造花街・吉原の陰謀-百鬼夜行-
15: トラブルメーカー
珠名屋に入った次の日の朝、明依は吉原の病院で目を覚ました。
目が覚めてからすぐに検査を受けて数時間がたった現在、病室のベッドに横たわって検査結果を待っている。
気分は悪くないが気だるい感じが抜け切らない。
いつも少しでも暇な時間があれば何かしていたいと思う明依だが、今はぼんやりと天井を見ながら時間が過ぎるのを待つことに抵抗はなかった。
「特に問題はなし」
恰幅のいい初老の医者はガラガラと病室の引き戸を開けながら言う。
明依はゆっくりと身を起こして両腕を後ろで絡めて歩いてくる医者に視線を向けた。医者の後ろから会釈をして病室に入ってきたのは、以前終夜に胸の傷をつけられた時に薬を処方してくれた若い男だった。
医者は明依のベッドの横で足を止めると、呆れたような安心したような態度で息を吐く。
「それにしても黎明さん。あなたは本当にトラブルに巻き込まれるね。というより、トラブルに飛び込んでいくのかな」
「返す言葉もありません」
医者と明依のやり取りにこっそりと苦笑いを浮かべたのは、病室のすみで薬の準備をしている若い男。
「身体に残っている悪いものを外に出さないとね。薬を出しておきますよ。……白萩くん」
「はい。黎明さん、少しお待ちくださいね」
白萩と呼ばれた男は、作業する手を止めて明依に向かって安心させるような柔らかい笑顔を浮かべる。
今回もこの人が薬の準備をしてくれるのか。優しそうな人だな、と思った明依だったが、すぐに晴朗という〝いい人そうに見えて頭がおかしい〟という事例を思い出し、素直に自分の感想を受け入れるのはやめた。
「お願いします、白萩さん。……先生、ありがとうございました」
医師が出て行った部屋の中は静かだ。
生薬の組み合わせて作る漢方薬だろうか。白萩が薬をすりつぶす音だけが規則的に響いている。
しかし明依は、静かな時間が流れている病室の中でも心を休める事は出来なかった。
まだ頭の中はごちゃごちゃしていて、珠名屋での出来事を一人でなぞっていても何一つ解決できそうにない。
珠名屋の中で般若の面をかぶった遊女を何人か見たが、一言も発さない様子は、ただ命令を淡々と聞いているだけのように見えた。
珠名屋の遊女の中で、おそらく地獄大夫だけが違う。
地獄大夫が珠名屋の遊女たちを薬か洗脳術で操っているのだろう。
では、地獄大夫の目的は何なのか。
一人で考えていても答えは出ず、整理もできない。終夜が話を聞いてくれたら、と考えて思い出したのは、前回この病院に来た時の事。
終夜に身体を切られた傷は、今も胸の中央から肩口にかけて身体にある。
終夜は自分が付けた傷をもう一度見たら、どんなことを思うのだろう。
〝この傷は仕方がなかった〟と思うのだろうか。しかし今の明依が見た限りの終夜は、そんなに綺麗に割り切れるような男ではなかった。
傷付いた表情をするのだろうか。終夜が傷付くくらいなら、一生身体なんて重ねなくていい。日奈と旭を思い出して辛いなら、それも同じことだ。
冷静になれば、そう思えるのに。
終夜を大切に思っていて、終夜を心配していて。日奈と旭がよぎるから近付くことも苦しい。だから名前のない関係から一歩先に行くにはどうすればいいのかわからない。だけど今の状況は、悲しい。
じゃあ一体どうしたらいいのだろう。
人間はわがままだ。
不平不満ばかり出てくるくせに、解決策を模索しない。
考えなければと思っているのに、やはり今日も解決策を見出すことはできそうにない。
違う。今考えないといけないのは終夜との関係じゃなくて。
今は珠名屋での出来事を考えなければ。
『明依!!』
頭の中で、日奈の声が反響する。
日奈との数ある思い出の中ではない。
珠名屋の妓楼の中で、ぼんやりとした中で、意識を裂くみたいに聞こえた日奈の声。
あれは、幻聴だったのだろうか。
しかし幻聴にしては明確に耳の中、心の中に残っている。
「生きてるか?」
ガラガラと引き戸があく。
病室に入ってきたのは梅雨だった。
「死んでたら病室にはいないんですけど」
「終夜に助けられても病院送りだ。命があるだけありがたいと思えよ」
梅雨は分かり切ったような口調で言うと、壁に向かって薬を作る白萩の手元をちらりと見た。
「黎明さん、僕は席を外しますね。また後で」
白萩は薬を作る手を止めて二人に頭を下げると、病室の外に出て行った。
