが王宮に届いたが、クロノスは葬儀には参加しなかった。
「このネックレスを握っていただけないでしょうか?」
「前フォレスト公爵の弔いだと思って」
ようやく謁見を許されたオーステンとザックは、国王クロノスに最後のお願いをしに訪れた。
これで最後、もうクロノスには会わない。
二人はそう心に決めていた。
「特に仕掛けはないようですね」
新しい宰相は討伐へ行った頃の宰相の息子。
顔はそっくりだが、自分達とは初対面の男だ。
「……っ」
古いネックレスのチェーンが宰相の指を引っ掻く。
ネックレスについてしまった血を宰相はハンカチで拭き取った。
「陛下、ここが尖っておりますのでお気をつけください」
古く痛んでいるが、ただのネックレスだということを確認した宰相はクロノスに手渡す。
「……ぐっ」
ネックレスに触れた瞬間、クロノスの頭の中で何かが弾けた。
「うあっ、」
頭を押さえながらうめき声を上げるクロノスの姿にオーステンとザックは目を見開いた。
「衛兵! この者たちを捕らえよ!」
宰相の命令で駆けつける騎士たち。
「おまえたち、俺の仲間に触れるな!」
国王クロノスのアリエナイ言葉に、オーステンとザックだけでなく、宰相も騎士たちも驚く。
「ザック、だよな? 何がどうなっている? なんで歳をとっている?」
「30年以上経ったんだよ、おっさんになるだろ」
「30年?」
謁見の間の階段を駆け下り、ザックとオーステンの元へ駆け寄ったクロノスの頭を、ザックは泣きそうな顔でぐしゃぐしゃと撫でた。
「それを持って迷いの森へ」
「それが前フォレスト公爵の遺言だ」
「……遺言?」
父が亡くなったことも知らない様子のクロノスに驚いたオーステンは宰相を睨みつける。
「今すぐ行くだろ?」
「当たり前だ!」
「陛下、お待ちください! 衛兵、陛下を止めろ!」
騒ぐ宰相は無視。
重たいマントを脱ぎ捨てながらクロノスは衛兵に「ついてくるな」と言い放った。
裏口から馬に乗り、3人で迷いの森を目指す。
道中で今までのことを聞いたクロノスはショックでしばらくの間、黙り込んだ。
「迷いの森へ突っ込むぞ」
迷いの森までは馬車で一週間。
単騎でも3日はかかる距離だ。
途中でフォレスト領に寄り、馬を交換。
睡眠は最低限で馬を走らせた。
「さすがに歳だな」
徹夜は無理だと笑うザックはなんだか楽しそうだった。
「携帯食、かなり美味しくなったね」
30年前よりずっと進化しているとオーステンも笑う。
再会したばかりだがずっと一緒にいるかのような錯覚はなぜか居心地が良かった。
「クロ、追手だ」
「さすがに若い騎士には勝てないねぇ」
急いで馬を走らせ、迷いの森までなんとか辿り着く。
「行け、クロ!」
「おまえたちは?」
「少しここで足止めしてやるさ」
「大丈夫、すぐ逃げるよ」
もう若くないからねと言うオーステンにザックは声を上げて笑った。
「ありがとう、オーステン、ザック」
「あいつによろしくな」
迷いの森に消えるクロノス。
見送った2人は時の魔物の討伐よりもなぜか達成感を味わった気がした。
クロノスは薄暗い森で馬を走らせた。
ネックレスを握りしめ、セレスティに会いたいと願う。
急に開けた見知らぬ場所にクロノスは戸惑った。
「……迷いの森にこんな場所が?」
家はない。
あるのは馬がいない馬車だけ。
植物が生い茂り、かなり古そうだけれど。
「フォレスト公爵……?」
聞き覚えのある声に振り向いたクロノスは驚いた。
「セレス……?」
昔と全く変わらないセレスティ。
なぜ年を取っていない?
どうしてここに?
なんであの時いなくなった?
聞きたいことはたくさんあるのに、クロノスはセレスティをただ抱きしめた。
「クロノスだ。もう53歳だけれど」
「……え?」
あれから33年も経っているということ!?
