嘘と欲求
 大幅な時間ロスだ。落としたものを急いで拾い集めながら翔真は思った。油断していた。気を抜いていた。休憩時間は大抵本を読んでいるため、少し本の世界に入ってから移動するものだとばかり思っていた。もしかしたら逆なのかもしれない。移動してから本を読むつもりなのかもしれない。

 記憶を辿れば、スマホを隠れて見るなどして目を離した隙にいなくなっていた、ということは確かにあった。その理由は、速攻教室を出ていたからだったのだと、別の角度からの観察を開始して明らかとなる。枯渇していた情報にほんの少しの潤いが齎された瞬間だった。良い傾向だ。初手から派手に物をぶちまけてしまったが。

 拾った教科書や筆記用具を抱え、伊織の後を追いかける。見つけた背中が移動先の生物室へ入っていく。伊織は振り返りもせずに開けた扉を閉めた。翔真の歩行が一瞬止まる。開けたら閉める。それだけのことであるのは分かっているのに、分厚い壁を作られた気分になった。気持ちがずんと重たくなってしまったが、扉を閉めたのは自分に気づいていないからだ、つまり尾行は上手くいったのだと前向きに考えた。

 翔真は閉められた扉をゆっくりと開ける。伊織以外まだ誰もいなかった。一番乗りだった伊織は予想通り文庫本を広げている。誰かが入室してきたのには気づいているだろうが、顔を上げる素振りはない。

 翔真はガン見しすぎないように眺め、何も言わずに席に着いた。ここでも翔真は最前列だった。不運にもほどがあるが、生物の授業に関しては奇跡的に伊織も最前列である。横を不自然なまでに見続けるのはできないものの、教室よりも観察はしやすい。

 クラスメートが続々とやってくるまでの数分間は、伊織と二人きりであった。生物教師は職員室にいるか隣の準備室にいるかだろう。どちらにせよ、生物教師もいずれ顔を出す。

 翔真は二人だけのこのタイミングを逃すまいと、教科書のページを捲って予習しているふりをしながら横目で伊織を盗み見た。伊織は長い指先で本のページを捲っている。表紙にはしっかりとカバーが施されている。中身が分かれば親友の解像度が上がるだろうに、未だに文庫本という型の情報しかなかった。
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