蝶々結び【完結】
その日の夜勤。
ナースステーションで残業していた結衣のもとへ、陽向先生がひょいと顔を出した。
「おつかれ。橘さんまだ帰ってないの?」
「ちょっとカルテ整理が残ってまして。」
「偉いね。」
「先生こそ、もう帰ったんじゃないんですか?」
「帰ろうと思ったけど、なんか橘さんがまだいそうな気がして。」
「……なんですかその“なんか”。」
「勘。……はい、これ。」
差し出されたのは、コンビニの小さなスイーツ。
「糖分、今日二回目。」
「陽向先生、私を太らせる気ですか?」
「え?そのほうが可愛いと思うけど?」
「……っ!」
結衣は思わずスプーンを落としそうになった。
陽向先生は笑いながら、それを拾って差し出す。
「ははっ…冗談だよ。」
「そういう冗談、やめてください。」
「うん。でも、冗談じゃないかもしれない。」
目を合わせると、彼の視線はいつになく真剣だった。
結衣の喉が、ごくりと鳴る。
「――陽向先生、ほんとに意地が悪いですね。」
「うん。橘さん限定でね。」
その夜、結衣は帰り道で空を見上げていた。
病院の屋上から見た空と同じ、静かな夜。
でも、心だけは静まらない。
風が頬を撫でた。
まだ恋じゃない。
けれど――確かに、恋の入口に立っていた。