「自分の名前もわからなかったの?」
それでよく国王ができたねと冷静に答えるセレスティに何度も謝罪しながら、クロノスはオーステンとザックから聞いたことを話した。
「歳を取らない?」
セレスティは自分が老いることができない身体になったと打ち明ける。
食べ物も飲み物も必要なく、眠る必要もなくなったと。
「時の魔物の魔力のせいか?」
「たぶん」
自分がとんでもない過ちを犯したと知ったクロノスは何度も謝ったがセレスティはいつも悲しそうに笑うだけだった。
フォレスト公爵が置いて行ってくれた食料はいつの間にか生い茂り、魔女の村でもクロノス1人食べるのには困らない程度の食料を取ることができた。
「来世も会いたい」
「うん、会いに来てね。ここに居るから」
幸せな日々はたった8年で終わりを迎えたが、それでも一緒にいられたことが嬉しかった。
クロノスが亡くなり、再び一人になったセレスティ。
家に残っていた膨大な本も読みつくしてしまった。
魔女の力も極め、クロノスが残した剣も自由に振り回せるように。
「次は何をしようかしら」
セレスティは大きな満月を見ながら小さな声でつぶやいた。
◇
「……魔女の髪?」
王宮の禁書エリアで見つけた箱に手を掛けた第二王子カイロスは、そっと蓋を開けた。
中身は髪の毛。
真っ黒でツヤツヤな髪だった。
「すごっ、真っ黒だ」
カイロスは光を集めるような輝く金髪。
黒い髪は新鮮だった。
「おい!」
「わぁぁ!」
急に兄から掛けられた声に驚き、カイロスは箱を下に落とす。
髪の毛はカイロスの小さな足の上に落ち、箱は床にひっくり返った。
「母上が呼んでる」
「う、うん、すぐ行く」
カイロスは慌てて髪を箱に入れ、元の本棚に戻す。
本ではないのに、本棚にある変な箱。
あとでこっそり誰かに聞いてみようと思いながらカイロスは急いで義母の元へ向かった。
「剣でロドニーに怪我をさせたんですって?」
呼び出されたカイロスは、ジロッと義母に睨まれた。
兄ロドニーは正妃である義母の息子。
カイロスは側妃の息子だ。
「少し転んだだけで……」
ロドニーは自分で転んで、手のひらを少し擦りむいた程度。
怪我というほどでもないのに。
「事故に見せかけてロドニーを殺そうとしたのでしょう! あぁ、なんて酷い子」
「そんなこと!」
「お黙りなさい! もう見過ごせないわ。セバス、迷いの森にこの子を捨てなさい」
綺麗な扇子を広げながらとんでもないことを命令する王妃に、侍従セバスは自分の耳を疑った。
「聞こえなかったの? 迷いの森に捨ててきなさい」
「ですが、王妃様。カイロス様は第二王子。そのような場所に……」
「陛下が外遊中は私がこの国で1番偉いのです。私の命令に従えないのなら、」
「わ、わかりました」
侍従セバスは騎士に命じ、まだ5歳のカイロスを動物用の檻に。
「助けて!」
カイロスがどんなに訴えても、全員見て見ぬふり。
第二王子カイロスを乗せた馬車は、国王不在の城を出発した。
「カイロス様。すみません」
「王妃様には逆らえないのです。申し訳ありません」
「待って! 置いて行かないで!」
馬車を迷いの森の中に放置し、去って行く騎士たち。
真っ暗な森に一人残されたカイロスは、恐怖で震えた。
イヤだ、死にたくない。
なんで殺されなきゃいけないの?
ロドリーは自分で転んだのに。
馬がいなくなった馬車は森に放置され、動く気配はない。
檻の鍵さえあけてくれなかった騎士たち。
このままここで死ねということだ。
死にたくない、死にたくない、死にたくないっ!
カイロスは小さな手でギュッと檻を握りしめた。
真っ暗だった森に月明かりが差し込むと、急に目の前の木々が見えなくなった。
木が消えたという表現の方が正しいかもしれない。
馬車は動くはずがないのに、目の前の景色が変わっていく。
不思議な出来事にカイロスは自分の目を疑った。
「……子供? どうして?」
ここは魔女の村。
ここに入ることができるのはここで生まれた者か、ここから持ち出された何かを持っている者。
関係のない者が入ることはできない。
セレスティは突然現れた檻に入った子供を不思議そうに眺めた。
「た、助けて。死にたくない」
檻の中の子供が必死で訴える。
月明かりで輝く綺麗な金髪、小さいのに整った顔、そして身に着けた服は高級品のようだ。
こんな小さな子供でも、愛しい恋人クロノスに見えてしまうのは、人恋しいからだろうか?
