恋のリハーサルは本番です

第123話 追う背中、追わせない距離

稽古場を出て、あかりは夜風の中を歩いていた。

冷たいはずなのに、胸の内側だけが熱い。

(……何やってるんだろ、私)

蓮が追ってくるかもしれない。

そう思って、足が止まる瞬間があった。

でも──追いかけられたら答えを出さなきゃいけなくなる気がした。

だから歩き出す。

なのに、心は振り返り続ける。

そのとき。

「──あかりさん!」

振り向く前に分かる声だった。

足音は、迷って、止まって、それでも近づいてきている。

蓮が駆け寄ってきて、息を整えないまま言った。

「話を、したい」

あかりは目を伏せる。

「……役者と脚本家が、感情で揺れてたら、稽古になりません」

「俺は──」

言いかけた蓮の言葉が、喉で詰まった。

言えば、全て変わる。

言わなければ、全て保てる。

その迷いが、あかりには痛いほど伝わる。

(蓮さんは、優しい。だからこそ踏み込めない)

その優しさが、距離になる。

「待たせたな」

二人の会話に、軽い足音が割り込んだ。

高峰翔が近づいてきて、ポケットに手を入れたまま言う。

「送る。
 蓮に任せてたら、一晩中“言えない沈黙”で終わるだろ」

蓮が眉をひそめた。

「翔、今は──」

「悪いけど、チャンスは均等じゃない。
 動いたやつが掴むんだよ、こういうのは」

翔はあかりの前に立つ。

挑発でもなく、優しすぎるわけでもなく。

ただ“選択肢としての自分”を差し出すような立ち方。

「俺なら、逃げない。
 自分の気持ちも、あかりさんの迷いも、全部正面から見る」

蓮の胸が揺れる。

それが伝わってしまうほど、沈黙が熱を帯びている。

あかりは困惑する。

(どうして……二人とも、こんな顔するの)

あかりは、ようやく声を絞り出した。

「……どちらにも寄れないんです。今は」

「役としての距離も、気持ちとしての距離も。
 まだ、名前の呼び方ひとつで揺れてしまうくらいなんです」

蓮の表情が痛む。

翔は息を飲む。

あかりは言葉を続けた。

「だから──私、今は誰にも追われたくない。
 でも、置いていかれるのは……怖い」

 その矛盾した声は、どちらにも届いてしまう。

翔が優しく言った。

「……追わないよ。無理には。
 でも、見捨てたりしない。距離は、あかりさんが決めていい」

そして蓮も、静かに告げる。

「……待つよ。でも、ただ待つだけの男にはならない。
 “追いつける距離”にいる。諦めない」


風が吹き、三人の間に境界線のような冷たい空気が走る。
あかりは言う。

「お願いです。
 私が前を向けるまで……置いていかないでください」

蓮も翔も、同時に頷いた。

けれど、それは和解ではない。

──勝負開始の合図だった。

蓮の胸の内には決意。

翔の瞳には覚悟。

あかりの心には、まだ名前のない想いが揺れる。
< 124 / 160 >

この作品をシェア

pagetop