『沈黙のプリズム ―四人の約束―』

第5章「雨の日の誓い」

翌朝、空は鈍色の雲に覆われていた。
校門をくぐった瞬間、ぽつり、と頬に冷たい滴が落ちる。
瑠奈は小さく肩をすくめ、傘を差した。

昨日の涙の跡は、まだ心の奥で乾かないままだった。
眠れなかった夜。
何度も思い出した――
拓也の腕の中で、こぼれたあの言葉。

(……どうしてあんなこと、言ってしまったんだろう)

それでも、どこか少しだけ楽になっていた。
胸の奥にたまっていた苦しさが、少しだけ流れたような気がした。



教室に着くと、麗華が窓際に立っていた。
傘を閉じる悠真を見つめながら、髪を整えている。

「ねぇ悠真くん、午後の会議、資料見てくれる?」
「うん。あとで持ってくるよ」
「ありがと」
いつものように笑い合う二人を見て、
瑠奈は何も言わず席に座った。

授業の始まりを告げるチャイムが鳴る。
それでも胸のざわめきは止まらない。

(本当に、これでいいの……?)



放課後。
雨は本降りになっていた。
傘を持たない生徒たちが校舎の軒下で足止めを食らう中、
瑠奈はひとり、静かに昇降口へ向かっていた。

その時、
「桐山!」
背後から声がした。

振り返ると、悠真が駆けてくる。
髪とシャツが少し濡れている。

「傘、持ってないんだ。相合傘、してもいい?」
「え……」
瑠奈の手が小さく震えた。
(……なんで、今、そんなことを)

悠真は何も気づかない様子で笑う。
「行こ。風邪引くぞ」

並んで歩く。
狭い傘の下、肩が触れそうなほど近い。
雨音だけが二人を包んでいた。



「昨日、遅くまで残ってただろ」
悠真が口を開いた。
「見たんだ。拓也と……話してたの」
瑠奈の呼吸が止まる。

「……見てたの?」
「ああ。泣いてたみたいだったから、声かけようとしたけど……やめた」
「なんで?」
「俺が行ったら、もっと泣かせる気がした」


「泣いた理由を聞く勇気が、どうしても出なかった。
彼女の涙の理由を知った瞬間、自分の何かが壊れてしまいそうで。」

雨の音が強くなる。
傘の縁を伝う雫が、ぽとりと地面に落ちた。

「……悠真くん、優しいね」
「優しい? 俺、そんなつもりないけど」
「ううん。そういうとこ……昔から変わらない」

少し沈黙が流れた。
風が吹き、傘の中にふたりの髪が重なる。

「……なぁ、桐山」
「なに?」
「俺さ、あの噂、ちゃんと否定するから」
「え?」
「麗華のこと、好きとかじゃない。
 あいつはいい友達だし、助けてもらってるけど……そういう意味じゃない」

言葉を聞いた瞬間、瑠奈の胸が静かに震えた。
(ああ――やっぱり、彼は真っすぐなんだ)

だけど同時に、
その“否定”が彼女の名前を出さないことにも気づいてしまう。

(私のことは……どう思ってるの?)

聞きたくても、声にならない。
雨の音が、それをすべてかき消していく。



「桐山、俺さ――」
悠真が言いかけて、言葉を飲み込んだ。
「なに?」
「……いや。なんでもない」
彼は苦笑して、傘を少し傾けた。
雨が自分の肩にかかる。

「風、強いな。気をつけろよ」
「悠真くん、濡れてるよ」
「大丈夫」

その一言に、瑠奈の目の奥が滲んだ。

「どうして、いつも自分ばっかり我慢するの」
「え?」
「優しさって、時々ずるいよ」

悠真が目を見開く。
けれど瑠奈はもう、それ以上何も言えなかった。

傘の外、雨粒が頬を伝う。
涙なのか雨なのか、自分でもわからない。



校門に着く頃には、雨は少し弱まっていた。
信号待ちのあいだ、瑠奈はふと口を開いた。

「……ありがとう」
「え?」
「一緒に歩いてくれて」
「当たり前だろ」

その何気ない一言が、瑠奈の胸に深く残った。

信号が青に変わり、二人はゆっくりと歩き出す。
傘の下、わずかな距離――
けれどその距離の中に、確かに“約束”のような温もりがあった。

雨上がりの空から、一筋の光が差す。
まるで未来を照らすように。



その夜、瑠奈は日記を開いた。
《今日、雨の中で一緒に歩いた。
 何も言えなかったけど――それでよかった気がする。
 あの沈黙が、きっと私たちの“誓い”だった》

ページの隅に、雨のしずくが小さく落ちた。
消えそうな文字が、光の下でかすかに輝いていた。
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