この夜の意味〜声にできない恋を隠したら、完全無欠な御曹司の本気スイッチ入りました〜(旧:RISKY〜不敵な御曹司との恋は避けるべき〜)
プロローグ
学校から帰ると家の中には必ず明かりが灯っていた。今日も父さんは綺麗に見た目を整えているくせに、この家の薄汚れた台所で文句も言わずに夕飯をつくっている。

決して人に力を求めない父の姿が、この頃の私には全く理解できなかった。だからいくら取り繕っても隠しきれないくたびれた背中を横目に、軋み音が鳴る床を出来るだけそっと踏みながら、6畳一間の自室へと向かう。

そして私の名前を呼ぶ声が遠くから聞こえると、渋るように父が何から何まで用意した食卓に向かう。それが早く大人になりたい、10歳の少女の日常だった。

「ピンポーン、ピンポーン」

この日、私は生まれて初めて一面の雪景色を見た。もう外は真っ暗で、誰も出たがらないくらいに雪がしんしんと降り続いているのに、何度も何度も途切れることなくインターホンを鳴らす音が、私の部屋まで聞こえてくる。まるで何か急いで伝えたいことがあるみたいに…。さすがの私も外の様子が気になって、自室から顔を出してみる。

「もーう。こんな時間に誰?」

「文乃!部屋に戻りなさい!」

「と、父さん……?」

自分で言うのもなんだが、母の愛情を知らぬまま大きくなる私にずっと負い目を感じていたのか、父は何をするにも寛容な人だった。

だから生まれてこのかた、父の怒鳴り声さえ聞いたことがなかった。私は衝撃や恐怖心を飛び越えて、父の滅多に見ないその姿がとにかく心配でならなかった。

この家に静寂が返ってくると、父は困ったように苦笑いを浮かべ、頭を掻きながらいつも通りの優しい声で謝ってくる。

「ごめん、ごめん。ちょっと大きい声出しすぎたな」

「……別に良いけど。もしかして、なんかあった?」

話を逸らそうと戯けたように謝ってみせる父だが、私だって一度見てしまったものはもう見なかったことにはできない。

全てを見抜いてみせるというような私の真っ直ぐな目に観念して、父も言いづらそうなその出来事を初めて口にする。

「あのな…実は父さん会社辞めたんだ」

「会社って、父さんがつくったんでしょ?なら辞める必要なんてないじゃん。ただでさえ、こんなボロボロの家に住んでるって言うのにさ……」

私だって本当は、こんなことを言いたかったわけじゃない。

そのまた昔、父にどんな仕事をしているの?と聞くと、「友達と二人で社長をしている」と教えてくれた。その二文字はまだ小さな世界で生きる少女にとって、とても誇らしくかっこよく映っていた。

だから、そんな父がずっと見るに足らない生活をしているのが、どうしても受け入れられなかったんだと思う。思わず心にもないことを口走ってしまった後悔で、私はそれ以上話す力さえなくなってしまう。

「……ごめん」

「あの会社にはな、もう父さんの居場所はないんだよ。お前には苦労かけないようにちゃんと働き口見つけるから」

「うん……」

後から知ることだが、父が友人とつくった会社は、少女のみすぼらしい日常からは想像できないほどに、とてつもなく大きな組織となっていた。

そして、なぜか父は一度もその恩恵を受けることなく、その二文字はおろか、会社の名前さえ、すべてが友人とやらのものに書き換えられてしまう。

そんなことも知らない無力な少女はこの日も何事もなく眠りにつき、また何も変わらない朝がやってくると思っていた。

時刻は午前2時すぎ。

何かから呼び起こされるように、いつもなら目覚めない時間にこの日は起きてしまった。

体の向きを変えると父も同じように横たわって眠っているが、どこか安心感のある寝息がなぜか今日は聞こえない。

「父さん?」

夜の静けさが途端に怖くなって、揺さぶって起こそうとするけれど、父の言葉は一向に返ってこない。

ふと枕元に目をやると、彼が最後にとった行動を明かすように、数えきれないほどの薬の抜け殻が散乱していた。

そこから自分がどうしたか、はっきりとは覚えていない。ただこの世界に一人残される恐怖と戦いながら、「父さんを助けなきゃ」と考えつく限りの大人たちに救いの手を求めた。
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