恋のリハーサルは本番です

第144話 で、どっちが好きなんですか?

稽古場の空気は、どこか緩んでいた。

新しい舞台の稽古も、まだ読み合わせ中心。

大きな動きはなく、役者たちは椅子に座ったまま台本をめくっている。

……はずだった。

「ねえ、桜井さん」

突然、姫野亜理沙が手を挙げた。

演出家・佐藤が顔を上げる。

「どうした?」

「ちょっと確認してもいいですか?」

亜理沙は、悪びれもせずに言った。

「このシーンの感情線なんですけど」

彼女の視線が、自然すぎるほど自然に──
桜井蓮と、水無月あかりの間を往復する。

「……桜井さんって」

一瞬の間。

「水無月さんのこと、
 “脚本家として”好きなんですか?」

稽古場が、静止した。

椅子を引く音も、紙をめくる音も止まる。

「……え?」

素で声を出したのは、蓮だった。

あかりも、一瞬だけ目を見開く。

「ち、ちょっと亜理沙?」

佐藤が咳払いする。

「稽古中だぞ」

「だからです」

亜理沙は真顔だった。

「感情線の確認です」

そして、追撃。

「それとも──」

にこっと、無邪気に笑う。

「“一人の女性として”好きなんですか?」

──爆弾投下。

翔が、噴き出した。

「ぶっ……!」

「ちょ、翔、笑わないで!」

翔は肩を震わせながら言う。

「いや、だって……
 これ、俺が聞きたかったやつ」

「高峰さんは黙っててください」

亜理沙、容赦なし。

視線は、完全に蓮に固定されている。

「……あの」

蓮は、完全に言葉を失っていた。

(なんでここで……!)

あかりは、膝の上の台本をぎゅっと握る。

(……聞かないで)

聞きたくない。 でも──

(答えを、知りたい)

矛盾した感情が、胸を締めつける。

沈黙が、長く伸びる。

その空気を破ったのは、亜理沙だった。

「ちなみに」

さらっと言う。

「どっちでもない、はナシです」

「それ、一番ズルいので」

蓮の心臓が跳ねる。

(……ズルい)

翔の言葉と、重なる。

逃げてる。 優しさのふりをして。

「……姫野」

あかりが、ようやく口を開いた。

「それは……」

「水無月さん」

亜理沙は、視線をあかりに向けた。

「水無月さんも、答え聞きたくないなら止めます」

一拍。

「でも」

真っ直ぐな目。

「曖昧なまま芝居すると、
 たぶん、もっと傷つきますよ?」

その言葉が、あかりの胸に刺さる。

(……この子)

無自覚じゃない。 むしろ、異様に的確だ。

蓮は、深く息を吸った。

(……ここだ)

逃げ場は、ない。

「……脚本家として」

そう言いかけて、止まる。

(違う)

その言葉は、嘘だ。

蓮は、あかりを見る。

台本の影に隠れきれない、不安な表情。

その瞬間──

“書く人”ではなく、 “夜に一人で悩む人”としての姿が、重なる。

「……一人の女性として」

声が、少し震れた。

「好きです」

稽古場が、凍りついた。

あかりの呼吸が、止まる。

(……え)

心臓の音が、うるさい。

翔は、ゆっくりと口角を上げた。

「へえ」

「言えたじゃん」

佐藤は、天井を仰ぐ。

「……後で時間もらうぞ、全員」

「でも」

小さく付け加える。

「芝居としては……悪くない空気だ」

誰も笑えない。

亜理沙だけが、ふっと息を吐いた。

「なるほど」

そして、あっけらかんと言う。

「じゃあ、次の質問いいですか?」

全員が身構える。

「水無月さんは──」

あかりが、びくっとする。

「逃げる人と、
 向き合う人」

にっこり。

「どっちが好きなんですか?」

あかりは、答えられなかった。

でも。

胸の奥で、何かが確かに、動いていた。
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