リシェル・ベッカーが消えた日〜破滅と後悔はすぐそこに〜
「やぁ、ベンジャミン。具合どうかな?」
「――で、で、殿下ぁ!?」
想定外の見舞客に、ベンジャミンは怪我などお構いなしに飛び上がった。傷は痛むが、驚きの方が強い。まさか王太子自ら自分に会いに来るとは。
「ああ、そのままにしていてくれ。傷口が開いては困るだろう」
「い、いえっ! あの……?」
ルーカスに制止されてベッドに戻ると、後ろに文官のテオがいることに気付いた。今日もモノクルの向こう側にあるオレンジがかった瞳は、何を考えているのかわからない。
「どうして殿下と、文官の彼がここに?」
「彼はお目付け役さ。今日は僕が君と話がしたくてね。父上に無理を言ってきちゃった」
「きちゃったって……」
茶目っ気混じりに答えられても、とベンジャミンは苦笑いを浮かべた。そしてすぐに、エミリの話ではないかとハッとする。
「あ、あの! エミリはどうなりましたか? 僕が送った離縁状、ちゃんと書いてくれました?」
離縁状を送ってすでに一ヶ月は経過している。もしかしたらルーカス自身が持ってきてくれたのではないか、などと期待が膨らむ。
急き立てるように問えば、ルーカスがにっこりと微笑んで答える。
「預かっていないどころか、彼女は書いていないよ。……いや、書ける状態ではない、と言ったほうがいいかな」
「え……?」
「まずは、今のエミリ嬢の状態を話しておこう」
そう言ってルーカスが語ったのは、ベンジャミンの知らないエミリだった。
彼女は実母を早々に亡くし、父親には仕事の手駒としか思われていない。さらに優秀な従姉と比べられる環境というプレッシャーに押しつぶされ、日頃から執拗以上に愛を欲していたことは、ベンジャミン自身も薄々気付いてはいた。
だからこそ、あえて愛情を注ぎ続け、自分に依存するように仕向けて服従させることにした。可哀想な可愛いエミリ。それこそがベンジャミンの理想の伴侶だ。
そんな彼女が夜会の一件で聴取を受けていたところ、急に暴れ出したそうだ。今は医師によって落ち着いているが、原因はわかっていないという。