リシェル・ベッカーが消えた日〜破滅と後悔はすぐそこに〜

「お久しぶりでございます。お義父様、お義母様」

 玄関で出迎えてくれたギルバート公爵夫妻はエミリの姿を見て小さく微笑んでくれた。数カ月ぶりの再会だからか、以前よりも痩せたように見える。
 多発していた領民のデモ活動は、つい半月前に橋の修繕と避難民の対応が改善され、ようやく落ち着きを取り戻していた。高額な徴収税については、一気に変更することができず、時間をかけて少しずつ減税し、負担させてしまった分は還元できるように調整することで話がまとまっているそうだ。

「あの、ベンジャミン様は……」
「今呼びに行かせたわ。お話しながら待ってしましょう。紅茶をお願いできるかしら」

 応接の間に通され、夫人が侍女にお茶の用意をさせる。ベッカー家ではレオニスが淹れてくれるが、やはり洗練された公爵家の侍女が淹れるものは香りも味も格別だ。一口含んだところで、ベンジャミンが入ってきた。

「お待たせしました! エミリ、体調はどうだい? ここに来るまで大変だっただろう」

 フランクが来城を命じられた日、偶然ベッカー邸に立ち寄ったベンジャミンは、エミリが怒り狂った金切り声にひどく動揺した。妊婦だからと思って落ち着かせることを優先したため、以来意図的に距離を置かれていたのだ。久々に顔を見たが、相変わらず肌艶の潤いは保たれている。

「私は、その……」
「なにかあったんだね。お父上のことは聞いてはいるが、教えてくれるかい」
「……実は――」

 公爵に促され、エミリはフランクが闇商会と取引し、違法な密輸に手を出していたこと、ストレスで自身のお腹にいた子がいなくなってしまったことを順序立てて説明した。それこそフランクの魔法のように、周囲を魅了する言葉と演技で伝えていく。
 真実は真実を、嘘はさも本当にあったかのように。

(……ああ、なんか虚しいわ)

 すべて父の見様見真似。落ち着いた淡い黄色のドレスもエメラルドの指輪も、リシェルの真似をしたにすぎない。次第にエミリという存在は、空っぽの操り人形なのではないかという不安が頭をよぎる。
 それでも彼女は演じねばならない。幸せな人生を生きると誓った自分のために。

「――これが、ベッカー家に起こったすべてです」

 一通りすべて話し終えると、ベンジャミンはエミリをきつく抱きしめた。

「大変だったね、エミリ……そうか、もう……」
 久しぶりの夫の体温に安心したのか、エミリの目には涙があふれた。
 従姉の悲しむ姿が見たくて奪った相手だったが、嘘で塗り固められた話を真摯に受け止めてくれるベンジャミンに、エミリは衝動的にしがみついた。

(復讐なんかじゃない、リシェルなんてどうでもいい。私は、私はベンジャミン様が心から愛しているのだわ!)

 偽り続けてきた心身は限界だったのか、自分の気持ちにまで嘘をつけない。

 エミリは顔を上げて愛しい人の顔をよく見ようとすると、途端に違和感を覚えた。声色はとても心配している素振りを見せているのに、表情は清々しいほど爽やかな笑顔を浮かべている。
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