セレスティは寂しそうに微笑んだ。
「鍵を壊すから少し離れて」
セレスティは南京錠に手をかざす。
固いはずの鍵は簡単にジュワッと溶けて下に落ちた。
「おねーさんは魔女なの?」
「……そうよ」
怖がっているのかと思ったセレスティは、キラキラ目を輝かせている子供に戸惑った。
「やっぱり! 箱の髪と一緒だからそうだと思った!」
「箱の髪?」
「入っちゃいけないところにある魔女の髪! あの髪もツヤツヤで綺麗だったけれど、おねーさんの髪の方が綺麗!」
魔女の髪?
……まさか、フォレスト公爵が切った私の髪?
「今日、その魔女の髪を触った?」
「な、な、なんでわかったの? 見ていたら落としちゃって、床に落ちて、それで、その」
モジモジと俯く子供にセレスティはクスッと笑った。
檻を開けて手を差し伸べると、小さな手が握り返してくる。
もしクロノスとの間に子供がいたら。
なんて馬鹿なことを考えた自分にセレスティは苦笑した。
「地面に扉! すごい!」
部屋に入ると自動で明かりが灯る魔女の家。
木の家具は使い込んだ愛用品。
「ここに座って」
セレスティは少年を長年主人がいなかったクロノスの椅子に座らせた。
少年のズボンには数本の黒い髪。
あぁ、私の髪だ。
フォレスト公爵が死んだ証に持って行った私の髪。
セレスティはなぜだかフォレスト公爵がこの子に引き合わせてくれたような気がした。
「私はセレスティ。名前を教えて」
「カイロス! カイロス・フォレスト」
フォレストの名前にセレスティは目を見開く。
「フォレスト公爵?」
「ううん。フォレスト国」
「マクスベール国ではなくて?」
「あっ! 知ってる! 昔はマクスベールで、英雄が王様になってね、それで国の名前が変わったって習った!」
英雄ってクロノスだよね?
フォレスト国になった?
クロノスはそんなこと言っていなかったけれど。
「1000年くらい前だよ」
ちゃんと歴史の勉強しているよと得意げな顔をするカイロス。
セレスティは1000年という言葉に息が止まりそうになった。
カイロスは迷いの森に来た経緯を話しているうちに眠ってしまった。
帰ったら殺されると泣きながら。
どうしたら良いのだろう?
この子をここで育てる?
この子はクロノスの子孫。
似ていると思ったのは気のせいではなかった。
セレスティはカイロスをベッドに運ぶと、外へ食料を探しに出かけた。
「……ここの野菜は相変わらず元気ね」
クロノスがいた頃よりもさらに生い茂った畑でトマトを手に取りながらセレスティは昔を懐かしんだ。
「……それにしても1000年、ね」
まさかそんなに経っていたなんて。
「あっという間だったのでは?」
突然の声に驚いたセレスティは声の方に勢いよく振り返る。
「……時の、魔物?」
以前は20代の美男だったが、今はまだ10代前半のような若さだ。
「魔女さんは今日も美しいですね」
「……何しに来たの?」
「やっとここまで回復したのでご挨拶に」
子どものような姿でこの不気味さは流石というべきなのだろうか?
時の魔物の闇のような真っ黒の目にセレスティは身震いする。
「またお会いましょう」
時の魔物は一瞬で消え、まるで今の出来事が夢だったのではないかと錯覚しそうだ。
わざわざ挨拶に来たなんておかしい。
1000年も来なかったくせに、あの子が来た今日現れるなんて。
……あの子を強くしなくては。
時の魔物に殺されないくらい、強く。
セレスティは野菜を手に持つと、急いで家へと戻った。
「住む! ここに住む!」
翌朝、カイロスは大喜びだった。
「その代わり、剣の特訓をするわよ」
「うん! 僕ね、本当はロドリーより強いんだ。でも騎士団長がロドリーに勝っちゃダメって」
「ロドリー?」
「兄上だよ。兄上の母上の方が偉いの」
正妃の息子ロドリーより側妃の息子カイロスの方が優秀だから殺そうとしたってことね。
国王は一体何をしているの?
