『沈黙のプリズム ―四人の約束―』
第22章「揺れる硝子の午後」
午後の光が、ガラスのカップに反射してゆらめいていた。
カフェの奥の席、窓辺に腰を下ろした瑠奈は、冷めかけた紅茶を見つめる。
東京に戻って二週間。再編プロジェクトが再開し、会議と調整の連続。
けれど今日の約束だけは、仕事でも打ち合わせでもない。
扉のベルが鳴る。
顔を上げると、そこに立っていたのは――西園寺拓也。
スーツの色も、声も、五年前と同じ。
ただ、笑みの奥に少しだけ疲れの影が見えた。
「久しぶりだな、瑠奈」
「……久しぶりです」
彼は向かいの席に腰を下ろした。
沈黙。氷が、グラスの中で小さく鳴った。
「新聞で見たよ。……あの記事のこと」
「ええ」
「ひどい話だ。君は何も悪くない」
「ありがとうございます」
拓也は手を組み、テーブルに視線を落とした。
「俺、君を守れなかったことを後悔してる。
昔みたいに、何も言わずに見守るだけじゃ、結局誰も救えなかった」
瑠奈は、静かに首を振った。
「あなたの優しさには、ずっと救われていました」
「優しさなんかじゃなかった。
――君を“手に入れたい”と思っていた。あの頃も、そして今も」
言葉が空気を裂いた。
カップの中で紅茶の表面が、かすかに波打つ。
「拓也さん……」
「分かってる。君の心に俺はいない。
でも、あいつ――一条悠真――本当に信じていいのか?」
その名を聞いた瞬間、心が小さく震えた。
「彼は、変わろうとしていました」
「“変わろうとしてる”男を信じて、君がまた泣く姿なんて見たくない」
一瞬だけ、拓也の瞳に過去の温度が戻る。
「君が泣いた日、あいつが何も聞かなかったのを見て、俺は思った。
もし彼が君を泣かせるなら、俺が連れていくって」
瑠奈は、目を伏せたまま微笑んだ。
「……あの頃の約束ですね」
「覚えてたのか」
「忘れません。
でも私は、もう誰かに“連れていかれる”側ではいられません」
拓也の指がわずかに動き、握りしめていた手をほどく。
窓の外では、午後の光が少しずつ淡くなっていた。
「じゃあ、こうしよう。君が泣かない限り、俺は距離を取る。
でも一度でも涙を流したら、今度こそ黙って見ていない」
「……優しいですね」
「違う。往生際が悪いんだ」
二人の間に、静かな笑いが生まれた。
痛みのない、けれど懐かしい沈黙。
別れ際、拓也が立ち上がる。
「次に会うとき、君が笑っていられるなら、それでいい」
「きっと笑っています」
扉のベルが鳴る。
彼の背中が街の光に溶けていった。
瑠奈は残されたカップを見つめた。
紅茶の表面に、淡い影が揺れている。
(信じることも、戦うことも、今度は自分の声で)
カップを持ち上げた指が少し震えた。
その瞬間、スマートフォンの画面が光る。
――《一条悠真:今夜、時間をもらえるか》
指先で画面を撫でながら、小さく呟いた。
「……やっと、言葉で話せる時が来たんですね」
カフェの奥の席、窓辺に腰を下ろした瑠奈は、冷めかけた紅茶を見つめる。
東京に戻って二週間。再編プロジェクトが再開し、会議と調整の連続。
けれど今日の約束だけは、仕事でも打ち合わせでもない。
扉のベルが鳴る。
顔を上げると、そこに立っていたのは――西園寺拓也。
スーツの色も、声も、五年前と同じ。
ただ、笑みの奥に少しだけ疲れの影が見えた。
「久しぶりだな、瑠奈」
「……久しぶりです」
彼は向かいの席に腰を下ろした。
沈黙。氷が、グラスの中で小さく鳴った。
「新聞で見たよ。……あの記事のこと」
「ええ」
「ひどい話だ。君は何も悪くない」
「ありがとうございます」
拓也は手を組み、テーブルに視線を落とした。
「俺、君を守れなかったことを後悔してる。
昔みたいに、何も言わずに見守るだけじゃ、結局誰も救えなかった」
瑠奈は、静かに首を振った。
「あなたの優しさには、ずっと救われていました」
「優しさなんかじゃなかった。
――君を“手に入れたい”と思っていた。あの頃も、そして今も」
言葉が空気を裂いた。
カップの中で紅茶の表面が、かすかに波打つ。
「拓也さん……」
「分かってる。君の心に俺はいない。
でも、あいつ――一条悠真――本当に信じていいのか?」
その名を聞いた瞬間、心が小さく震えた。
「彼は、変わろうとしていました」
「“変わろうとしてる”男を信じて、君がまた泣く姿なんて見たくない」
一瞬だけ、拓也の瞳に過去の温度が戻る。
「君が泣いた日、あいつが何も聞かなかったのを見て、俺は思った。
もし彼が君を泣かせるなら、俺が連れていくって」
瑠奈は、目を伏せたまま微笑んだ。
「……あの頃の約束ですね」
「覚えてたのか」
「忘れません。
でも私は、もう誰かに“連れていかれる”側ではいられません」
拓也の指がわずかに動き、握りしめていた手をほどく。
窓の外では、午後の光が少しずつ淡くなっていた。
「じゃあ、こうしよう。君が泣かない限り、俺は距離を取る。
でも一度でも涙を流したら、今度こそ黙って見ていない」
「……優しいですね」
「違う。往生際が悪いんだ」
二人の間に、静かな笑いが生まれた。
痛みのない、けれど懐かしい沈黙。
別れ際、拓也が立ち上がる。
「次に会うとき、君が笑っていられるなら、それでいい」
「きっと笑っています」
扉のベルが鳴る。
彼の背中が街の光に溶けていった。
瑠奈は残されたカップを見つめた。
紅茶の表面に、淡い影が揺れている。
(信じることも、戦うことも、今度は自分の声で)
カップを持ち上げた指が少し震えた。
その瞬間、スマートフォンの画面が光る。
――《一条悠真:今夜、時間をもらえるか》
指先で画面を撫でながら、小さく呟いた。
「……やっと、言葉で話せる時が来たんですね」