リシェル・ベッカーが消えた日〜破滅と後悔はすぐそこに〜
 いそいそと荷物をまとめ、テオが応接の間を出ようとしたところで足を止めた。
「そういえば、素敵な指輪をお持ちなのですね。リシェル嬢が持っているものとよく似ていますが、同じものですか?」

 テオに指摘されると、慌てて指輪を隠すようにして手のひらで覆った。

「こ、これは……お姉様から生前借りていたものです。急にいなくなられたので寂しくて……身に着けていれば、近くにいてくれる気がするのです」
「借りていた? 奪った(・・・)のではなく?」
「――は?」
 その言葉に耳を疑った。

(私がお姉様から奪った? どうして?)

 リシェルの学友だったルーカスの傍に常にいたテオなら、リシェルの持ち物を覚えていてもおかしくはない。しかし、奪ったとは言いがかりではないか。苛立ちが込み上げてきたが、テオはさらに続ける。

「これはただの独り言でございます。リシェル嬢は大切にしていた形見の指輪を、安易に他人に貸すようなお方ではない。対して、あなたは学園の中でも傲慢だった。あなたの言動に呆れた当時の取り巻き達とは疎遠なのでしょう? リシェル嬢は、すべてわかっていたのではありませんか」
「~~っ! 失礼な人ね! ベッカー伯爵家とギルバート公爵家にたてつく気!?」

 顔を真っ赤にして声を荒げたエミリに、傍で待機していた侍女は目を丸くして驚いた。しかしテオは一人、薄ら笑いを浮かべ、わざとらしく身振り手振りで続ける。

「滅相もない! 言ったでしょう。これはただの独り言だと。――それでは、失礼いたします」

 今度こそ応接の間を後にする。お見送りをと侍女も出ていくと、残されたエミリは指輪を床へ叩きつけた。タイルに弾いて指輪はどこかに飛んでいったが、残った小さな傷をさらに足で何度も踏み潰した。ダン、ダンと踏みつける音が響く。

「私が傲慢? ふざけんな!」

 何も知らないテオに言い当てられたことに腹が立つ。自分が従姉のものばかり奪ってきた自覚はあるが、傲慢などという言葉でまとめられるなんて!

「お姉様が持っているものは綺麗なんだもの……! 私がもらったって、綺麗なものは綺麗なままじゃない!」

 自分が欲しいものは、他人のものでも手を伸ばした。イエスとは言われなかったが、エミリのものになってしまえば誰も文句は言わなかった。
 フランクやベンジャミンは許してくれるのに、リシェルだけが無言のまま、可哀想だと言いたげな目で見てきた。
 あの翡翠の瞳が、憎くて憎くて仕方がなかった!
 ようやく落ち着きを取り戻した頃には、床にできた小さな傷は歪んで少しだけ広がっていた。

「エミリお嬢様……」

 テオと入れ替わりで入ってきた家令は困惑した表情を浮かべている。ここまで荒れ狂う令嬢は見たことがないと言いたげな顔だった。

「グランド様がお帰りになられました。……自室にお戻りになられますか?」
「……ええ。レオニスを呼んでおいて」

 家令の返事も待たずにつかつかと自室に戻る。ソファに座ろうとすると、ローテーブルに一枚のカードが置かれていることに気付いた。
 拾い上げると、そこにはリシェルの棺の中に入っていたものと同じ言葉が刻まれていた。

「お姉様……もしかして、私の居場所を奪おうとしているの……!?」

 鑑定をする必要もない。これはリシェルの筆跡だ。
 いつ誰がエミリの自室に悪趣味なことをしたのか、よりも先に、リシェルが書いたという事実に怒りがこみ上げてきた。

「……許せない、許さないわ、リシェル……!」

(血は繋がっていなくとも、養子となり家族である今、私にだって幸せになる権利はあるのよ!)

 カードを握り潰して片隅に投げると、ドアがノックされた。許可して入ってきたのは、雇われて間もない従者のレオニスだ。テオやベンジャミンほどではないが、彼もまた容姿が整った美男子である。

「お呼びでしょうか、エミリ様」
「……他人行儀はやめて。いつもみたいに呼んで」

 自室の鍵を閉めてゆっくりと近付くと、レオニスはエミリを優しく抱きしめる。

「……エミリ、どうしたの?」
「欲しいの。今日もいただける?」

 その言葉にレオニスは頷くと、ジャケットのポケットからパステルカラーの用紙に包まれたキャンディを取り出した。

 それを己の口に放ると、そのまま口づけを交わす。何度か繰り返して、ようやく離れたときにはすでにキャンディはエミリの口の中にあった。綿菓子のような甘ったるいキャンディを噛み砕くと、彼女は手を伸ばして微笑んだ。

「嫌なことがあったから忘れたいの。なぐさめて?」
< 32 / 92 >

この作品をシェア

pagetop