恋愛アルゴリズムはバグだらけ!?~完璧主義の俺が恋したらエラー連発な件~

第4話 データ至上主義の落とし穴

翌日、研究室。



 俺──田中優太は、冷蔵庫の前で深呼吸をしていた。



「よし……落ち着け、田中優太。今日こそ"第一次接触作戦"を実行するのだ」



 冷蔵庫には、俺が朝コンビニで買ったカフェラテが二本。



 そう、俺は歩美が"週三で飲んでいる"という観察データをもとに、差し入れ用のカフェラテを用意してきたのだ。



 ターゲット──後輩の石倉歩美。



 社交的で明るいが、繊細さを隠し持つ文学少女系心理学女子。



 俺が一目惚れして以来、観察と記録を続けてきた。



 今日はついに、"偶然を装って差し入れる"フェーズに突入する。



「データは揃った。台詞もマニュアルから選定済み。完璧だ……!」



 俺はスマホのメモを確認する。



 今日のセリフは──



『研究の合間に糖分補給すると効率が上がるらしいよ。



よかったらこれ、どうぞ』



 無難かつ気配りをアピールできる一文だ。



 さらに声のトーン、間の取り方まで練習済み。



「ふっ……勝ったな」







 俺がにやけていると、研究室のドアが開いた。



 現れたのは、長い黒髪をポニーテールにした後輩、石倉歩美。



「おはようございます、田中先輩!」



 その笑顔。



 その声。



 その瞬間、俺の心拍数は急上昇し、体内でエラーログが乱舞した。



《WARNING:心拍数が危険域に達しています》



《ERROR:呼吸制御に失敗しました》



「お、おお……おはよ」



「? どうしたんですか、顔赤いですよ?」



「な、なんでもない!」



 やばい、早速挙動不審だ。



 落ち着け、優太。今は作戦実行のタイミングだ。



 俺は冷蔵庫からカフェラテを取り出し、歩美に近づく。



「えっと……歩美」



「はい?」



「け、研究の合間に……糖分補給……すると……効率が……あがる……らしい……よ」



 棒読み。



 しかも間が不自然すぎる。



 さらに震え声。



《ERROR:感情表現ライブラリが見つかりません》



「……よかったら、これ、どうぞ」



 ゴトッ。



 俺は机にカフェラテを置いた。



 歩美は一瞬固まり、それから困ったように笑った。



「あ、ありがとうございます……田中先輩」



「い、いや、その……」







 ここで返すべきセリフは何だった?



 マニュアルでは──「俺も同じの飲んでるから、一緒に休憩しよう」だ。



 だが口から出たのは。



「俺も……糖分補給する」



 ゴクッ。



 俺は自分用のカフェラテを無言で飲み干した。



 気まずすぎる沈黙。



 歩美は小首をかしげ、気遣うように微笑んだ。



「……先輩って、優しいんですね」



「っ……!」



 その一言に、脳内で爆発音が鳴った。



 あ、あれ? これ、意外と成功してるのでは?



《INFO:思わぬ好感度ポイントが加算されました》



 俺が勝利の確信を得かけたその時。



「……ぷっ」



 後ろから吹き出す声がした。



 振り向くと、研究室の隅で資料を整理していた田村麻衣(たむらまい)──歩美の友人が、肩を震わせて笑っていた。



「な、なんだ」



「いえ……田中先輩、台本棒読みみたいで……つい」



「っ……!」



 心にクリティカルヒット。



 羞恥の炎が俺を包み込む。



「ち、違う! 俺は別に……!」



「ふふっ、ごめんなさい。歩美、優しい先輩に好かれていいね」



「ちょっ、田村っ!? な、なに言ってるのよ!」



 歩美が真っ赤になって慌てる。



 俺も真っ赤だ。



《FATAL ERROR:羞恨心が限界値を突破しました》







 俺はその場から逃げるように自席に戻り、ノートPCを開いた。



 しかし、ただ落ち込んでいるだけでは進歩がない。俺は科学者だ。失敗も貴重なデータとして活用しなければならない。



「よし……これで、歩美の"好感度"を数値化できるはずだ」



 俺は新しいExcelファイルを作成した。



 タイトルは【石倉歩美・好感度推定システム ver1.2】。



 カラムにはこう書かれている。



笑顔の回数(1回=+2pt)



会話中に名前を呼ばれた回数(1回=+3pt)



ありがとうと言われた回数(1回=+5pt)



困惑した表情(1回=-4pt)



棒読み指摘(1回=-10pt)



