リシェル・ベッカーが消えた日〜破滅と後悔はすぐそこに〜
「お嬢様、失礼いたします」

 しばらく自室で過ごしていると、家令がやってきた。

「テオ・グランド伯爵様がお見えになりました。旦那様にご用とのことだったのですが、生憎商談にお出かけになってしまい……お引き取りいただくようお伝えしましたが、ならばエミリお嬢様をとのことでして」
「グランド……あのグランド伯爵かしら。ルーカス王太子殿下とよく一緒にいた……」

 アルカディア王国の王太子であるルーカスとリシェルは同じ学園に在籍していた。二つ下のクラスに在籍していたエミリも二人が話しているところを何度か見かけたことがある。確かその隣には、常にもう一人いた。それが今の文官、テオ・グランド伯爵子息だ。
 言葉こそ交わしたことはないが、艶やかな黒髪とオレンジがかった瞳は国内では珍しく、顔立ちも素行も申し分ない。しかし、いくら容姿が良くても爵位が低い者を相手にするのは、とエミリは避けてきたのだ。

(ちょうどいいわ。ベンジャミン様だけだと物足りなかったのよね)

 表向きの表情を作ると、エミリは家令に伝える。

「私がお話しするわ。応接の間にお通しして」
「かしこまりました」

 身なりを整えて応接の間に行くと、テオ・グランドはトランクから取り出した紙の束を読み込んでいるところだった。テオはエミリに気付くと、スマートに一礼をする。

「初めまして、ベッカー伯爵ご息女エミリ嬢。テオ・グランドと申します。突然の訪問となり申し訳ございません」
「こちらこそ父が不在で……ささ、座って。美味しい紅茶はいかが?」

 テオの正面のソファに座り、じっくりと値踏みする。上等な生地が使用されている貴族服で、ジャケットの外襟には文官の証であるラペルピンがつけられている。整った身なりに麗しい容姿。相手にとって不足はない。
 侍女に紅茶を用意させている間、テオが話を進める。

「私は今、ルーカス殿下の命によりリシェル嬢の事故を調べています。隣国との国境付近で二度も起こった事故ということで、早々に対策を改めなければならず、事故が起こる前のリシェル嬢の行動を整理したいのです」
「まぁ、お姉様の? とても悲惨な事故だったと聞いています……私でよければ、協力いたしますわ」
「……あなたは随分、他人行儀ですね。従姉とはいえ、自分の家族が被害に遭ったというのに」

 モノクル越しに睨む瞳に、エミリは途端に心臓を掴まれたような感覚がした。冷たいその眼差しには仄暗い何かが隠されている、そんな気がしてならない。

「そ、そんなことありませんわ。私は現場どころか、お姉様の最期のお姿さえも見せていただいていないのです。誰よりも心を痛めております。……しかし、今の私は子を身籠っています。どれだけ願っても、お姉様は帰ってきません。ならば、今ある命を大切にしたいのです」

 相手のペースに呑まれるわけにはいかない。エミリは腹部をそっと触れて、同情を誘うように言葉を並べた。
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