リシェル・ベッカーが消えた日〜破滅と後悔はすぐそこに〜
「――クソッ!」

 家令らが執務室から出ていくと、フランクは腹いせに机の上のものを片っ端からひっくり返した。
 まさか使用人ごときが当主の自分に楯突いてくるとは思ってもいなかった。当主になる際、リシェルと取引したことについても、言われてやっと思い出すほど軽く見ていたのを痛感する。

 そもそも、彼らのほとんどはフランクがまだベッカー家で暮らしていた頃よりもずっと前から仕えてきた者達ばかりだ。子爵令嬢との浮気で家を追い出された時も、姪のリシェルが産まれた時もずっとそばにいて成長を見守ってきた。フランクへの信頼度が低いのも仕方がない。
 何より厄介なのは、リシェルが作成したという各々の雇用契約書だ。あの時なぜ使用人の管理を他人に任せたのか、当時の自分をひどく恨んだ。

(リシェル……死んでもなお俺の邪魔をするのか!)

 脳裏にちらつくのは、棺に残されていた一枚のカード。書かれていた言葉に反応したのは自分だけではなかった。

(公爵夫婦とその令息にエミリまで……なにか弱みでも握られてもしていたのか?)

 そう、カードの言葉を見て反応したのはベンジャミンとエミリだけではない。後ろでひっそりと見守っていたギルバート公爵夫妻も真っ青な顔をしていた。
 気になって葬式が終わった後に遠回しに聞いてみたが、震えるばかりで明確な返答は得られなかった。言葉で他人を惑わす魔法を持つフランクの力ををもってしても、だ。

(魔法や魔術が使われていたとしたら、奴らが口を開けなくさせられているのだろうが……どちらもそのような気配は感じられなかった)

 魔法は一人ひとつの稀有なもの。持ち主が死してなお健在する魔法は一定数存在しているが、魔力感知ができないものはない。
 そして何より、リシェルは魔法を持ち合わせてはいない。彼女の優秀さは、向上心と好奇心、膨大な知識の積み込みによる偶然の産物のようなものだ。
 そんな積み重ねで功績を収めてきたリシェルが、フランクは気に食わない。年齢も地位も自分のほうが上なのに、より優れたものを持っている姪が憎たらしい。

「……まぁいい、全員が辞めるわけではない。エミリが勝手に雇っている奴らもいるし、充分だろう」

 短気でせっかちな自分のことだ。ここで怒り任せに動いてはならない。
 フランクはふう、と深呼吸をして落ち着かせると、戸棚からお気に入りのウイスキーとショットグラスを取り出す。本来であればロックでゆっくり味わいたいところだが、使用人に用意させる気にはならなかった。

(エミリが何人か使用人を雇っていたから、そこから振り分けさせよう。給料も奴らがいなくなる分、少し色をつけてやってもいいかもしれない。結婚式の費用は公爵家に持たせるし、最小限の出費で済む)

 目障りな姪も弟夫婦もいなくなった。うるさく口出ししてきた家令や使用人もほとんどがいなくなる。来月になれば、ここはフランクの城だ。

「フッ……ようやく手に入れた、新しいベッカー伯爵家の始まりだ!」

 不敵な笑みを浮かべ、フランクはウイスキーを一気に煽った。

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