リシェル・ベッカーが消えた日〜破滅と後悔はすぐそこに〜

「子どものことは残念だけど仕方がないね。次はちゃんと育ててくれよ? 君はそれしか能がないんだから」
「……え?」
「父上、母上。このような結果となり残念ですが、これで心置きなくリシェルを迎えられます! 早速リシェル捜索の手配をしましょう!」

 先程とは一転、ぱあっと明るい笑顔で告げたベンジャミンの言葉に、エミリと公爵夫妻は耳を疑った。

「今なんと……? 亡くなったリシェル嬢を迎えると、本気で言っているのか?」
「ええ、いいアイディアでしょう? 今回のデモ活動はまた起きる可能性は充分にあります。その解決策こそが、リシェルをギルバート家に迎え入れることなのです!」

 どやっと自慢げに語るベンジャミンに、その場にいた誰もが眉をひそめる。
 彼の言うリシェルが、リシェル・ベッカー伯爵令嬢を示しているとなると、かなり素っ頓狂な発言だ。

「ベンジャミン様、リシェルお姉様はもう亡くなったのよ。この世にいない人を、どうしようというのです?」
「それはどうかな。葬儀の日、棺にはカードが一枚残されていただけで、リシェルの遺体はなかった。死んだ人間が一人で勝手に出歩くわけがない、つまり彼女は生きているんだよ」
「でも、ベンジャミン様とお父様が遺体を引き取りに隣国へ行った時には、痛々しい姿のままエンバーミングを施してもらったと、そうおっしゃっていたではありませんか!」
「確かに僕はリシェルらしき人物の遺体を確認した。――しかし、それが偽者だったとしたら?」

 隣国グランヴィルからアルカディアまでは馬車で一週間はかかる。その間に棺は一度も開かれたことはない。しかし、一緒に渡ってきた従者の中に、実は生きていたリシェルが変装して紛れ込んでいたとしたら――。
 そんな馬鹿げた仮説を自信たっぷりに披露したベンジャミンに、周囲は言葉を失った。公爵夫人は真っ青な顔を伏せて「なんてこと……」とかすれた声で呟いた。それがベンジャミンには、目から鱗だったと感激しているように見えたようで、ソファから立ち上がり、両手を広げてさらに続けた。

「それだけではありません。仮に彼女が死んでいても、僕達にとっては利点なんですよ!」
「……利点?」
「遺体は見つかっていないのだから、リシェルを生きていたことにすればいいんです。そして僕の正妻として彼女の名前を出せば、領民は何も口出しできない。完璧でしょう! リシェルの存在は、領どころか国中に知れ渡っている。僕の発言は彼女の言葉だと言えば、すんなり聞くに決まっています!」

 重ねるように告げた突飛な提案に、エミリはベンジャミンの言葉をうまく飲み込めずにいる。

(リシェルを正妻にする? なんで? 私がいるのに?)

 まるで自分が用済みだと宣告されて、処刑台に立たされている気分だ。

「い、嫌ですわベンジャミン様。ご冗談を……リシェルを正妻にするということは、私と離縁しなければならないのですよ?」
「そうだよ。僕は君と離縁する。でも安心して、君は愛人として側に置いてあげるよ」
「あ、愛人……?」

 ベンジャミンはエミリの頬に手を添えて続ける。

「君はそのまま何もせず、僕の隣で微笑んでいてくれたらそれでいいんだよ。子だけをもうけ、ギルバート家の跡取りを育ててくれればいい。領地については僕と両親でなんとかしよう。リシェルが生きているなら彼女に任せれば安泰だろうし、ベッカー伯爵が戻ってきたらギルバート家で雇えばいいだけ。これで両家万々歳だ! エミリ、僕のこの完璧な計画は、君が幸せになるために必要な過程なんだ。わかってくれるよね?」

 つう、と優しく頬を撫でられる。それがやけに気持ち悪くて、エミリは思わずベンジャミンの手を払った。

「~~っ、冗談はほどほどになさって!」

 好きだと想っていた相手の思考がこんなに歪んでいたなんて、信じたくない。
 なによりも、夫が妻よりも元婚約者(リシェル)を求めていること自体、とても腹立たしい。

「ベンジャミン様は私が好きなのではないのですか? だったら私が正妻のままで良いではありませんか!」
「それだと領民達が許さない。皆が望んでいるのはリシェルだ。絶対的なカリスマが、僕の他にもう一人必要なのさ! 君は何かひとつでも胸を張れるようなものがあるのかい? ベッドの中で僕を満足させたところで意味がないんだ。それとも何か? 君は領民の男どもに抱かれて信用を得るとでも?」
「……っ、ひどい、ひどすぎます! お腹の子が天国に逝ってしまったばかりだというのに、どうしてそんな意地悪なことをおっしゃるのですか!」

 スカートの裾をぎゅっと握りながらエミリは訴える。
 演技ならどれほど良かっただろう。夫以外の男に抱かれろなど、もはや意地悪などという可愛いものではない。許容の範疇を超えているにもかかわらず、ベンジャミンは自分の考えが間違っているとは到底思っていないようで、不機嫌そうに顔を歪めた。

「意地悪なんて言ってないよ。君ができることはそれだけでしょ、ってこと」
「……私がリシェルより劣っているなら、どうしてあなたは私を選んだのです? 社交界での振る舞いも美しさもセンスも私が一番です。あのリシェルより上なんです! あなたはそれを見初めてくれたではありませんか、あんな本の虫を今さら選ぶ必要なんて……!」
「何度も言わせないでくれよ。可愛いエミリは僕の言うことだけを聞いていればいいと言ったじゃないか。それが君の願いだったのに、リシェルと張り合おうとするなんて君らしくないね」
「それはあなたが――」
「そこまでだ二人とも!」

 さらにエミリが口を開いたところで、バンッ!と大きな音が響いた。
< 53 / 92 >

この作品をシェア

pagetop