「……梅雨ちゃんはどうして知ってるの? 終夜が珠名屋に来た事」
「俺が終夜にやられたからに決まってるだろ」
病人を相手にありのまま感情をぶつけるのは、という気持ちからか。くすぶる気持ちを抑えつけた口調の梅雨に明依は「ごめん」としっかり謝罪した。
終夜に相当打ちのめされたのかもしれないが、詳しく聞くと終夜との出来事を思い出して当たられそうだったのでやめておいた。
「地獄大夫の事を調べてきた」
梅雨はそれだけを端的に言う。
明依は思わず梅雨の顔を見た。梅雨は〝もう二度と関わるなよ〟という言い方しかしないと思っていたからだ。
「どうせ気になって仕方ないんだろ。だけどどれだけ危険な場所かは分かったはずだ。この話を聞いたら、もう二度と珠名楼には近付かないって約束しろ」
「わかった。約束する」
梅雨の中でおそらく、〝高尾大夫が死んだら〟という例え話が大きかったのだろう。
できる限りの事はしてやろう、という梅雨の気持ちが今の明依には痛いくらい伝わる。
それだけ大切にされる高尾は幸せ者で、大切に思う人がいる梅雨もまた、幸せ者だと思った。
「地獄大夫はもともと満月屋の遊女。どうやら、施設時代から満月屋に所属していた頃まで旭と雛菊と深く交流があったらしい」
地獄大夫は日奈と旭の友達。珠名屋に二人がいた理由を掴めそうな予感がする話だ。
「お前だったらどう思う? やっと見つけた居場所を主郭に奪われたら」
「……恨む、と思う」
もしも日奈と旭から引き離されて別の妓楼に移っていたら、きっと急に地獄を見る事になっていたのだろう。
しかし地獄大夫は絶望の状態から希望を見つけて、見つけた希望を主郭に奪われた。
だから松ノ位の昇格を、自分の顔に傷をつけてまで断った。
そこまでするだろうかと明依は考えたが、すぐに答えは出た。
自分の顔に傷をつける程度のことならする。
もし自分が同じ状況なら、地獄大夫と同じことができる。
その確信が明依にはあった。
「俺も恨むと思う。珠名楼がある場所は吉原の端。昔から雰囲気が暗い場所だからな。松ノ位を抱えさせて活気を、っていう魂胆だったんだろうが。地獄大夫の方が一枚上手だったらしい。主郭の目をかいくぐり、今となっては独立国家だ」
「終夜が地獄大夫は薬と洗脳術を使うって言ってた。地獄大夫は珠名屋の中で日奈と旭の夢を見たいのかな……」
「さあ。もしそうなら、地獄大夫にとって旭と雛菊と過ごした日々は、人生の中で一番心が安らぐ時間だったのかもな」
もしかするとそれはすがるような想いだろうか。
きっと地獄大夫は日奈と旭の死を人伝に聞いたのだろう。絶望の中で二人を造ったのかもしれない。
しかし絶望の中で二人を造ったというのが事実なら、疑問が一つ浮かんでくる。
「……地獄大夫は〝やっぱり終夜は追ってきた〟って言ったの。珠名屋の中には終夜の偽物もいた。それなのにどうして終夜が必要なんだろう?」
「俺が知るか」
てっきり話し相手になってくれると思ったが、梅雨はもう用事はないとでも言いたげに踵を返した。
「じゃあな、黎明」
「うん。……ありがとう、梅雨ち、」
「梅雨ちゃんって言うな」
梅雨は〝さようなら〟の代わりにそう言うと、部屋を出て行った。
満月屋でずっと幸せに暮らしてきた。
たくさんの人に守られていたからだ。
今だってそうだ。主郭に住んで、終夜が守ってくれている。
終夜は珠名屋の中で守ってくれた。
間違いなく終夜から守られた事実があるのに、一つだけ心に引っかかることがある。
終夜が守ってくれるのは、終夜に大切にされているからなのだろうか。
抗争の前まで、終夜は日奈と旭と約束したから守ってくれていた。もしかすると抗争の前から終夜の感覚は、何も変わっていないのではないだろうか。
だって本当に大切にしてくれているなら、目が覚めて顔一番に見る顔は終夜のはずで。
ほらまた、望まないと思ったことを望んで、気持ちが動いてしまう。
二年前からすれば終夜の側にいられるこの状況は、まぎれもない幸せのはずなのに。
明依は頭の中から終夜を追い出すみたいに息を吐いた。
「起きたんだって?」
ガラガラと病室の扉が開いて、終夜は何の気もない様子で入ってくる。
目覚めて一番に〝なんで危険なことをしたんだ〟と罵声を浴びせられる方が、よほど愛を感じられたかもしれない。
そんな思考を止めたい。
「別に起きてなくてもよかったけどみたいな言い方」
