仮面のアイドルの正体は、記憶を失った少年だった 「記憶を失った少年が、“仮面のアイドル”として生きる運命とは――?」

第0章・Scene11 希望と孤独

 初お披露目から数日後の夕刻。
 宅麻大地――黒瀬蓮は、事務所の一室でひとり座っていた。

 窓の外にはゆっくりと沈む夕日。
 柔らかな光が明るいブラウンの髪を淡く照らし、背後の壁に長い影を落としている。
 白を基調としたジャケットの胸元では、シルバーの小さなブローチが微かに揺れていた。

 テーブルには、スタッフが運んできた封筒や花束、色とりどりのプレゼントが積まれている。
 甘い香水と花の香りが混じり合い、部屋の空気をほんのりと満たしていた。

「大地くん、すごいよ。もうこんなに届いてる」

 笑顔のスタッフがそう言い残して部屋を出ると、再び静寂が訪れる。
 外の喧騒が遠ざかり、時計の針の音だけが小さく響いた。

 蓮はそっとファンレターのひとつを手に取る。
 封を切り、丁寧な文字を目で追った。

「大地くん、おかえりなさい。
ずっと待ってました。
またステージで輝くあなたが見られるなんて、夢みたいです」

 胸の奥がじんわりと熱を帯びる。思わず、もうひとつ開いた。

「大地くんは私にとって希望です。
これからもずっと応援しています」

 ――希望。

 その言葉に、かすかに指先が震えた。
 彼らが待ち望んでいたのは、“宅麻大地”という存在。
 だが、それは本当に“自分”なのか。

(ファンは笑ってくれるのに……どうして、俺の胸はこんなに空っぽなんだ)

 苦笑いが漏れる。「ありがとう」と呟くその声さえ、どこか他人のもののように感じた。

 ……その想いを抱えたまま、彼は帰路についた。


---

 夜。
 高層マンションの一室は、ベッド脇のスタンドライトだけが淡く灯っていた。
 窓の外には街の光が滲み、車の音が低く響いている。

 鏡の前に座り、タブレットを起動する。
 昼間の会見の映像がそこに再生された。

「……お待たせしました。本日より活動を再開する、宅麻大地です」

 自分の声がスピーカーから流れ出す。
 画面の中の男は、自信に満ち、誰もが望むアイドルの顔をしていた。

(これが、俺……?)

 舌の上で何度転がしても馴染まない名前。
 胸の奥には、ざわめきだけが広がっていく。

 蓮は鏡に向かって笑顔を作った。
 練習してきた、完璧な宅麻大地の笑顔を。

「ありがとう。君のおかげで、僕は頑張れる」

 それは演技。そうわかっていても、唇は自然に動く。
 笑顔は崩れない。けれど、心の奥には疲労と空虚だけが残った。

(……俺は、誰なんだろう)

 視線を横にやると、テーブルの上に花束。
 白いリボンに結ばれたカードが、エアコンの風に揺れている。

「大地くん、ずっと待ってたよ」

 その文字を見た瞬間、胸の奥がじんと熱くなった。
 けれど、それは本当に「俺」を待っていたのか――。

 鏡の前の笑顔が、静かに崩れた。
 視界がかすみ、肩が震える。

「……俺、何やってんだろ」

 小さな声は誰にも届かず、静かな部屋に吸い込まれた。
 窓の外の灯りは、まるで別世界のもののように、ゆらゆらと揺れていた。




 
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