恋のリハーサルは本番です

第22話 すれ違うまなざし

夜の稽古が終わったのは、午後九時を少し回った頃だった。

 舞台照明が落とされ、稽古場には静寂が戻る。
 スタッフたちが片づけを始める中、蓮は鞄を肩にかけたまま立ち尽くしていた。

(……あかり、結局戻ってこなかった)

 演出家の許可を得て、稽古の合間に何度か外を覗いた。
 でも、あのベンチにも、彼女の姿はなかった。

「おーい、桜井!」
 背後から翔の声が飛んでくる。
「今日、なんか集中してなかったな? 美咲ちゃんばっか見てたぞ」

「……そんなことないよ」
 蓮は曖昧に笑ってごまかす。

 だが、自分でも分かっていた。
 目の前に美咲がいても、頭の中ではずっとあかりのことを考えていた。

(あの人、あのまま帰っちゃったのかな……)

 そう考えるだけで、胸がざわつく。
 演出家の言葉が頭をよぎる──
「恋してる男の顔だ」

(あれは、演技じゃなかった。あかりのことを考えていた時の顔だ)

 気づいた瞬間、心臓が跳ねた。
 稽古場の出口に向かって歩き出す。
 足が勝手に、彼女を探しに動いていた。



 稽古場を出ると、春の夜風が頬を撫でた。
 街灯の光の下、細い影がベンチに座っているのが見えた。

 あかりだった。

 ノートパソコンを閉じ、夜空を見上げている。
 髪が風に揺れ、その横顔はどこか寂しげだった。

「……水無月さん」

 声をかけると、あかりは少し驚いたように振り返った。
「……どうしたの、もう遅いよ」

「それは、こっちのセリフだよ。ずっと探してたんだ」

「探して……? なんで」

「なんでって……心配だから」

 あかりの目が、少し見開かれる。
 でもすぐに、ふっと笑った。
「心配なんて、いらないよ。私は脚本家。感情は書くもので、見せるものじゃないから」

 その強がりが、痛いほどに分かった。
 だから蓮は、そっと言葉を重ねた。

「……嘘だね」

「え?」

「今日の君、見てたらわかるよ。あの稽古場にいた時から、ずっと苦しそうだった」

 あかりは目を伏せる。
 しばらくの沈黙のあと、小さく呟いた。

「……私、脚本家失格かもしれない」

「どうして?」

「登場人物の恋を書くたびに、気づいちゃうんだ。本当は、私自身が恋してるんだって」

 蓮の呼吸が止まる。
 春の夜気が一瞬で静まったように感じた。
 だが、あかりはすぐに笑って誤魔化すように続けた。

「──でも、それはダメなこと。仕事だから。リサーチだから」

 そう言って立ち上がる。
 けれど、蓮はその腕を掴んだ。

「俺は、リサーチなんて思ってないよ」

 あかりの瞳が揺れる。
 ほんの一瞬、その瞳の奥に灯りがともった気がした。




 夜風が吹く。
 二人の距離は、手を伸ばせば届くほど近い。
 でも、まだ触れられない。

 ──これは、まだ恋のリハーサル。

 けれど、その胸の鼓動はもう本番の音を鳴らしていた。
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