人魚のティアドロップ
「あの……先輩…」
しばらくの沈黙を破ったのは私だ。海李先輩と沙羅先輩の仲を疑うようなことはあったけれど今日で確信した。海李先輩は沙羅先輩のことを恨んでいる。
”あの時”って言う言葉が関係しているのは明らかだったが、それが聞けない。
もどかしい気持ちを押し隠し、それでも何故か私は先輩に声を掛けた。
「沙羅先輩……あのままあそこに残してきちゃっていいんですか…?」
「いいって。自業自得だ。もう付き合ってらんねぇよ」吐き捨てるように言った言葉は棘だらけだった。
刺さったら怪我をしてしまうような、鋭い棘。
「あのさ……俺、美海に嘘ついてた」
嘘―――
やっぱり誰か私以外に女の人が居るのだろうか。
そんな不安を押し隠し、先輩の言葉を待つ。
先輩は言い辛そうに下を向いたまま
「前にアキレスやって、長時間泳げなくなったって言ったろ?」
「へ?」想像していた言葉とは全然予想外の言葉に私は間抜けに先輩を見た。先輩は下を向いたまま悔しそうに唇を噛んでいる。
「あれ、バイクの事故とか言ったけど、嘘」
「何で……そんな……」
先輩はのろのろと顔を上げ、しかしその顔に表情と言う表情は浮かんでいなかった。まるで水がきれいに流していったみたいに。
「俺の親父…ろくに仕事しないでギャンブルと酒浸り。しかも酒癖が悪いうえ酔うと暴力を振るうさいてーなヤツ」
え―――?
「あの日も部活帰り、ギャンブルでスったんだろうな、俺が帰るともう酔ってて、母さんが出て行ったのはお前のせいだ、とかわけわからねぇこと叫びながら突然持ってた日本酒の一升瓶を割りやがって、そのまま俺の足に刺してきた」
「え!?」
私が目を開いて思わず口元に手をやると
「幸いにもあのアパートだろ?うっすい壁だから隣人のおばちゃんが何事か様子を見にきてくれて、慌てて救急車呼んでくれたわけだけど」
そんなことが―――
「避けようと思えば避けることも可能だった。けど親父の放った『お前のせいで』って言葉で動けなくなっちまって。記憶に薄い母親はホントは俺が出来なかったら親父と結婚するつもりはなかったみたいだし。俺が、出て行ったと言ってもおふくろの人生狂わせたものだろう」
「そ、そんなことない!」
私は背伸びをして先輩の首にぎゅっと抱き着いた。
全部、全部先輩のせいじゃない―――
「どんな母親でも子供は可愛い筈です。きっと理由があったんですよ」
抱き着かれた先輩が目を開くのが分かった。長い睫毛が私の頬を撫でるように上下している。
「俺、わかんねぇんだよ、母親を恨んでいるのか親父を憎んでいるのか」
それから語られたのは先輩が年末に口元に怪我を負っていたことも、やはり同じような状況だったらしい。
「かっこわりぃだろ。その気になりゃ反撃だっていくらだってできるのに、あんな小さなじじいに怪我させられたり殴られり、だから美海には適当な嘘をついた。
ごめんな」
ううん、と言う意味で私は顔を横に振った。
「美海は温かいな。俺の周りは酒浸りの暴力親父や我儘で自分の思う通りにことが進まないと卑劣な手を使う沙羅みたいなヤツばかり。
美海みたいなきれいな人間がこの世に存在すると思うと、俺今まで頑張れた」
うん、先輩。私もそうだよ。先輩の存在が私の頑張る糧なの。
知らなくて、今まで分かってあげられなくてごめんなさい。