側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません
 てっきり、謁見の間で顔を合わせるとばかり思っていたが、そうではなかった。執務中に見えるが、熱心に取り組んでいるようでもない。

 ここは……、彼の私室だろうか。

 そうと気づくと、イリアは軽く握ったこぶしに力を入れた。温かく迎え入れてもらえると思っていた、ほんの少し前の自分がとてつもなく腹立たしく、恥ずかしかった。

 側妃とはいえ、己の妃がやってきたというのに、形式すら欠き、私室に呼びつけるとは、イリアを軽んじているにほかならなかった。

 イリアは深く息を吸い込んで落ち着きを取り戻すと、凛と背筋を伸ばして前へ進み出た。

 フェイランがわずかに、こちらへ目を移す。かすんだ灰色のような青の瞳に、一瞬、ひるんだ。

 王としての威厳など感じられない。薄情、病弱、怠惰……彼を表す言葉すべてがあてはまるような、士気のない姿だった。

 フェイランがゆっくりと立ち上がった。

 イリアはハッとして、エルザに教えられた通りに左足を引いて腰を落とした。そして、ドレスのすそを取ろうと、手を伸ばしかけて──ふと、あの絵画を思い浮かべた。

 王妃として迎え入れられる令嬢が、両手を胸の前に重ねて頭を垂れていたあの姿。

 それが本当の敬意の形のように思えた。

 イリアはそっと両手を胸の前で重ね、深く頭を下げた。

「イリア・ローレンスにございます。陛下の御前に参上できましたこと、大変光栄に存じます」

 長い沈黙が続いた。

 耳に届くのは、鳥のさえずりだけ。

 ──間違えた、だろうか。

 不安が胸を締めつける。急速に高まる激しい拍動。焦りがひたいに汗をにじませたとき、低く少しかすれた声が部屋に響いた。

「……そうか」

 それだけだった。

 イリアが顔をあげた時、フェイランはすでに視線を窓の外へ向けていた。

 風に揺れるカーテンの向こう、遠くの空を見ている。

 そこに、王としての関心も、これから夫婦になろうという妻への情もなかった。まるで、この世界の何事にも興味がないかのようだった。

「……エルザ」
「はい、陛下」
「彼女を、客室へ案内しなさい」
「かしこまりました」

 エルザがうやうやしく頭を下げる。

 イリアは驚きのあまり、声を出すことができなかった。

(客室……ですって?)

 王の妃を、一時的な滞在者のように扱う。それは、イリアを重視していないと言ったようなものだった。

「それと……、ここへはもう来てはならない」

 焦点の定まらないような目で虚空を見つめるフェイランは、どこか痛みをかかえたような表情をしていた。

「イリア様、どうぞこちらへ」

 イリアは深く頭を下げ、エルザの待つ扉へと向かった。

 そのとき、彼の視線が一瞬だけこちらに向いた気がした。けれど、それが錯覚なのか、本当なのか、確かめることはできなかった。

 扉の静かに閉じる音が、胸の奥に重く落ちていった。

 春を告げるミモザが咲き始めたころだというのに、王宮の空気は、外よりもずっと冷たかった。
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