リシェル・ベッカーが消えた日〜破滅と後悔はすぐそこに〜
「予定より一ヶ月早いが、これだけで済んで幸運だね。君とエミリ嬢があの場での言動は、我が国にとってこれからの外交問題に大きく影響する。他国の王家が来ているところに乱入なんてあり得ない。その場で爵位を剥奪し、処刑してもおかしくなかったんだ」
淡々と告げるルーカスに、ベンジャミンは目を丸くした。
確かに爵位を返上する話は聞いていたが、自分を領主に認めたくない両親がでっち上げた嘘だと本気で思っていたからだ。
「僕はもう、公爵になれないのですか……?」
「君の心配は爵位の座なのかい?」
「そ、そうですよ! 公爵だから僕の価値は跳ね上がるんです、平民なんて、泥まみれで汚いじゃないか!」
公爵でなくなったら、いいことなんてひとつもない。上流階級のパーティーに参加できなければ、優雅に王都で買い物もできない。不便でしかない今後の人生を誰が望むというのか。
落ち着きを取り戻したテオが続ける。
「あなたがしたことは、グランヴィルとの国際問題に発展しています。自分のしたことを悪いとは思っていないのですか?」
「僕が悪い……? ふざけるな、僕はエミリに殺されかけたんだ! 大体、こうなったのも全部、リシェルが死を偽装したことが悪いんじゃないか? リシェルがいなくなったからエミリは狂い、ベッカーの罪が暴かれ、ギルバート家は没落した。リシェルが僕から離れなければ、最初から僕だけに笑いかけてくれていたら、こんなことにはならなかったのに!」
医院の中にもかかわらず、ベンジャミンは自棄になって近くにあった本や置き時計を二人に向かって投げつけた。勢い任せに投げつけたこともあって、二人に当たることはなかった。
一通り暴れて落ち着いたのか、肩で息を整えるベンジャミンにルーカスは憐れんだ。
「……君は可哀想な人だ。リシェル・ベッカーにすべて押し付け、孤立せざる得ない状態にしたのは自分だろう。いなくなった後も他人にすべての責任を擦り付けることしかできない。……こうなる未来を、きっと彼女は婚約した当初から見据えていたんだろうね」
「お前に、お前に何が――」
「現にリシェル・ベッカーは死んだ。一心に尽くしてきたのに裏切られた彼女の痛みは計り知れない。君が、殺したと言っても過言ではない」
ルーカスが悲痛な表情を浮かべて告げると、ベンジャミンは何も言い返すことができず、言葉を詰まらせた。
ルーカスはさらに続ける。
「ベンジャミン。以前、君がギルバート領で行った横領の件はすべて国王陛下に報告されている。夜会の一件もあって、王家としては君を野放しにするわけにはいかない。医師の話によれば、怪我はほぼ完治していて数日後には退院すると聞いた。そこで、退院後はこの伯爵領に留まるのではなく、北にある小国へ移住してもらおうと思っているんだ」
「……待ってください、北の小国って、正気ですか!?」
アルカディアからはるか北にある小さな国には魔物が住まう森があり、魔物と人間の争いが連日繰り広げられている。戦場と化した場で悠々と眠れるはずもない。そんな場所に赴けというのは、兵士となり戦いに身を投げろという意味でもあった。
顔を真っ青にするベンジャミンに、さも平然と告げるルーカスは優しく微笑んだ。
「事実上の国外追放――だけど、君がフランク・ベッカーとのやり取りしていた内容について、すべて正直に話してくれたら少しは考えてあげてもいい。ほら、君のジャケットのポケットに入っていたこれ。説明してくれるよね?」
目の前に掲げた薄桃色の用紙に包まれた、エミリが大好きな甘いキャンディ。
何を訴えても無駄だと悟ったベンジャミンは、一気に脱力してがっくりと肩を大きく落とした。
あんなに自慢だった艷やかな肌が、ボロボロと崩れていくのを感じた。