クロノスの時もそうだったけれど、王家って本当に腐ってるわ。
「これをずっと着けていて」
セレスティはフォレスト公爵の形見、クロノスが受け継いだネックレスをカイロスの首にかけた。
「おそろいよ」
「わぁ!」
「これがないとこの家に帰ってこれないの。だから絶対に外さないで」
「わかった!」
翌日から2人で剣の特訓を始めた。
クロノスの剣はまだ大きすぎるので、木の棒で。
10歳になる頃には魔術の才能も見えはじめ、セレスティはカイロスに魔術も教える事にした。
偽名で冒険者登録をし、練習ついでに二人で簡単な討伐もした。
目立たないように依頼は最低限に。
そして18歳になる頃には、王宮魔術師も王宮騎士団も彼にはかなわないのではないかと思うほどカイロスは強くなった――。
「セレス。作業は明日にして、もう寝よう」
「明日売る傷薬をもう少し作りたいから、カイは先に寝て」
「ダメだ、そう言ってまた眠らない気だろう」
カイロスはセレスティの手から薬草をヒョイッと取り上げると、セレスティの手を握りベッドに連行した。
「私は眠らなくても平気なのよ?」
「寒いから一緒に寝て」
先に寝ころび、ポンポンとベッドを叩くカイロスにグイっと引っ張られ、結局ベッドに引きずり込まれたセレスティは溜息をついた。
「もう大きいんだから」
「はいはい、おやすみ」
ガッチリ掴まれ、逃げられないセレスティはあきらめて目を閉じる。
眠らなくても平気。
だが、横になれば眠ってしまう。
最近あまり眠っていないせいか、セレスティはカイロスよりも先に眠りに落ちた。
「もう寝てるし」
カイロスはあっという間に眠ってしまったセレスティに苦笑した。
背はセレスティよりも大きくなった。
魔術はまだ敵わないけれど、剣は同じくらい強くなった。
料理もできるようになった。
それでもまだ子ども扱いだ。
どうしたら男として見てもらえるのだろうか?
寝顔を眺めながら待っているとすぐに始まる寝言。
「……ロ、逝かないで……」
泣きながら眠っているという自覚はあるのだろうか?
満月が近くなると眠らなくなることも、時々、遠くをぼんやり見つめていることも自覚はないのだろう。
カイロスはセレスティの黒い髪を一房取り、口づけして戻す。
「もういない男よりも、俺にしろよ」
泣きながら眠るセレスティを抱きしめながら、カイロスはゆっくりと目を閉じた。
◇
「この耳飾りセレスに似合うと思うけれど」
「今日はカイの服を買いに来たのよ」
いつもより少し遠い街ラグーに来たセレスとカイロスは、街の明るい雰囲気に浮足立った。
今日はカーニヴァル。
多くの露店が並び、にぎわった街は音楽と花で溢れ、見ているだけでも楽しくなる。
「……ザック巻き?」
セレスティは変な名前の食べ物の前で足を止めた。
棒に肉をぐるぐる巻きにした食べものだ。
「お嬢ちゃん、ザック巻き食べたことないのかい?」
店主は慣れた手つきで肉を焼きながら、うまいぞと声を掛ける。
魔女の秘薬で髪色を変えたセレスティとカイロスは、顔を見合わせた。
「祭りでしか食べられない限定品だよ」
「1本くれ」
「まいどあり」
支払いを済ませたカイロスは受け取るとセレスティに。
思ったよりも重たい肉にセレスティは驚いた。
「ははは。驚いたかい? 英雄と一緒に戦った剣士ザックが好きだった食べ物さ」
「ザックが?」
「串にジャガイモを挿して、その周りに肉を巻いてあるんだ」
よく食べていたんだってさと笑う店主。
あぁ、そうだった。
ザックは本当は肉をたくさん食べたいのに討伐中は保存食ばかりで、こうやって食べればじゃがいもにも肉の味が染みこむんだって豪快に笑っていた。
少食のオーステンは肉だけでいいと困った顔をしていたっけ。
「……少し甘辛い醤油味よね」
セレスティはもう味わうことができないザック巻きを少し眺めた後、泣きそうな顔でカイロスに手渡した。
「せっかくだから剣士ザックの遺品が領主館にあるから見ていくといい。カーニヴァルの間しか公開されないんだ」
領主館はあっちだと親切に教えてくれる店主。
あっという間に食べてしまったカイロスはセレスティの手を握りながら歩き出した。
「カイ?」
「迷子にならないように」
ギュッと握られた手は大きくて温かい。
いつの間にこんなに大きくなってしまったのか。
今では初めて街に行った時のワンピース姿が懐かしい。
