リシェル・ベッカーが消えた日〜破滅と後悔はすぐそこに〜
◇
エミリが次に目を覚ましたのは、ギルバート公爵家にあるベンジャミンとともに過ごす寝室だった。ベッド脇に目をやると、ちょうどレオニスが水差しを持ってきたところで、エミリが起きていることに気付くと、すぐに彼女の手を取った。
「お嬢様、お加減はいかがですか?」
「私……どうしちゃったの?」
「話し合いの場で急に倒れたのは覚えていますか? よほどショックだったのでしょう。半日ほど眠られておりました」
「そう……」
ゆっくりと上体を起こして、差し出されたコップに口をつける。冷たい水が喉を通っていくのを感じた。
「あの後、話し合いは平行線のままお開きとなりました。流産の件も信じてくださったようです。しかし、爵位の返上はすでに決定事項のため、覆すことは難しいかと」
「……私達、このままどうなっちゃうの?」
貴族であったから今まで融通の効く日々があった。しかし、これからの生活の質がガクッと下がると思うと、エミリは不安に駆られた。
(食事や普段のドレスだけじゃない、もうすぐできる高級レースを使ったウェディングドレスも、宝石も手放さなければならなくなる……!)
「そうだ、ドレス……!」
商会に発注した特注のドレスの支払いは、ギルバート家持ちだ。すでに仕上げに取り掛かっているという話を聞いているが、その支払いは未だ済んでいないはず。
「ベンジャミン様に確認を――」
「その必要はないよ」
ベッドから降りようとするエミリに、ドアに背中を預けて寄りかかっていたベンジャミンが言う。
先程まで生き生きとした表情をしていたのに、今は不機嫌そうに唇を尖らせていた。やけに下の方に目線がある。辿ると、それがレオニスと繋いでいる手だったことに気付く。離した時には遅かった。
「そうか、二人はそういう関係だったんだね」
「ベンジャミン様、これは――」
「ところで、『流産の件も信じた』ってどういうことだい? 詳しい説明をしてくれるよね?」
ジリジリと距離を詰めてくるベンジャミンは苛立ちがにじみ出ていた。
エミリは耐えられずすべてを打ち明けてしまった。これで怒りが落ち着いてくれたらいい、その一心で。
すると、ベンジャミンは側にいたレオニスを突き飛ばし、エミリをベッドに押し倒した。
「妊娠が嘘だった……か。君も僕を騙して楽しんでいたのか」
「ちがっ――」
「言い訳は聞きたくない。……これからの行動で、僕を裏切るようなことがあれば許さないけど、可愛いエミリならわかってくれるよね?」
冷めた目をして微笑む彼に、エミリはゾッとした。今までの優しいベンジャミンはどこにもいない。
「従者の君、外に出てくれないか。今から夫婦水入らずの時間だから」
「し、しかし、エミリお嬢様は起きたばかりで……」
「君には関係ない。……そうだな、ここからは僕が妻の面倒を見るから、自分の仕事に戻りたまえ」
ぎらりと睨みつけると、レオニスは怯んで視線を逸らす。そして「失礼いたします」と小さく呟いてから、いそいそと部屋を出ていった。
「あのっ、ベンジャミン様……!」
「さぁ、悪い子はどうしてあげようかね」
「〜〜っ!」
ベンジャミンが覆いかぶさってから、エミリはぼんやりする頭で思う。
(私が欲しかったものって、なんだっけ?)
リシェルからいろんな手を使って奪ってきた場所は、とても居心地が良いものだったはずだ。だから輝いて見ていたのに、今はどす黒い靄がエミリを苦しめてくる。すぐにでも逃げ出したい。
しかしエミリには許されない。――多くの怒りを買ったのは、他でもなく欲張った自分なのだから。
(ああ、キャンディが欲しい)
レオニスがいつもくれる、甘い甘い魅惑のキャンディ。そんなことを思いながら、エミリは目を伏せた。