 先日の「第一次接触作戦」の結果を入力したところ、トータルは「-2」だった。



「おかしい……『優しい』と言われたのに、なぜマイナスなんだ……?」



 俺は頭を抱えた。



 データ分析は俺の得意分野だ。統計解析も機械学習も自在に扱える。



 だが──人間の感情は、どうにも定義が難しい。









 ちょうどその時、親友の鈴木大輔が顔を出した。



「お、優太。また数字いじってんのか?」



「いじってるんじゃない。これは歩美の感情を数値化する重要な研究だ」



「はぁ……。なぁ、恋愛を点数で計算してる時点でアウトだと思うけど?」



「バカを言うな。数値化すれば傾向が見える。傾向が見えれば対策ができる。対策ができれば──」



「勝てる、か?」



「……ああ」



 俺が真剣に答えると、大輔は呆れたように笑った。



「お前ってほんっと、こじらせてんな」



 うるさい。



 だが、俺は俺のやり方で攻略してみせる。



「でもさ、優太。お前のそのExcel、ちょっと見せてみろよ」



 大輔が画面を覗き込む。



「『困惑した表情マイナス4点』って……お前、石倉さんが困った顔したら減点してんのかよ」



「当然だ。困惑は好感度低下のサインだからな」



「いやいや、困惑にもいろいろあるだろ。『嬉しくて困っちゃう』みたいなのもあるし」



「そ、そんな細分化は……」



「だからダメなんだよ。人の気持ちってそんな単純じゃないって」





継続的な観察とデータ蓄積



 翌日。



 俺は観察と記録を続けていた。



「笑顔回数……本日三回。ありがとうはゼロ。困惑表情は……二回。ああ、マイナスだ」



 Excelにデータを打ち込みながら、ため息を漏らす。



 横で歩美が友人の田村と楽しそうに話している。



 俺のアプローチは空回りしてばかりだ。



「ねぇ、歩美。あんた、なんで田中先輩ってあんな不自然なの?」



「し、静かに! 本人に聞こえちゃうでしょ!」



「だって、見るからに"何か企んでる顔"なんだもん」



 ──聞こえてます。



 耳に刺さる二人の会話を、俺は必死に無視する。



《WARNING:精神耐久値が低下しています》



 ダメだ。データだけじゃなく、心まで削れていく……。



「あー、でも田中先輩って、なんだかんだ言って真面目よね」



「え?」



「ほら、カフェラテくれた時とか、すごく一生懸命だったし」



「ああ……確かに」



 歩美の声が少し柔らかくなった。



「ちょっと不器用だけど、優しい人だと思うわ」



 その言葉に、俺の心が少し温かくなった。





 その日の夕方。



 気分転換に図書館へ寄ると、静香がカウンターにいた。



「あ、田中さん。また来たんですね」



「……ああ」



「元気ないですね。研究、行き詰まってます?」



「まぁ……そんなところだ」



 俺は思わず愚痴をこぼしてしまった。



「人の感情を数値化しようとしてるんだが……全然、思った通りにならない」



「ふふっ」



「な、なんだ?」



「いえ……人の気持ちを数字で表そうとするなんて、田中さんらしいなって」



 静香は笑みを浮かべながら、少し真剣な目をした。



「でもね、人って"同じ笑顔"でも意味が違ったりするんですよ。



 楽しい笑顔と、誤魔化す笑顔。感謝のありがとうと、社交辞令のありがとう。



 そういうの、数字じゃ拾えないんじゃないかな」



「……!」



 俺は言葉を失った。



 データに夢中になって見落としていた。



 "同じイベント"にも文脈がある──それを理解できなければ、ただのノイズになる。



「田中さんって、ちょっと不器用ですけど……相手のことを見ようとしてるのは伝わりますよ」



「……そうか」



「だから、数字ばっかりじゃなくて、"歩美さんの気持ち"そのものを見てあげたらどうですか?」



 静香の言葉は、俺の心に妙にすっと染み込んできた。



「それに……」



「ん?」



「田中さんの真面目さって、きっと素敵だと思う人もいると思いますよ」



 静香は優しく微笑んだ。なぜか彼女の前では、心拍数が正常値を保っていた。





 翌日、研究室で高橋先輩に相談してみた。



「田中くん、恋愛を数値化ですか……面白いアプローチですね」



「面白くても結果が出ないんです」



「うーん、でも数値化自体は悪くないと思いますよ。ただ……」



「ただ?」



「変数の設定に問題があるのでは? 人間の感情は多次元データですから、単純な加減算では表現しきれません」



「多次元……」



「そうです。例えば、同じ『笑顔』でも、『嬉しい笑顔』『困った笑顔』『社交的な笑顔』『照れた笑顔』など、ベクトルの方向が全然違うんです」



 高橋先輩の言葉に、俺は衝撃を受けた。



「つまり、俺のシステムは……」



「次元数が足りないんです。もっと複雑なモデルが必要かもしれませんね」







 その夜。



 俺はPCの前で新しいセルを追加した。



相手の気持ち:???(数値化不可)



「……未知の変数、か」



 俺は苦笑した。



 完璧にシステム化できると思っていた恋愛に、どうやら予想外の"バグ"が潜んでいるらしい。



 だが──そのバグにこそ、本当の攻略法が隠されているのかもしれない。



《INFO:新しいアルゴリズムの必要性が検出されました》



 そんな時、スマホにメッセージが届いた。



 送り主は……山田静香。



『お疲れさまです。今日は相談に乗ってもらって、ありがとうございました。田中さんの研究、応援しています!』



 短いメッセージだったが、なぜか心が軽くなった。



「山田さん……」



 彼女との会話を思い返してみる。緊張せずに自然に話せた。数値化なんて考えずに、ただ会話を楽しめた。



「もしかして……」



 俺の中で新しい仮説が生まれた。



 恋愛における最重要な変数は、『自然体でいられるかどうか』なのではないか?



【恋愛アルゴリズム ver.2.0 開発方針】



1. 数値化は補助ツールとして活用



2. 相手の感情の「文脈」を重視



3. 自然体でのコミュニケーションを基本とする



参考事例:山田静香との関係性



「よし……次回はもう少し自然なアプローチを試してみよう」



 俺は決意を新たにした。



 しかし、この時の俺はまだ気づいていなかった。



 真の攻略対象が、実は目の前にいることに。





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