終夜は何も悪くないと分かっているから、戯れる言葉で片付ける。
目が覚めてからすぐに検査を受けて数時間がたった現在、病室のベッドに横たわって検査結果を待っている。
気分は悪くないが気だるい感じが抜け切らない。
いつも少しでも暇な時間があれば何かしていたいと思う明依だが、今はぼんやりと天井を見ながら時間が過ぎるのを待つことに抵抗はなかった。
「特に問題はなし」
恰幅のいい初老の医者はガラガラと病室の引き戸を開けながら言う。
明依はゆっくりと身を起こして両腕を後ろで絡めて歩いてくる医者に視線を向けた。医者の後ろから会釈をして病室に入ってきたのは、以前終夜に胸の傷をつけられた時に薬を処方してくれた若い男だった。
医者は明依のベッドの横で足を止めると、呆れたような安心したような態度で息を吐く。
「それにしても黎明さん。あなたは本当にトラブルに巻き込まれるね。というより、トラブルに飛び込んでいくのかな」
「返す言葉もありません」
医者と明依のやり取りにこっそりと苦笑いを浮かべたのは、病室のすみで薬の準備をしている若い男。
「身体に残っている悪いものを外に出さないとね。薬を出しておきますよ。……白萩くん」
「はい。黎明さん、少しお待ちくださいね」
白萩と呼ばれた男は、作業する手を止めて明依に向かって安心させるような柔らかい笑顔を浮かべる。
今回もこの人が薬の準備をしてくれるのか。優しそうな人だな、と思った明依だったが、すぐに晴朗という〝いい人そうに見えて頭がおかしい〟という事例を思い出し、素直に自分の感想を受け入れるのはやめた。
「お願いします、白萩さん。……先生、ありがとうございました」
医師が出て行った部屋の中は静かだ。
生薬の組み合わせて作る漢方薬だろうか。白萩が薬をすりつぶす音だけが規則的に響いている。
しかし明依は、静かな時間が流れている病室の中でも心を休める事は出来なかった。
まだ頭の中はごちゃごちゃしていて、珠名屋での出来事を一人でなぞっていても何一つ解決できそうにない。
珠名屋の中で般若の面をかぶった遊女を何人か見たが、一言も発さない様子は、ただ命令を淡々と聞いているだけのように見えた。
珠名屋の遊女の中で、おそらく地獄大夫だけが違う。
地獄大夫が珠名屋の遊女たちを薬か洗脳術で操っているのだろう。
では、地獄大夫の目的は何なのか。
一人で考えていても答えは出ず、整理もできない。終夜が話を聞いてくれたら、と考えて思い出したのは、前回この病院に来た時の事。
終夜に身体を切られた傷は、今も胸の中央から肩口にかけて身体にある。
終夜は自分が付けた傷をもう一度見たら、どんなことを思うのだろう。
〝この傷は仕方がなかった〟と思うのだろうか。しかし今の明依が見た限りの終夜は、そんなに綺麗に割り切れるような男ではなかった。
傷付いた表情をするのだろうか。終夜が傷付くくらいなら、一生身体なんて重ねなくていい。日奈と旭を思い出して辛いなら、それも同じことだ。
冷静になれば、そう思えるのに。
終夜を大切に思っていて、終夜を心配していて。日奈と旭がよぎるから近付くことも苦しい。だから名前のない関係から一歩先に行くにはどうすればいいのかわからない。だけど今の状況は、悲しい。
じゃあ一体どうしたらいいのだろう。
人間はわがままだ。
不平不満ばかり出てくるくせに、解決策を模索しない。
考えなければと思っているのに、やはり今日も解決策を見出すことはできそうにない。
違う。今考えないといけないのは終夜との関係じゃなくて。
今は珠名屋での出来事を考えなければ。
『明依!!』
頭の中で、日奈の声が反響する。
日奈との数ある思い出の中ではない。
珠名屋の妓楼の中で、ぼんやりとした中で、意識を裂くみたいに聞こえた日奈の声。
あれは、幻聴だったのだろうか。
しかし幻聴にしては明確に耳の中、心の中に残っている。
「生きてるか?」
ガラガラと引き戸があく。
病室に入ってきたのは梅雨だった。
「死んでたら病室にはいないんですけど」
「終夜に助けられても病院送りだ。命があるだけありがたいと思えよ」
梅雨は分かり切ったような口調で言うと、壁に向かって薬を作る白萩の手元をちらりと見た。
「黎明さん、僕は席を外しますね。また後で」
白萩は薬を作る手を止めて二人に頭を下げると、病室の外に出て行った。
「……梅雨ちゃんはどうして知ってるの? 終夜が珠名屋に来た事」
