『沈黙のプリズム ―四人の約束―』
第9章「花の庭、交わらぬ視線」
春の花祭の日。
校庭には白いテントが並び、花の香りと人の声が混じり合っていた。
青空の下、色とりどりのブーケが風に揺れ、
どこか遠い場所のように、世界がきらめいて見える。
桐山瑠奈は、花壇の前に立っていた。
淡いピンクのカーネーションを整えながら、
胸の奥ではずっと別の鼓動を感じていた。
(……今日、渡すつもりだった)
鞄の中には、まだ封をしていない手紙が入っている。
けれど、それを渡す勇気は出なかった。
“今さら”という言葉が、頭の中で何度もこだまする。
その時、校舎側から歓声が上がった。
「一条くん、来栖さん、お似合いー!」
「写真撮っていい?」
見れば、花壇の中央で悠真と麗華が並んでいた。
麗華は白いワンピース姿で、胸元には真紅のコサージュ。
悠真の手には、同じ色のリボンが結ばれたブーケ。
「麗華、似合うよ」
「ほんと? 嬉しい」
彼女の笑顔は完璧で、周囲の視線を独り占めにしていた。
瑠奈は、遠くからその光景を見つめていた。
心臓が静かに痛む。
風の音と拍手の音が混じり、
世界から自分だけが切り離されたような気がした。
「……また見てるの?」
後ろから声がした。
振り返ると、拓也が立っていた。
シャツの袖をまくり、少し苦い笑みを浮かべている。
「見てないよ」
「見てた」
瑠奈は俯いた。
「……ねえ、拓也くん。
人って、どうして好きになった人のこと、
嫌いになれないんだろうね」
拓也は一瞬、言葉を失った。
そして、静かに答えた。
「それが、“本気”ってやつだから」
放課後。
花祭の片づけが終わるころ、
瑠奈は花壇の隅でひとり、散った花びらを拾い集めていた。
「桐山」
背後から呼ばれて振り向くと、悠真が立っていた。
「これ、余った花。持って帰る?」
差し出されたのは、白いカスミソウの束。
「……ありがとう」
受け取った瞬間、手が少し触れた。
けれど、悠真はすぐに手を引いた。
沈黙。
いつもみたいな笑顔は、そこにはなかった。
「麗華、嬉しそうだったね」
瑠奈がそう言うと、悠真は少し戸惑った顔をした。
「え? ああ……まぁ、みんなが盛り上がってただけだよ」
「ううん、よかったよ。すごく似合ってた」
無理に笑う瑠奈の声は、少しだけ震えていた。
悠真はそれに気づきながらも、何も言えなかった。
“泣いた理由を聞けなかった”あの日から、
彼はまた、何も聞けないままだった。
そのあと、麗華がやって来た。
「悠真くん、探したの」
彼女の手には、記念撮影の写真。
「せっかくだから、二人で撮ったやつ、あげる」
「ありがとう」
その笑顔を見つめる瑠奈に、麗華は気づいた。
わざとらしく、優しく言う。
「瑠奈ちゃんも一緒に写ればよかったのに」
「私は……いいの」
「遠慮しないで。
でも、こうして見ると――“三人”って難しいね」
言葉の意味を理解した瞬間、
胸の奥で小さく音がした。
壊れるような、沈むような、乾いた音。
「……そうだね」
瑠奈は小さく笑って答えた。
その笑顔があまりに静かで、
悠真は何も言えなかった。
夜。
帰宅した瑠奈は机に座り、
花祭で受け取ったカスミソウを花瓶に挿した。
テーブルの上には、まだ封をしていない手紙。
けれど、もう書き足す言葉もなかった。
「渡せなかった手紙が、
この想いを静かに閉じ込めてくれたのかもしれない」
彼女はそう呟いて、ペンを置いた。
窓の外、庭の花が夜風に揺れていた。
その花びらの一枚が、
ゆっくりと舞い上がり、机の上の手紙に触れた。
まるで、