子孫だから当たり前なのかもしれないけれど、似すぎていて戸惑うことがある。
笑った顔や剣を振る時の顔もそうだけれど、性格も似ているような気がするのは私の願望かもしれない。
「セレス? ごめん、歩くの早かった?」
「ううん、大丈夫」
こうやって気を遣ってくれるところも、少し上から覗き込むクセも。
比べてはいけないとわかっているけれど。
「剣士ザック様は、英雄の望みを叶えるため王家に立ち向かったのです。追われる身となったザック様を保護したのが私の祖先で……」
領主館もカーニヴァル同様、たくさんの人で賑わっていた。
現領主のありがたい解説付き。
ザックはクロノスを迷いの森に送った後、どうやらこの街に永住したようだ。
無事に騎士たちから逃げることができて良かった。
「こちらに展示してあるのが、剣士ザック様の剣とメモです」
大きな剣は時の魔物の討伐で持っていたもの。
1000年経ってもキレイな状態は、ここの歴代の領主が大切に扱っていた証だ。
「メモは亡くなる前日に書かれたと伝えられておりますが、旧字のため何と書かれているかはわかりません。ですが、この最後の文字はザック様の直筆のサインであることが確認されています」
一目見ようと順番に見ていく客たち。
少し空いてからカイロスはセレスティをメモの前に案内した。
「……オーステンも無事だったのね。よかった」
メモを眺めながら涙ぐむセレスティ。
「何と書いてあるんだ?」
「自分を匿ってくれたラグー街と、オーステンを匿ってくれたハルバ街に感謝。クロノスとセレスティが無事に会えたと信じている……」
ありがとう。ザック、オーステン。
会えたわよ、あなたたちのおかげで。
慌てて目を押さえるセレスティの頭にカイロスはスッとフードを被せた。
領主館を出ると再び聞こえてくる明るい音楽。
色とりどりの布や花の飾り付け。
楽しそうに踊る人々。
「……帰ろうか」
カイロスの言葉にセレスティは泣きながら頷いた。
何もない魔女の村ルーライズ。
セレスティは野菜が生い茂る馬車の横の大きな石に腰掛けながらぼんやりと月を眺めた。
1000年経っても変わらない身体。
たった13年で大きくたくましくなったカイロス。
そろそろ独り立ちかもしれない。
こんな何もない村にカイロスを置いておくのはもったいない。
もっと人生を謳歌してほしい。
もう王家もカイロスが生きているなんて思っていないだろう。
金髪に青眼の男性なんて世の中にたくさんいるはずだ。
冒険者の名前を名乗れば別人だと言い張れる。
それにこの村にいなければカイロスが時の魔物に襲われることもない。
私はまたここで一人で過ごすだけ。
何かするわけでもなく、何の目的もなく。
ただ永遠に……。
「夜は冷えるよ」
ブランケットをセレスティの肩にかけながら優しく微笑むカイロスに、セレスティは切なそうな顔で微笑み返した。
カイロスはクロノスじゃない。
ザックもオーステンもフォレスト公爵も、みんなもういない。
私だけが世界に取り残されていく。
「ねぇ、カイ」
そろそろ独り立ちする?
その一言が言えずに目を伏せたセレスティの頬にカイロスはそっと触れた。
「セレス、ハルバ街に行ってみないか?」
ハルバ街はオーステンを匿ってくれた街の名前。
思いもよらない言葉に驚いたセレスティは目を見開いた。
「ハルバ街がどこにあるか知らないけどね」
ははっと笑いながらカイロスはセレスティの髪を一房持ち上げ口づけする。
「セレスの髪はこのまま黒で。俺だけ茶色にするから」
そうすれば髪色を変える秘薬の量が減らせる。
着替えは最低限、冒険者で金を稼ぎながら移動すれば宿泊費も大丈夫。
「でも、黒は」
「キレイだよ」
黒髪は1番地味な色。
黒髪は可哀想だといわれるくらい好まれない色だ。
「キレイだ」
俺はこの黒髪が好きだと言うカイロスにセレスティは切なそうに微笑んだ。
黒髪をキレイだと言ってくれたのは3人目。
クロノスと、フォレスト公爵と、そしてカイロス。
どうやらこのフォレスト家は代々変わり者らしい。
「冒険者をしながらいろんな街に泊って、景色を見たり買い物したり」
「すぐ隣かもよ?」
あの二人なら迷いの森を挟んで右と左の可能性が高い。
彼らの立ち位置を考えると右に逃げたのがザック、左に逃げたのがオーステンだ。
「それでもいいよ。セレスと一緒にいたいんだ」
カイロスはセレスティの髪をそっと離すと優しく微笑んだ。
独り立ちじゃなくて?
