恋のリハーサルは本番です

第83話 言えない返信、届かない想い

舞台初日から一夜明けた稽古場。

本番期間中にもかかわらず、佐藤の判断で軽い確認稽古が行われることになっていた。
役者たちはまだ眠そうな顔で集まり、それぞれが静かにストレッチをしている。

その中で、蓮だけがどこか落ち着きなく、スマホを何度も確認していた。

(……まだ、返事は来ない)

昨夜送ったメッセージは、既読のままだ。

「桜井」

低い声が背後から響く。

振り返ると、そこにいたのは高峰翔だった。

「今日もソワソワしてんな」

「……高峰さんには関係ないでしょう」

「そうでもない。
今の舞台、想い一つで簡単に崩れる」

翔は静かに言った。

「お前、舞台の上じゃ完璧だ。
でも──現実のほうがぐらついてる」

蓮は言い返せず、唇を噛んだ。



ひと通りの確認が終わり、佐藤が手を叩く。

「全体としては初日より良くなってる。
だが──桜井」

「はい」

「お前、後半の感情が少し鈍ってる」

蓮の胸が、どくりと鳴る。

「技術は問題ない。だが“迷い”が見える。
恋の場面で、感情が一瞬、逃げてるぞ」

周囲の視線が集まる。

蓮は、ぎゅっと拳を握りしめた。

「……すみません」

「謝るな。
舞台は“生き物”だ。
心が揺れてるなら、隠すな。使え」

そう言って、佐藤は目を細めた。

「ただし──私情で舞台を壊すな。
それだけは守れ」

その一言が、蓮の胸に重くのしかかる。




美咲は、鏡の前でメイクを直しながら、ちらりと蓮を見た。

(……昨日より、顔が暗い)

「蓮」

「……え?」

名前を呼ばれ、蓮が振り向く。

「初日、成功したんだから。
もっと胸張りなさいよ」

「美咲……」

「私は代役。
でも、今は“ヒロイン”として、ちゃんと蓮と向き合ってるつもりよ」

一瞬の沈黙。

美咲は、少しだけ視線を逸らした。

「だからさ……舞台の上では、ちゃんと私を見て。
それだけでいい」

蓮は、返事に詰まりながらも、ゆっくりとうなずいた。

「……ありがとう」

美咲は小さく笑ったが、その笑みの裏には、隠しきれない寂しさが滲んでいた。




一方、別室では神埼とあかりが向かい合っていた。

「初日の反響は上々だ。
チケットの追加問い合わせも来ている」

「ありがとうございます」

神埼は、じっとあかりを見つめる。

「だが、水無月。
君、昨夜から様子がおかしい」

「……そんなことは」

「脚本家は、舞台から一番離れている存在だ。
だからこそ、一番冷静でいなければならない」

あかりは、無言になる。

「君の心が揺れると、役者はもっと揺れる。
桜井も、美咲も、高峰も、全員だ」

その言葉に、あかりの胸が締め付けられる。

「……分かっています」

「分かっているなら、自分の立ち位置を見失うな」

神埼はきっぱりと言った。

それでも──
あかりの心は、もう“脚本家”だけではいられなくなりつつあった。




休憩時間。

あかりは一人、スマホを握りしめていた。

蓮からのメッセージに、何度も指を伸ばしては引っ込める。

《お疲れさまです。
今日は少し緊張していて……》

そこまで入力して、止まる。

(違う……これじゃ、ただの仕事の言葉だ)

消して、また打つ。

《昨日の舞台、とても素敵でした。
でも──》

そこから先が、どうしても続かない。

──“好きです”
──“蓮さんが気になります”

そのどれもが、今の立場では書けない言葉だった。

画面には、未送信の文だけが残り続ける。



終演後。

蓮が劇場裏口に出ると、そこに立っていたのは翔だった。

「送られないのか?」

「……誰をですか」

「決まってるだろ」

蓮は、視線を伏せる。

「俺は……舞台に集中したいだけです」

「嘘だな」

翔は即答した。

「それは“逃げ”だ。
“役者だから”“脚本家だから”って言葉で、気持ちから退いてる」

蓮は、何も返せなかった。

「お前がそのままでいる限り、誰かが必ず傷つく。
美咲か、水無月か──それとも、お前自身か」

言い残し、翔は去っていった。




蓮はスマホを見つめたまま、動けずにいた。

あかりもまた、通知の来ない画面を見つめたまま、ため息をつく。

たった一通のメッセージが送れない。
それだけで、二人の距離は、また少しだけ遠のいていく。

言えない想い。
届かない言葉。

三角関係は、静かに、しかし確実に──深みへ落ちていった。
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