「さよなら」という言葉を代わりに伝えるように。
校庭には白いテントが並び、花の香りと人の声が混じり合っていた。
青空の下、色とりどりのブーケが風に揺れ、
どこか遠い場所のように、世界がきらめいて見える。
桐山瑠奈は、花壇の前に立っていた。
淡いピンクのカーネーションを整えながら、
胸の奥ではずっと別の鼓動を感じていた。
(……今日、渡すつもりだった)
鞄の中には、まだ封をしていない手紙が入っている。
けれど、それを渡す勇気は出なかった。
“今さら”という言葉が、頭の中で何度もこだまする。
その時、校舎側から歓声が上がった。
「一条くん、来栖さん、お似合いー!」
「写真撮っていい?」
見れば、花壇の中央で悠真と麗華が並んでいた。
麗華は白いワンピース姿で、胸元には真紅のコサージュ。
悠真の手には、同じ色のリボンが結ばれたブーケ。
「麗華、似合うよ」
「ほんと? 嬉しい」
彼女の笑顔は完璧で、周囲の視線を独り占めにしていた。
瑠奈は、遠くからその光景を見つめていた。
心臓が静かに痛む。
風の音と拍手の音が混じり、
世界から自分だけが切り離されたような気がした。
「……また見てるの?」
後ろから声がした。
振り返ると、拓也が立っていた。
シャツの袖をまくり、少し苦い笑みを浮かべている。
「見てないよ」
「見てた」
瑠奈は俯いた。
「……ねえ、拓也くん。
人って、どうして好きになった人のこと、
嫌いになれないんだろうね」
拓也は一瞬、言葉を失った。
そして、静かに答えた。
「それが、“本気”ってやつだから」
放課後。
花祭の片づけが終わるころ、
瑠奈は花壇の隅でひとり、散った花びらを拾い集めていた。
「桐山」
背後から呼ばれて振り向くと、悠真が立っていた。
「これ、余った花。持って帰る?」
差し出されたのは、白いカスミソウの束。
「……ありがとう」
受け取った瞬間、手が少し触れた。
けれど、悠真はすぐに手を引いた。
沈黙。
いつもみたいな笑顔は、そこにはなかった。
「麗華、嬉しそうだったね」
瑠奈がそう言うと、悠真は少し戸惑った顔をした。
「え? ああ……まぁ、みんなが盛り上がってただけだよ」
「ううん、よかったよ。すごく似合ってた」
無理に笑う瑠奈の声は、少しだけ震えていた。
悠真はそれに気づきながらも、何も言えなかった。
“泣いた理由を聞けなかった”あの日から、
彼はまた、何も聞けないままだった。
そのあと、麗華がやって来た。
「悠真くん、探したの」
彼女の手には、記念撮影の写真。
「せっかくだから、二人で撮ったやつ、あげる」
「ありがとう」
その笑顔を見つめる瑠奈に、麗華は気づいた。
わざとらしく、優しく言う。
「瑠奈ちゃんも一緒に写ればよかったのに」
「私は……いいの」
「遠慮しないで。
でも、こうして見ると――“三人”って難しいね」
言葉の意味を理解した瞬間、
胸の奥で小さく音がした。
壊れるような、沈むような、乾いた音。
「……そうだね」
瑠奈は小さく笑って答えた。
その笑顔があまりに静かで、
悠真は何も言えなかった。
夜。
帰宅した瑠奈は机に座り、
花祭で受け取ったカスミソウを花瓶に挿した。
テーブルの上には、まだ封をしていない手紙。
けれど、もう書き足す言葉もなかった。
「渡せなかった手紙が、
この想いを静かに閉じ込めてくれたのかもしれない」
彼女はそう呟いて、ペンを置いた。
窓の外、庭の花が夜風に揺れていた。
その花びらの一枚が、
ゆっくりと舞い上がり、机の上の手紙に触れた。
まるで、
「さよなら」という言葉を代わりに伝えるように。