まだ一緒にいてもいいの?
セレスティの胸が熱くなる。
切なそうな表情のカイロスにセレスティは「うれしいわ」と微笑んだ。
「さぁ、出発」
手を繋ぎ、迷いの森を進む。
ラグー街とは反対方向に向かっているつもりだが、ここは迷いの森。
本当の方角はわからない。
「ザックよりオーステンの方が用心深いから、ラグー街よりもハルバ街の方が遠いと思うわ」
「へぇ~」
薄暗い迷いの森を抜け、その日は草原で野宿になった。
火も水も魔女の力で出せるので何も困らない。
食材は草原でホーンラビットを調達し、カイロスは丸焼きにして食べた。
「……たくましく育てすぎたわ」
本当は王子なのに。
ワイルドすぎるカイロスを見ながらセレスティは笑う。
「どう? 料理も洗濯もできて護衛にもなる夫」
お買い得だよとおススメされたセレスティは「そうね」と微笑んだ。
「……本気なのにな」
冗談で流されてしまったカイロスは肩をすくめる。
いつか俺を好きだと言わせてみせるよ。
カイロスは月明かりに照らされたセレスティの後ろ姿を見ながら切なそうに微笑んだ。
翌日たどり着いた最初の街でハルバ街について尋ねた。
迷いの森の左方向も、ラグー街よりも遠い距離というセレスティの予想は見事に当たっていた。
いくつかの街を経由し、時には野宿もしながらハルバ街を目指す。
「疲れてない?」
「大丈夫。討伐隊の時は、1日にもっと長い距離を歩いたのよ」
どこにいるかわからない時の魔物を探すために毎日たくさん歩いたとセレスティは当時を思いだした。
「時の魔物ってさ、逃げたって習ったけれど、やっつけたわけじゃないんだよね?」
「うん、もう復活してる」
「えっ?」
「実はね、カイと初めて会った日に時の魔物が挨拶にきてね」
「は?」
「もうすぐ復活するよって」
「え?」
世界を混沌に陥れる悪魔だと言われる時の魔物が挨拶に?
それを軽く、先日知人に会ってね、くらいのノリで話すセレス。
「……なんか、セレスってやっぱすごいわ」
カイロスはまだまだ敵わないと溜息をつきながら綺麗な青空を見上げた。
「カイ、ハルバ街に着く前に髪色を変えたら?」
「もう夕方だし、フードがあるし、国境も越えたし、今日はこのままでいいや」
宿屋に入ったら誰にも見られないからとカイロスは深くフードを被り直した。
髪色を変える秘薬は限りがある。
だから節約して使いながらここまで来た。
まだ半分以上残っているので帰りも問題ないだろう。
それにここはもう隣国。
万が一、カイロスが王子だとバレてもフォレスト国は手が出せない。
「大きな街だな」
ハルバ街は道路もキレイに整備され、街の真ん中に川が流れる綺麗な街だった。
上の方だけ雪が積もった山を背景に建物の赤レンガが栄え、川や湖が夕日を反射して光っている。
国境も越えて身の安全を確保した上で景色が良い街を選んだのはオーステンらしいとセレスティは思わず立ち止まった。
「うわっ」
10歳くらいの少年がセレスティの背中にぶつかり、尻餅をつく。
「ごめんね、大丈夫?」
急に立ち止まったセレスティにぶつかってしまった少年に、セレスティはしゃがんで手を差し伸べた。
じっとセレスティの手と顔を交互に見る少年。
そのまま視線はカイロスに。
