"推したい"婚約者

2章「vs後輩」_19話

訓練終了後、ウィリアム班長は中央総監に呼び出しを受けた。"特別訓練"に関する会議が開かれると察したアンジュは、自身も参加しようと後をついていこうとすればウィリアムに止められた。

「各自定時で上がれよ。おつかれさん」

彼はニンマリと笑うと、スキップをしながら中央総監の後ろをついて行った。

「随分楽しんだみたい。時間が来たら帰りましょ」

班室に戻る彼女を慌てて追いかける。2時間以上審判を担当してくれたのだ。アンジュが礼を伝えるとツキヨは優しく微笑んだ。

「正直わたしもスカッとしたわ。貴女には迷惑ばかりだけど…あら傷?」

ツキヨが頬で示す場所を触れれば、少し痛みがある。どうやらかすり傷を負ったらしい。ダンケ戦でだろう。全ての攻撃を流したと思っていたが、まだまだ爪が甘かった様だとアンジュは反省する。

「大丈夫ですよ。今日中には跡も消えます」

「ダメ。保健室で消毒だけでもしてもらいなさい」

ツキヨの指示に従い、アンジュは保健室へ向かった。消毒だけしてもらおうと思っていたが、衛生医に他の傷がないか身体を隅々まで調べられた挙句、驚異的な身体能力について散々質問を受けた。根掘り葉掘りいろいろなことを聞かれ、調べられ…あざや腫れはあるが大事ない、と頬の傷に絆創膏を貼られて解放されたのは1時間後。
訓練以上に疲れた身体を引きずるように、アンジュは保健室を出る。

「卑怯者!」

するとロザリーが目の前に現れた。綺麗な赤髪は乱れ、耐えがたい屈辱を受けた表情でアンジュを睨みつける。
アンジュは今日何度目かのため息をついた。

「あんな力…!私たちが知らないこと分かってたくせに!あんな、化け物みたいな力に勝てるわけない」

「…知らなくとも軍人である以上、情報が少なくとも戦わないといけない。『知らないから負けました』なんて通じない。知らない相手であっても相手を見抜き、生き抜く方法や戦術を、2年かけて教官や指導員たちが教えてきたんだ。君たちはその時間を活かせなかっただけに過ぎない」

なにより訓練を強要した彼女たち。そもそもアンジュの能力を事前に分かっていたとして、どうせ別の方法で挑んだに違いない。
アンジュが反論すればたちまちロザリーは顔を歪ませた。何も言い返せず黙り込んでしまう。

「でもね。ロザリーありがとう」

ロザリーは訝しげに眉を顰めた。

「おかげで私は自分の本音に気づけたよ」

((私は1人でも生きていかないといけないんだ))

決意を胸に、アンジュは必死で1人でも生きて行けれるよう道を模索していた。故に自身の能力を活かせ、給金も安定している軍を職業に選んだ。無事に入隊できた上、アンジュを正しく活用してくれる上官や場所に巡り会えたことは感謝でしかない。
働きながら家事をこなし、少しずつ貯金を増やしていく。こつこつと屋敷ー場合によっては領地ーを出て1人で暮らす準備を進めていた。

死ぬわけでは無い。
ただ離れて暮らすだけ。
会おうと思えばいつでも会える。

幼い頃。少しずつ1人に慣れようと森や湖へ1人隠れたりしたが、兄姉やポエテランジュらにすぐに見つかった。まだ子供だからかと年々隠れ方に工夫を凝らしたが、幼い甥っ子や義理兄、領地のおばあさんたちにも探し当てられる始末。
なら早めに家を出ようかとも考えたが、母親が酷く酷く悲しい表情を浮かべるため、言い出せなかった。軍に受かれば学校の寮で暮らすことになる。卒業後そのまま一人暮らしに移ることにしようと、まだしばらく甘えることにした。

軍学校に入れば、親友の1人とつるみ、新しい友達もできた。変わらず他2人の親友や師匠たちからも沢山手紙や贈り物が届き、時間があれば会いに出かけた。
人付き合いは大切だ。別に縁を切りたいわけでは無いのだから。

17歳の夏。軍学校卒業前に、当主であり長兄のライオネルに素晴らしい女性と出会った。とても強く、気品溢れ、アンジュのことも可愛がってくれる瑠璃色の髪が美しい女性と婚約した。それでも妹がいつまでも実家にいては迷惑だろう、家を出る口実ができたなどと思っていたら彼女に引き止められてしまう。

『貴女の実家じゃない。それにまだ分からないことがあるから、一緒にいて教えてくれると嬉しいの。だめかしら』

美しい彼女から上目遣いで懇願される。彼女は長く外国で過ごしていた。ブルナー領での生活は初めての経験。確かによく知らない場所で暮らすのは大変だろう。ならもう少しの間だけと決めてアンジュは実家に戻った。
配属された職場には信頼できる上司たちに、慕ってくれる後輩もいる。

