「呪いではなく、特性です」ーーASD氷帝の孤独を癒やしたら、自由区の女王への溺愛が止まらないーー

自由の旗を、高らかに掲げよ!

「リリィ姉さん……じゃない、総監! 10周年の旗、持ってきたよ!」
 執務室のドアから、飛び込んで来たのは、補佐官のアッシュだった。
 17歳の美少年となり、背丈は私――リリアンをとっくに追い越している。頭のいいアッシュは今や、アークライトの運営に欠かせない存在だ。
 しかし、得意気に旗を広げ、空色の目をキラキラさせている様子は、10年前、乾いた井戸の底から、見上げた時と変わらない。金色の髪に、時々寝癖がついているのも。
「素敵よね、私たちの旗」
 旗のベースの緑は、リリアンたちが蘇らせた大地の色。模様として描かれている麦の穂は、リリアンたちの生命を支える食料だ。そして、もう一つの模様である冠歯車は、個々の力が噛み合い、大きな力を生み出す『システム』の象徴。
「ああ! デザインはリリィ姉さんで、絹を作ったのは生産省。織ったのは織物班の連中で、刺繍は仕立て屋のばあさんたちが総出でやってくれた。まさに、みんなで作った旗だ」
 アッシュの熱のこもった声が、執務室に響く。

 アッシュの視線がゆっくりと、旗から、リリアンに移った。 その空色の瞳が、熱っぽく揺れた。
「そのドレス、姉さんの緑の瞳と大地の色の髪に、すごく似合ってる。……まるで、アークライトの、妖精みたいだ」
 今日という晴れの日のために、仕立て屋のばあさんたちが「総監らしく!」と張り切って作ってくれた、一張羅だった。華美ではないが、アークライト特産の絹地が、動くたびに上品な緑の陰影を作る。
 久しぶりにきちんとメイクをして、いつも無造作に束ねているブラウンの髪も、丁寧に結い上げた。
「ほら! もう行かないと。みんなが、待ってる」
  リリアンが扉を指さすと、アッシュは、一瞬だけ、寂しそうな顔になって。でも、笑った。
「行こう、総監。俺たちの旗を、掲げに」


 リリアンは、『井戸端の広間』と呼ばれる場所に出た。
乾いた空気と、痛いほどの陽光。じわりと、汗が滲む。
 古びた井戸が、目に留まる。10年前、11歳のリリアンが、たどりついた集落に受け入れられたくて、自分の有用性を示したくて、掘り始めた井戸。
 はじめは、たった一人だった。アッシュが、最初の仲間になってくれて、その兄のギデオンも来てくれて……最後は、沢山の仲間たちと一緒に、掘った井戸。

 広間の壇上にリリアンが登ると、嵐のような歓声が巻き起こった。
 最初に井戸から水が出た時の歓声と似ているけれど、今はあの時より、遥かに多くの人に囲まれている。
 リリアンは、ゆっくりと広場を見渡した。みんな、いい笑顔をしている。この顔を守るためなら、何でもできる。
 リリアンは、民衆に語りかけた。増幅のスキルをかけてもらった声が、広場の隅々まで届く。

「アークライトの同士たちよ!」
 リリアンの声に、広場が静まり返る。
「10年前、最弱スキルと判定された私は、家族に見放され、この地に一人でやってきました。そこにあったのは、絶望と、乾ききった大地だけ。多くの者が、ここを『神に見放された土地』だと、そう言いました」

 あの時の絶望感が脳裏に蘇る。前世の記憶がなければ……きっと耐えきれない日々だった。『スキル』の代わりに科学があり、個々人が力を活かして生きていける、日本という場所。そこで研究者をしていた記憶は、年々ぼんやりとして来てはいるものの、リリアンの確かな道標だった。

 リリアンは、一度言葉を切り、集まった人々の顔を一人一人見つめるようにして、続けた。
「ですが、本当にそうだったのでしょうか? 私たちは、神に、スキルに選ばれなかった、出来損ないだったのでしょうか?」

 いいや! と誰かが叫んだ。 その声に呼応するように、あちこちから声が上がる。
「私たちは、諦めなかった!」
「俺は、落ちこぼれじゃない!」
 リリアンは、力強く頷いた。

「私たちは、示しました。『スキル』が全てとされるこの世界において、たとえ生まれもった才に恵まれなくても、一人ひとりの力は小さくても……その手を重ねれば、偉業を成し遂げられると。……乾季でも枯れぬ、この井戸が証です! かつての荒れ地に芽吹く、黄金の麦畑が証です! ……私達は、私達自身で、生きる場所を創り上げた!」
 熱が、会場全体に伝播していく。
「今日、ここに、私たちの象徴を掲げます! この旗は……生まれながらに与えられた力に、決して奢ることのなかった……私たちが勝ち取った、自由と尊厳の証です!」
 リリアンは、空高く、旗を掲げるためのロープを引いた。

「胸を張りなさい! 私たちは、アークライトの民だ! 」

 緑の旗が、青空へと昇っていく。 風を孕んで、大きく、力強く、はためいた。

「自由の旗を、高らかに掲げよ!」

 その瞬間、地響きのような歓声が、天を衝いた。 人々は旗を見上げ、拳を突き上げ、涙を流した。

「アークライト!」
「アークライト!」
「アークライト!」
 リリアンも、湧いてくる涙をこらえることができなかった。
 10年前、全てを失った少女が、たくさんの仲間と、豊かな大地と、そして『アークライト』という、新しい故郷を得たのだから。

――しかし、その最中。
 空を切り裂く鋭い鳴き声と共に、一羽の鷲が広間に舞い降りた。それは、帝国が最重要通信にのみ用いる、スキルで強化された軍鷲だった。

 アッシュが鷲に近づき、ハッとした顔になってリリアンに目配せをした。
 リリアンは何とか笑顔で演説を終え、足早に広間を後にする。

 鷲の脚に結び付けられていたのは、皇帝の紋章である『双頭の鷲』が刻印された、蝋で封をされた一通の勅書。
 嫌な予感が、背筋を駆け上った。
(よりにもよって、10周年の大事な日に……いや、あえて、狙ったのか)
 リリアンは、執務室に駆け込むと、唾を飲み込み、震える指で封を切った。
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