今度はセレスティとカイロスを交互に見た後、少年はぼそっと呟いた。
「英雄と魔女」
「……え?」
驚いたカイロスが慌ててセレスティを引き寄せ、背中に隠す。
「何者だ」
少年を睨みつけるとカイロスは剣に手を掛けた。
「ちょ、ちょっとカイ!」
「うわっ、待って、待って」
焦る少年と、後からカイロスの手を止めるセレスティ。
カイロスは大きく息を吐くと、今すぐ抜いてしまいそうな剣からようやく手を離した。
クロノスよりもカイロスの方が短気なようだ。
初めて知った一面にセレスティは肩をすくめる。
「ごめん、魔女って言ってごめんなさい! でもこの街では魔女はいい人なんだ」
悪女という意味で言ったんじゃないと少年は言い訳をする。
カイロスとセレスティは顔を見合わせた。
「もうちょっと詳しく教えて?」
「えっと、お姉さんたち他の街から来た冒険者だろ?」
「えぇ、そうよ」
「魔女は王様を騙して王妃様との仲を引き裂いた悪女だろ?」
あぁ、世間ではそう言われていたんだ。
クロノスを騙して、迷いの森に連れ込んで、王妃の元には返さず一緒に過ごした悪女。
……そうよね。
王妃から見たらそうだよね。
目を伏せたセレスティの肩を引き寄せるカイロス。
このタイミングでフォローするなんて、天然の色男だ。
セレスティは立派に成長したカイロスに戸惑った。
「でもこの街だけ全然違う話が広まっているんだ」
「……違う話?」
「英雄の仲間だった人が書いた絵本があるんだよ」
「その絵本の絵と私たちが似ているってこと?」
セレスティの質問に首を横に振りながら、少年は立ち上がり尻の砂を祓った。
街に響く夕方5時の鐘。
「うわ、やばっ。怒られる!」
少年は街の時計塔を見上げながらビクッと身体を揺らすと、目の前の二人を見てニヤッと笑った。
「今から一緒にうちまで来てくれない? いいもの見せるよ」
「いいもの?」
「だからお願い、一緒に父さんに謝って」
カイロスは溜息をつきながらセレスティの手を握った。
「……ロシェ。今は何時だ」
街から少し高台に建った大きな屋敷の前で、仁王立ちする男性にセレスティは苦笑した。
きっと少年のお父さんだ。
5時までに家へ帰ると約束していたのだろう。
遅れそうになり慌てて走っていたらセレスティとぶつかったのだ。
「お客さんを案内していたんだ」
だから今日は許してと言うロシェに男性は怪しいフードの二人組に視線を移す。
「英雄と魔女だよ」
変なことを言うロシェは父親にゲンコツを落とされた。
「突然すみません。彼があるものを見せてくれるというので、ご迷惑とは思いつつ、こちらに案内していただきました」
セレスティがフードを取りながら話しかけると、男性は目を見開く。
こんなやつ助けなくてもいいのにと言いたそうな溜息をつきながら、カイロスもフードを取った。
「……英雄と、魔女」
小さな声で呟いた父親の声に、ロシェは頭を押さえながら「ほら、言った通りじゃん」と頬を膨らませた。
「旅のお方?」
「そうです。今日この街に」
「泊るところは」
「これから宿を探しに」
「では、うちにお泊まりください」
急に親切になった男性の態度に、カイロスは眉間にシワを寄せる。
ここが危険だとは思えないが、怪しくないだろうか?
断った方が良いのではないか?