そしてアルフレードが現れた。不安げな顔を浮かべている彼を放っておけず、ついつい関わってしまった。
そして彼の婚約者になった。なってしまった。
断ることもできたにも関わらず、選んでしまった。

結局のところ、アンジュ・ブルナーは誰からも離れられずにいる。しかし本当は心の底では分かっていたのだ、無理だと言うことは。他人に傷つけられながらも、たっぷりと愛をもらってきた。皆が大好きだ。愛する人々と共に、本当は生きていきたい。
それを認めれば離れなくなると、見て見ぬ振りをしてきたが、限界である。

『けどそれだけじゃ虚しい。力はあるだけで何も寄り添ってはくれない』

『窮屈さは、私にとって平和の象徴。それを守るために力をつけてきた』

『誰か、何か。制約こそ意味を持たせられる。本当はもう、分かっているだろう?』

ダンケに語り聞かせているようで、自分への答えであったのだ。

「私ね、幸せになろうと思う」

アンジュは新しい決意を口にした。考えを改めることにしたのだ。
化け物なら化け物らしく強欲になろう。家族も幸せも未来も望む。友達と仲良く遊び、もちろんアルフレードときちんと結ばれたい。
もし宝を狙う略奪者がいたなら、ペロリと食べてしまえばいい。竜も鬼も巨人も皆そうして来た。1人の勇者に倒されるまで。

その存在すらアンジュは許す気はない。

「化け物こそ幸福を願う生き物だと思い出した。宝に囲まれながら夢を見ていたい、そんな存在。私もそうだ」

次第に北風が強く吹き、周囲の気温が下がっていく。
晴れていた空には灰色の厚い雲が流れていく。日差しは遮られ、大きな影が2人を包み込んだ。
暗い影の中、アンジュの瞳が真っ赤に光る。
ロザリーは身体が石になったように動けなくなった。

「だから、私の大事にしている"もの"を奪おうとするなら次は容赦はしない」

爛爛と輝く瞳は先程よりも真っ赤に染まり、真っ白な髪が揺らめいて見える。それなのにアンジュの表情や身体は陰に溶け込み様子がわからない。
ロザリーはガタガタと歯を鳴らす。急な震えは温度が下がった空気のせいか、それとも恐怖でか。

「みんなにもよろしく伝えてね」

耳元でアンジュの声がしたロザリーは、短い悲鳴をあげ腰を抜かした。廊下に響く足音が早く遠ざかるのを、ガタガタと震えながら祈ることしかできなかった。






アルフレードときちんと結ばれたい。
つまり、アルフレードへの想いを打ち明けると決めたアンジュは足早でエザリオ班室へと向かっていた。

「あいにく、アルフレードなら会議に呼ばれいません」

しかしエゼリオ班室はマーギットと先輩班員しかいなかった。

「了解しました。また改めます。失礼します」

何故アルフレードが呼び出されたのかわからないが、会議後に話を聞くにも辛いだろう。今日は会うことを諦めたが、明日ーアルフレードの予定次第ではだいぶ先になってしまうかも知れないがーきちんと話をする時間を取るために、仕事を片付けることにした。
颯爽と部屋に戻り、仕事に取り掛かる。先に班室に戻って来ていたツキヨは、元気を取り戻したアンジュの姿にそっと微笑んだ。



定刻を少し過ぎたが、始末書も書類も終わらすことができた。アンジュは身体を伸ばす。部屋にはアンジュだけだ。後輩であるペーターが帰り際にくれたお菓子を口に放り込み、時計を確認する。
18:10。
ウィリアム班長は戻ってこない。まだ会議が続いている証拠だ。早く終わるかもしれないとすこし期待していたが、しょうがない。言葉に甘え、退勤することにしたアンジュは立ち上がった。
すると、バタバタと廊下を走る足音が聞こえてくる。この走り方は聞き間違えない。振り向くと同時に、想像した人物が慌ただしく部屋の扉を開けた。

「アンジュ!よかった、まだいてくれた」

やはりアルフレードであった。

「お疲れ様。会議、おわったんだね」

「いや、まだ続いてる。副班長が呼び出してくれたんだ。そして『もう上がって良い』と。…会いに来てくれたんだろう?」

たちまちマーギットの顔が浮かぶ。わざわざアルフレードを会議から抜け出させてくれたようだ。アンジュは心の中で感謝の言葉を送る。今回迷惑をかけた人たちには改めて何か贈らねばならない。
しかしまずはアルフレードだ。与えられた機会を不意にするこそ、せっかく機会を作ってくれたマーギッドに失礼だ。

「話がある。この後いいかな?」

アンジュの真剣な眼差しに、アルフレードはしっかり頷いた。
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