「俺が終夜にやられたからに決まってるだろ」
病人を相手にありのまま感情をぶつけるのは、という気持ちからか。くすぶる気持ちを抑えつけた口調の梅雨に明依は「ごめん」としっかり謝罪した。
終夜に相当打ちのめされたのかもしれないが、詳しく聞くと終夜との出来事を思い出して当たられそうだったのでやめておいた。
「地獄大夫の事を調べてきた」
梅雨はそれだけを端的に言う。
明依は思わず梅雨の顔を見た。梅雨は〝もう二度と関わるなよ〟という言い方しかしないと思っていたからだ。
「どうせ気になって仕方ないんだろ。だけどどれだけ危険な場所かは分かったはずだ。この話を聞いたら、もう二度と珠名楼には近付かないって約束しろ」
「わかった。約束する」
梅雨の中でおそらく、〝高尾大夫が死んだら〟という例え話が大きかったのだろう。
できる限りの事はしてやろう、という梅雨の気持ちが今の明依には痛いくらい伝わる。
それだけ大切にされる高尾は幸せ者で、大切に思う人がいる梅雨もまた、幸せ者だと思った。
「地獄大夫はもともと満月屋の遊女。どうやら、施設時代から満月屋に所属していた頃まで旭と雛菊と深く交流があったらしい」
地獄大夫は日奈と旭の友達。珠名屋に二人がいた理由を掴めそうな予感がする話だ。
「お前だったらどう思う? やっと見つけた居場所を主郭に奪われたら」
「……恨む、と思う」
もしも日奈と旭から引き離されて別の妓楼に移っていたら、きっと急に地獄を見る事になっていたのだろう。
しかし地獄大夫は絶望の状態から希望を見つけて、見つけた希望を主郭に奪われた。
だから松ノ位の昇格を、自分の顔に傷をつけてまで断った。
そこまでするだろうかと明依は考えたが、すぐに答えは出た。
自分の顔に傷をつける程度のことならする。
もし自分が同じ状況なら、地獄大夫と同じことができる。
その確信が明依にはあった。
「俺も恨むと思う。珠名楼がある場所は吉原の端。昔から雰囲気が暗い場所だからな。松ノ位を抱えさせて活気を、っていう魂胆だったんだろうが。地獄大夫の方が一枚上手だったらしい。主郭の目をかいくぐり、今となっては独立国家だ」
「終夜が地獄大夫は薬と洗脳術を使うって言ってた。地獄大夫は珠名屋の中で日奈と旭の夢を見たいのかな……」
「さあ。もしそうなら、地獄大夫にとって旭と雛菊と過ごした日々は、人生の中で一番心が安らぐ時間だったのかもな」
もしかするとそれはすがるような想いだろうか。
きっと地獄大夫は日奈と旭の死を人伝に聞いたのだろう。絶望の中で二人を造ったのかもしれない。
しかし絶望の中で二人を造ったというのが事実なら、疑問が一つ浮かんでくる。
「……地獄大夫は〝やっぱり終夜は追ってきた〟って言ったの。珠名屋の中には終夜の偽物もいた。それなのにどうして終夜が必要なんだろう?」
「俺が知るか」
てっきり話し相手になってくれると思ったが、梅雨はもう用事はないとでも言いたげに踵を返した。
「じゃあな、黎明」
「うん。……ありがとう、梅雨ち、」
「梅雨ちゃんって言うな」
梅雨は〝さようなら〟の代わりにそう言うと、部屋を出て行った。
満月屋でずっと幸せに暮らしてきた。
たくさんの人に守られていたからだ。
今だってそうだ。主郭に住んで、終夜が守ってくれている。
終夜は珠名屋の中で守ってくれた。
間違いなく終夜から守られた事実があるのに、一つだけ心に引っかかることがある。
終夜が守ってくれるのは、終夜に大切にされているからなのだろうか。
抗争の前まで、終夜は日奈と旭と約束したから守ってくれていた。もしかすると抗争の前から終夜の感覚は、何も変わっていないのではないだろうか。
だって本当に大切にしてくれているなら、目が覚めて顔一番に見る顔は終夜のはずで。
ほらまた、望まないと思ったことを望んで、気持ちが動いてしまう。
二年前からすれば終夜の側にいられるこの状況は、まぎれもない幸せのはずなのに。
明依は頭の中から終夜を追い出すみたいに息を吐いた。
「起きたんだって?」
ガラガラと病室の扉が開いて、終夜は何の気もない様子で入ってくる。
目覚めて一番に〝なんで危険なことをしたんだ〟と罵声を浴びせられる方が、よほど愛を感じられたかもしれない。
そんな思考を止めたい。
「別に起きてなくてもよかったけどみたいな言い方」
終夜は何も悪くないと分かっているから、戯れる言葉で片付ける。