「カイ、ご厚意に甘えましょう」
セレスティが手を握ると、カイロスはギュッと手を握り返した。
「……どうして1部屋なのかしら」
なぜかベッドは1つ。
うちのベッドよりは大きいけれど。
急に来たのに食事はとても豪華で、カイロスは嬉しそうだった。
「まさかここが領主邸だったとは」
「高台にある時点で気づくべきだったわ」
街を見下ろせる位置だったとセレスティは肩をすくめながらベッドに腰かけた。
このままこのふかふかのベッドに横になったら眠ってしまいそうだが、このあとロシェが言っていた「いいもの」を見せてもらうことになっている。
もしかしたらオーステンに縁のあるものかもしれない。
ザックの剣も領主館にあったのだから。
「おまたせ。行こうか」
ラフな服に着替えたカイロスがセレスティに手を差し伸べる。
エスコートするだなんてやっぱり色男ね。
いつの間にこんなに大きくなってしまったのかしら。
セレスティは5歳だった可愛いカイロスがなんだか懐かしくなってしまった。
「こっちが普通の絵本で、こっちの大きな月の絵本がこの街の絵本だよ」
ロシェが準備してくれた絵本は2冊。
「見てもいい?」
「もちろん!」
セレスティはまず普通の絵本と言われた水色の表紙の本を手に取った。
冒頭は魔物の討伐に行く騎士をお姫様が泣きながら見送るシーン。
次は魔物と戦う騎士のページだ。
そして見事討伐に成功した騎士はお姫様と結婚。
だが、幸せだった二人を魔女が邪魔する。
騎士を攫った魔女は騎士とお姫様の愛の力で倒され、国にまた平和が戻りました。めでたし、めでたし、だ。
子供向けにしては敵が魔物と魔女と2回出てくるので少し面倒な気がするが。
「こっちは……」
この街の絵本を手に取ったセレスティは冒頭から違うことに驚いた。
満月の夜、時の魔物の討伐でセレスティが亡くなったこと、魔女の力で蘇ったことから、結婚の約束をしていたのに追い出されたことまで、ほぼ事実が書かれている。
騎士は怪しい薬を王女に飲まされ、魔女の事を忘れてしまった。
だが騎士と魔女の愛の力で薬の効果が切れ、二人はようやく結婚できたと。
こんな話が書けるのは、オーステンかザックの2人しかいない。
1番後ろのページに書かれた原作者オーステン・フォンターヌの文字をセレスティは目を潤ませながら手でなぞった。
「……セレス?」
今にも泣きそうなセレスティに気づいたカイロスは、心配そうに覗き込む。
「だいぶ内容が違うんですね」
セレスティは絵本を閉じ、慌てて涙を拭いた。
「でも、この絵と私の共通点は黒髪ということしかないですけど?」
どうして魔女と呼ばれたのかはわからないままだ。
セレスティが首を傾げると、領主は机の上に置かれた箱の鍵をカチッと開けた。
中から取り出したのはペンダントと1枚の絵と1冊の本。
「こちらをご覧ください」
領主が見せた絵にセレスティは目を見開いた。
クロノス、ザック、オーステン、そしてセレスティ。
こんな絵を描いてもらった記憶はない。
だが顔も背格好も間違いなく自分たちだ。
「……クロ」
20歳のクロノス。
時の魔物の討伐のため一緒に旅をしていた頃の姿。
「……英雄?」
カイロスはセレスティの隣に立つ自分に似た男に驚いた。
子孫だといえば似ていて当然かもしれないが、あと2年もすれば自分はもっと英雄に似るのではないだろうか?
セレスティが好きな男。
セレスティの心を捕らえて離さない男。
隣の剣士が腰につけた剣はラグー街にあった剣に柄が似ている。
こっちが剣士ザック。
ではもう一人の魔術師のような服装がオーステンということか。
自分の知らないセレスティを知る者たち。
カイロスは初めて見る討伐隊に、いや、自分ではない自分に似た男に嫉妬した。
「クロ……」
1000年ぶりのクロノスをしっかり見たいのに。
あぁ、ダメだ。
涙でよく見えない。
「魔女が来たら渡すようにと言い伝えがあり、我が家は代々この箱を守ってきました」
領主は本とペンダントをスッとセレスティの前へ。
「お渡しできてよかったです」
「……ありがとうございます」
うれしそうに微笑む領主とキョトンとしているロシェに、セレスティは泣きながら微笑んだ。
部屋に戻ったセレスティはカイロスの腕の中で泣いた。
甘えてはいけないとわかっているけれど、どうしても我慢ができなかった。
1000年ぶりに会えたクロノス。
そして仲間だったザックとオーステン。
まさかこんなにそっくりな絵があるなんて思わなかった。
「……この男じゃないとダメなのか?」
泣きつかれて眠ってしまったセレスティの頬の涙を手で拭いながら、カイロスは切なそうに微笑んだ。
描かれた英雄に顔だけなら似ている。
なぁ、セレス。俺ではダメなのか……?
カイロスはセレスティをギュッと抱きしめると、暗いベッドの上でゆっくりと目を閉じた。
「……ね、ねぇ、起きて、カイ!」
「うん? もう少し……」
もう少し眠りたいと言う予定だったカイロスは、周りの景色に慌てて飛び起きた。
「……は?」
今日はいい天気。
目の前には青い空が広がっている。
ここは高台。
街と、時計塔と、青空と、大きな木。
「……屋敷は?」
ベッドどころか建物すらない状況にカイロスとセレスティは顔を見合わせた。


